15.室長

 遠くに見える高層ビル群の光が煌めく。

 それを背にして、長い茶色の盛り髪の美しい女性が立っていた。


 黒のロングドレスを華麗に着こなし、その上から白衣を羽織って凛と佇む。


 その姿は、さながら雪の間に咲く一輪の花。

 鮮やかなクロッカスの花びらのようだ。


「アンタ、何者だ?」


 ただならぬオーラを感じた山下拓は、再び臨戦態勢になる。


「私は、中沢美亜。NTナノテクノロジー研究所の研究員であり、特殊任務室の室長でもある。そして、赤西の直属の上司だ。赤西が手荒なマネをして、すまなかった」


 中沢美亜は、色っぽくも冷たい瞳をしていた。


 心の奥底で何を考えているのか全く読めない。そういった雰囲気の目だった。


「だが、小娘―――いや、木村小春は我がNT研究所が極秘で進めてきた研究の重要な被験体であり研究対象とも言える」


「被験体?」

 話を聞いている山下拓の眉間に力が入る。


「研究成果を世間に公開してしまった今となっては、もはや小娘を研究所内に隠しておく必要はないのだが。とは言え、野放しにしておくと危険なのでね」


「中学生のどこが危険なんだ?」


 山下拓の質問に、中沢美亜は口元だけ笑った。


「それなら試してみるか? 研究成果ACCの力を」


 足を肩幅くらいに開いた中沢美亜は、両手をぶらんと下げると、大きく息を吸った。


先見せんけんのアビリティ発動!」


 その掛け声と同時に、中沢美亜の両方の瞳に紫色の光が浮かび上がった。


 身体全体も輝き出し、淡い光をまとう。


 一度、両方の手のひらを胸の前で合わせる。そこから少しずつ距離を離していく。


 すると、手のひらの間に紫色の光が充満し、細長い形に変わっていった。


「ル・プレシャンスサーブル」


 両腕が開ききった時には紫色の細い剣の姿をしていた。


 生み出した剣を右手に構えると、中沢美亜は紫の光を宿した瞳で山下拓を睨んだ。


「すごい……」

 少し離れた位置に下がっている瑞樹の呟きが聞こえた。「テレビで見た人と同じ光だ……」


 たしかに、ニュース映像で見たNT研究所の空飛ぶ老人も、同じように光を纏っていた。


 老人と同じ研究所に所属する人間であれば、魔法のような能力を持っていても、なんら不思議ではない。

 剣を生み出して戦う女がいても、さして驚くべきことではなさそうだ。


 しかし―――。


「オレには、アンタと戦う理由がない」


 中沢美亜の姿を眺めていた山下拓は、構えていた両腕をゆっくりと降ろした。


「あんたらは、もうダテヒロを解放してくれた。さっき本人から連絡があった」


 そうなのだ。

 もう戦って助けるべき人がいない。


 赤西竜也を倒したあと、山下拓がスマホの画面を見た時に、伊達裕之から「無事に解放された」とのメッセージが届いていたのだった。


 山下拓は、くるっと中沢美亜に背を向けて、加賀瑞樹の方に歩み出す。


『だから、戦う理由はないのさ』


 中沢美亜と山下拓の声が二重に重なった。


『したら、加賀……』


 2人の声が完全にシンクロする。


『……おい、マネすんな』


 肩越しに振り返って発した言葉も同一だった。


「『何の手品だ?』と、次は言おうとしただろう」

 今度は、中沢美亜が単独で言った。


 それは当たっていた。

 ちょうど「何の手品だ?」という言葉がノド元まで出かかっていたところだった。


 山下拓は、他人に頭の中を見透かされたような不快感で、口の中が苦くなる。


「おい、パーマ。そう嫌そうな顔をするな。せっかくだからアビリティで、からかってやっただけだ」


 『パーマ』呼ばわりされるのは慣れてはいるが、初対面で言われると少し腹が立った。


 対照的に、いつのまにか中沢美亜が楽しそうな表情をしている。


「私の『先見のアビリティ』は、未来を予知したり予測するのに長けている。もちろん他の使い方もできるがな」


 そう言ったあと、中沢美亜は草むらに向かって「目覚めよ!」と唱えると、倒れていたスーツの男たちの身体が一瞬だけ輝いた。


 そして、次々と男たちが意識を取り戻して起き上がり、「あれ、室長?」「いつのまに室長が?」と声を上げた。


「便利な能力だな」

 山下拓は、わざとあきれたような声を出した。


「それで、小娘のことだが」


 中沢美亜は、やっとのことで立ち上がった赤西竜也に視線を移す。


「パーマたちに、しばらく預けることにする。赤西を倒すだけの力があれば、まぁ、何とかなるだろう」


 ようやく中沢美亜の纏っていた光が消える。


「そりゃどーも」

 山下拓はパーマがかった髪を触りながら、あえて不服そうな声を出した。


「その代わり、月に1回、小娘を研究所に連れてこい。健康診断を行う。経過観察も兼ねてな」


「わかった。で、ACCって何だよ?」


 山下拓は頷いた後、さっきから気になっていた疑問をぶつけた。


「アドバンスドセルキャリア。体内に『ナノマシン細胞』を持っている人間のことだ」


 そして、中沢美亜がニヤリと笑みを浮かべた。


「『有機物で構築したオートマトンを体内に定着させた人間』と言った方がわかりやすいかな?」


「オートマトンを人間に?」


 予想だにしていなかった回答に、山下拓は耳を疑った。


「そうだ。状態δデルタの人型オートマトンの逆だ。人間がオートマトンを取り込んだ『オートマトン型の人間』とでも言おうか。体内の無数のナノマシンが生み出す力により、私のように人智を越えた能力が使える」


 中沢美亜が白衣のポケットからカードのようなものを取り出し、山下拓に鋭く投げた。


 山下拓は危なげなく、それを片手でつかんだ。


 見ると、1枚の名刺だった。


「山下拓よ。小娘のことで何かあったら、すぐに連絡しろ」


「ふん、どおりで……。俺の名前を知っているということは、ダテヒロから俺らのことを聞いていたのか」


 山下拓は、なぜ中沢美亜がオートマトンの話まで自分にしたのか合点がいった。

 事前に伊達裕之から、山下拓たちの仕事内容の情報を得ていたことは想像に難くない。


 山下拓は、きびすを返し、加賀瑞樹の方を向いた。


「したら、加賀。今度こそ帰るぞ!」


「はい、拓さん!」


 加賀瑞樹の嬉しそうな声が橋の下に響いた。


 ☆


 結局、加賀瑞樹はひとりで会社に戻った。


 山下拓とは帰り道の途中で別れた。

 夜間診療のある大きな病院に寄ることにしたらしい。


 あれだけ大量に出血して足元がふらついている状態だったのだから、病院に行って当然と言える。

 むしろ、救急車を呼んだ方が良かったのではないかと思う。


 加賀瑞樹がアルファレオニスに着いた時には、夜10時を過ぎていた。


「ただいま」


 玄関のドアを開けて、小さな声で言った。


「お帰りー」


 オフィスとして使用している奥のリビングの方から、伊達裕之と佐々木優理の声がした。


 2人の声を聞いて、なんとなく暖かい気持ちになった。無意識的に張り詰めていた緊張が自然とほぐれる。


 急に、疲労と打撲による身体の重さを実感する。

 今日一日の疲れがどっと押し寄せてきたような気がした。


 靴を脱いでスリッパに履き替えた時だった。


「お兄ちゃん、お帰りー」


 明るく元気な少女の声が響いた。


 目の前には、木村小春が笑顔で佇んでいた。


「え、小春ちゃん? なんでここにいるの?」

 加賀瑞樹は驚きの声を上げた。


 てっきり木村珈琲店にいるのだと思っていた。


「なんでって? それは、お父さんと一緒に暮らすからに決まってるじゃん」


 不思議そうな顔で加賀瑞樹を見上げる。


「ダテヒロさんの家?」

 思わず訊き返す。


 木村小春は「うん」と頷くと、おもむろに加賀瑞樹の手を引っ張り、リビングに連れて行く。


「加賀っち、お疲れ様!」


 ソファーに座っていたパジャマ姿の伊達裕之が労う。


「小生を助けようとしてくれて、本当にありがとう」


 伊達裕之は一度立ち上がって、頭を深々と下げた。


「いえ、そんな」


 感謝されることに慣れていない加賀瑞樹は、思わず視線をそらした。

 顔と耳が熱くなるのが自分でもわかった。


 視線を戻すと、ふと伊達裕之の服装が気になった。


「そういえば、ダテヒロさん、なんでパジャマ着てるんですか?」


「家でお風呂入ってから、ここに来たから」

 伊達裕之が、さも当然のように答える。


「え? その姿で外を歩いたんですか?」


 伊達裕之が、「ああ」と納得した表情になる。


「小生の自宅って、ここの隣の部屋なんだよね。マンションの同じ階に2部屋借りて、片方をオフィス、もう片方を自宅にしてたんだ」


「あー、なるほど」


 ようやく理解した加賀瑞樹は、ゆっくりとソファーに腰を下ろした。


 向かい側のソファーでは、佐々木優理が片手にお酒の缶を握りしめながら、長い脚を組んで寝そべっていた。


 そのセクシーな姿に思わず赤面する。


 ブラウスのすその間から、引き締まったウエストと、可愛らしいおへそが露わになっている。


 テーブルの上には、空のカクテルの缶が大量に並んでいた。


「優理さん、お酒飲みすぎですよ」

 加賀瑞樹は缶の数を目で数えながら言った。


「もう今日の仕事は終わってるからいいの♪ おやすみ♪」


 酔っぱらっていたせいか、佐々木優理が可愛い声を出した。


「優理ちゃん、ここで寝ないで、家に帰ってから寝たら?」

 伊達裕之が提案する。


 しかし、返事はなく、その代わりに心地よさそうな寝息が聞こえてきた。


 伊達裕之は、やれやれ、と言った顔をすると、サーバールームになっている部屋のクローゼットから毛布を持ってきた。

 そして、佐々木優理の身体に静かに掛ける。


「お父さん、コハルもそろそろ寝るー!」


 木村小春が、睡魔とは無縁そうな元気で右手を上げた。


「そうだね、小生たちは帰って家で寝ようか」


 伊達裕之が微笑んだあと、「あ、そうだ。ちょっと待ってて」と言って、自分のデスクの引き出しの中をゴソゴソと探した。


 そして、ハートマークのついた小さな桃色のお守りを取り出すと、木村小春に渡した。


「このお守り、小春にあげるよ。きっと困った時に助けてくれるから」


「わーい、お父さんからのプレゼントだぁ! 大切にするね! えへへ」


 木村小春は、両手で受け取ったお守りに、柔らかいほっぺたで頬ずりした。


 ☆


 翌朝、電話の着信音で加賀瑞樹は起こされた。

 枕元に置いていたスマホが鳴っていた。


 眠い目をこすりながら、電話に出る。


「もしもし?」


 耳元で小泉玲奈の声が聞こえた。


「瑞樹、助けて!」

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