13.赤髪の男(1)

 木村珈琲店の前には黒いワゴン車が止まっていた。


 赤髪の男は木村小春の腕をつかんで、無理やりに後部座席の扉の前まで引っ張っていく。車に乗せて連れ去るつもりに違いない。


 突然襲ってきた恐怖におびえながらも、必死に木村小春が伊達裕之に助けを求める。


「お父さん! 助けて!」

 住宅街に悲痛な声が響いた。


 ワゴン車の扉が開いた瞬間だった。


「くっ」という唸り声とともに赤髪の男が屈む。

 その顔は痛みに歪んでいた。


 なんと、赤髪の男の背中に、伊達裕之がスタンガンをお見舞いしたのだ。


 その隙に、木村小春が赤髪の男の腕を振り払い、車から離れる。


「小春は、小生の娘だ! 娘は渡さない!」


 伊達裕之は、リュックサックに入れて携帯していた護身用のスタンガンを手に構え、木村小春を守るように、赤髪の男と間に割って入った。


「このガキが!」


 赤髪の男の表情が鬼のような形相に変わる。

 全身をワナワナと震わせながら逆上していた。


「小春ちゃん、こっち!」


 店の入り口の前で待機していた加賀瑞樹は、逃げてきた木村小春の手を握ると、そのまま店内に連れ戻す。


「お祖父さん、小春ちゃんを見ててください」


 警察に電話していた木村清十郎に木村小春を託すと、すぐさま再び店の外に出た。


 すると、そこには恐れていた光景があった。

 アスファルトの上に倒れ、ピクリとも動かない伊達裕之の姿が目に入る。


「ダテヒロさん!」


 加賀瑞樹は、反射的に伊達裕之の方へ走り出す。


「お前もやられに来たか」


 赤髪の男が右手のこぶしを繰り出すと、加賀瑞樹の脇腹にクリーンヒットした。


 身体が軽々と数メートル吹き飛び、店の脇のツツジの植え込みに肩から衝突する。

 赤い花が舞い上がり、半身が枝葉に埋まった。

 

 なんとか体勢を立て直して立ち上がり、植え込みの中から道路上に戻る。


 ごほっ。


 加賀瑞樹が吐き出した唾が路面に散る。


 遅れてきた激痛に、思わず殴られた脇腹を押さえる。

 無意識的に顔がゆがんだ。


「俺のパンチをくらって、まだ意識があるとは」


 さっきまで睨んでいた赤髪の男が感心したような表情をした。

 そして、ツツジの植え込みに目をやり、「運のいいやつだ」と呟いた。


 その時、遠くからサイレンが聞こえた。


 警察だ。

 木村清十郎の通報により、出動したのだろう。


 遠くの方に、こちらに向かってくるパトカーが何台か見えてきた。


「ちっ、もうサツが来やがったか」

 赤髪の男が吐き捨てる。


「仕方ねぇ。代わりに、このガキを預かっていく」と言うと、道路に倒れていた伊達裕之の身体をひょいと持ち上げ、黒いワゴン車の中に押し込んだ。


「おい、そこのパーカー野郎。今日の夜8時に木村小春を連れて、多摩川大橋の下に来い。川崎側の方だ。そしたら、ガキと交換してやる。もちろん警察には言うなよ」


 加賀瑞樹に視線を合わせて一方的に要求を突きつけると、ワゴン車の助手席に乗り込んだ。


 無情にもワゴン車は走り出し、すぐに見えなくなってしまった。


 ☆


 数分後、警察が到着した。


 加賀瑞樹は、突然現れた赤髪の男に殴られたこと、伊達裕之を誘拐されたことを警察に伝えた。

 しかし、夜8時に呼び出されていることは言い出せなかった。


 もし警察に話したら、人質にされている伊達裕之の身が危ない。下手をしたら殺されてしまうかもしれない。


 自分の一言が人の生死を左右させてしまう可能性。

 そんな可能性に気がついてしまっては、言えるはずもなかった。


 警察が去ったあと、すぐにアルファレオニスに電話した。


 佐々木優理はオートマトン駆除に出かけており不在だったが、電話に出た山下拓がすぐに合流してくれた。


 そして、山下拓の発案で、木村小春を木村清十郎に預かってもらい、山下拓と加賀瑞樹の2人だけで指定された場所に向かうことになった。


 ☆


 多摩川の河川敷には、ひんやりとした夜風が吹いていた。

 街の明かりのせいで星は数えるほどしか見えなかったが、遠くに見える高層ビル群の輝きが夜景を彩っている。


 タクシーを降りてからサイクリング用に舗装された土手を少し歩くと、多摩川大橋のたもとに着いた。


 山下拓は腕時計をちらっと見て、まだ夜8時前であることを確認した。


「さっき話した通り、オレが赤髪を倒す。加賀は裏から回ってダテヒロを助けろ」


「わかりました」

 加賀瑞樹は頷く。


 まだ脇腹がヒリヒリとうずくが、普段通りに走れるくらいには回復した。


 多摩川大橋の下の河川敷の小道には、黒いワゴン車が1台止まっているのが見えた。その周りには、他の車はない。


 しかし、橋の真下は街灯の光が届かず、暗闇に覆われている。そのため、人影までは確認できなかった。


「したら、行くぞ」


 合図とともに二手に分かれた。加賀瑞樹は闇に紛れ、土手の斜面を通って回り込む。山下拓は河川敷の小道を堂々とワゴン車に向かって進んだ。


 ☆


 山下拓は両手の親指をズボンのポケットに入れながら、わざと目立つように口笛を吹いていた。最近流行っている曲だ。


 無防備な様子でワゴン車に近づいたが、目前で足と口笛をピタっと止めた。


「悪いな……、ここは通行止めだ」


 どこかの主人公のようなセリフ言ったのは赤髪の男だった。腕を組みながらワゴン車に寄りかかっていた。


 そして、草葉が揺れる音とともに、茂みの中から屈強なスーツの男が3人も姿を現し、山下拓を取り囲む。


「黒パーカー野郎の代理か?」

 赤髪の男が鋭い目で尋ねた。


「黒パーカー? あぁ、加賀のことか」


 山下拓がパーマのかかった髪を右手でくしゃっと触る。


「木村小春はどうした?」


「置いてきた。オマエらこそ、小春をどうすんだ?」


「さぁな」

 赤髪の男が両方の手のひらを上に向けるポーズを取った。


「室長からの命令だ。『逃げ出した小娘を連れ戻せ』だとさ」


 そして、赤髪の男は急に真剣な表情に変わった。再び鋭く睨むと、両手を構え臨戦態勢になる。


「お前、見たところ格闘技をやってるな。それも相当」


 そう言うと、赤髪の男はニヤっと笑みを浮かべ、「久しぶりに楽しめそうだぜ」と呟いた。


 ☆


 加賀瑞樹は息を潜めながら、裏側から黒いワゴン車にたどり着いた。


 窓にはスモークが貼られ、車内の様子は見えない。

 深呼吸をしてから、意を決して後部のスライドドアを開いた。


「ダテヒロさん……?」

 小声で名前を呼んだが伊達裕之の姿は見えない。車内には誰もいなかった。


 まさか、はめられた?


「こんな古典的な罠に引っかかるとはね。やっぱり赤西さんの言った通りだった」


 背後からの男の声に、加賀瑞樹の背中に冷や汗が流れる。


 振り向くと、スーツを着たスキンヘッドの大男が、暗闇の中、ニタァと笑っていた。

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