9.友達(2)

「そんな……」


 ついさっきまで小泉玲奈がいた空間には、大きな黒い立方体だけが存在していた。もうどこにも彼女の姿はなかった。


 加賀瑞樹の中で、辛うじてつながっていた糸が途切れた気がした。


 身体が重い。もう腕が上がらない。


 握っていた手から、電子ブレードがぽとりと地面に落ちた。

 紫色の刃が消え、元の筒状の姿に戻る。


 ボコっ。


 小型オートマトンが加賀瑞樹の右足に食らいつき、囚人の足錠のように足首が黒い箱に埋まった。


 その場に崩れ落ちる加賀瑞樹の全身を、次から次へと容赦なくオートマトンが埋めていく。


「……『親友』って、存在したんだな。幻想じゃなかったよ」

 倒れこんだ加賀瑞樹は、ぬかるんだ地面を横目で眺めながら言葉を吐いた。


 小泉玲奈にとって、ゆみこは間違いなく親友だった。

 ゆみこに殺される直前ですらも笑顔でいられたのだ。


 これが親友でなくて何と言うのだ。


 それに比べて、自分は?


 僕には、親友がいない。その理由がわかった気がする。


 孤独が怖い。

 そう、孤独になるのが怖いんだ。


 姉さんがいなくなって、初めて感じた孤独。絶望にも似た寂しさと虚しさ。

 あの感情が恐ろしい。


 もし親友ができたら、きっと親友を失うのが怖くなる。


 それならば、いっそ初めから親友を作らなければいい。

 初めから孤独なら、孤独になることを恐れなくていい。


 だから、それ以来、僕は誰にも心を開けなかった。


 ゆっくり目を閉じる。


「寂しいなぁ……」


 ―――僕の人生、何だったんだろう?

 何のために生きていたんだろう?

 こんな孤独を感じるためだけに生きていたのだろうか?


「まだ、死にたくないよ」


 まぶたの裏に、思い出の姉さんの姿が映った。


 姉さんと一緒だったら、それだけで良かったのに。それだけで満たされていたのに。


 ―――もう一度、姉さんに会いたい。


「姉さん……」


 そう呟いた瞬間、ふわっと身体が軽くなり、そして暖かくなるのを感じた。


 ☆


「あたしは、あんたのお姉さんじゃないんだけど」


 聞き覚えのある若い女の声に、加賀瑞樹は反射的に目をうっすらと開けた。


 すると、すぐ目の前に見知った麗しい女性の顔があった。


「優理さん?」


 視界に大きく映った佐々木優理が女神のように微笑んだ。


「それに、かがが死んだら、誰が借金を返済するの?」


 急に意識がはっきりした加賀瑞樹は首を動かして状況を確認すると、なんと佐々木優理にお姫様抱っこの形で運ばれていたのだ。

 そして、さっきまで身体のあちこちを覆っていたオートマトンは全て綺麗になくなっており、両手両足、どこも外傷はないこともわかった。


「ここらへんの小型オートマトンは全部瞬殺しておいた」


 前を向いたまま佐々木優理がさらっと怖いことを言う。


 すぐさま、はっと思い出して叫ぶ。


「あ、玲奈が!」


「うん、依頼主の女の子も無事。さっき拓が、オートマトンに消化される前に女の子を助け出したから。今、そのまま病院に連れて行ってもらってる」


 小泉玲奈が生きていたことを知って安心したのも束の間、さらに、はっと思い出して叫ぶ。


「ゆ、ゆみこが!」


「誰?」佐々木優理が、ぽかんとした表情をする。


「えーっと、人の形をしたオートマトンです」

 加賀瑞樹は慌てて訂正する。


「ああ、デルタね」


 佐々木優理は真顔で言いながら、抱きかかえていた加賀瑞樹を降ろして、公園の端にあるベンチに座らせた。


「デルタは、ダテヒロの『電磁パルスネット』で動きを止めてる。けど、そろそろバッテリーが切れるころかな」


 佐々木優理が、くるりと振り返る。


 その視線の先―――公園の中央では、金属製の網の中心から周囲へ青白い稲妻がバチバチと飛び散っていた。その網の下には、片ひざを地面についたまま動きを止めている『ゆみこ』が見えた。


「『電磁パルスネット』って、一見するとネズミが10万ボルトを放ってるようにも見えるでしょ。でも実際には、金属ネットの四隅にあるバッテリーで生み出す超高圧電流によって、金属ネットの至る所で放電現象と電磁パルスを発生させて、オートマトンの動きを止めているんだ」


 声の主はベンチに座っていた伊達裕之だった。

 加賀瑞樹が雨に濡れないように、すぐ隣で大きな傘をさしてくれていた。


「ダテヒロさん!」


「加賀っち、よく頑張ったね」


 伊達裕之の眼鏡の奥には優しい瞳があった。


「助けにくるのが遅くなって、ごめんね」


「いえ。それよりも、ありがとうございます。助けてくださって」

 加賀瑞樹は頭を下げ終えてから、続けた。

「でもどうして、この場所がわかったんですか?」


「それは、拓ちゃんに頼まれて、リアルタイムで監視カメラの映像を顔検索したんだ。依頼主から提供された『ゆみこ』ちゃんの写真を使ってね」


「顔検索?」


「見つけたい人が写っている画像を探すための検索だよ。単に、物体認識と顔認識の深層学習技術を組み合わせただけのAI技術だけどね。昨日の夜のうちに『ゆみこ』ちゃんの顔を深層学習で覚えさせておいて、今朝から、この地区一帯の監視カメラにハッキングをかけて、覚えさせた『ゆみこ』ちゃんの顔を検索していたんだ。そしたら、さっき商店街の監視カメラ映像が検索にヒットして見つけたわけ」


「そうだったんですね」


 加賀瑞樹は、小泉玲奈の家を訪ねた時に、山下拓がゆみこの写真を送るように頼んでいたことを思い出した。

 その写真を使って、ゆみこの顔を検索したというわけか。


 『監視カメラにハッキングをかけた』ことについても多少興味はあったが、これ以上は触れない方が良さそうだと思い、口をつぐんだ。


 伊達裕之はスマホの時計をちらっと見た後、ベンチの前で腕を組みながら立っている佐々木優理に視線を移すと「優理ちゃん、あと15秒でバッテリーが切れるよ」と声をかけた。


「バッテリーが切れるまで、こちらからも手を出せないっていうのは、ほんと欠点なんだけど」


 佐々木優理は、青白いハリネズミのような光を眺めながら電磁パルスネットの仕様に文句を言うと、ゆみこに向かって歩き出した。


「あたしのバイトどれいを奪い取ろうとしたお返しは、きっちりとさせてもらうよ」


 いつのまにか雨は止み、雲の隙間から光が差し込んでいた。

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