8.友達(1)

 空を覆う厚い雲。両手ですくった水が指の間から漏れ出すように、ゴツゴツとした雲の底から、静かに雫が滴り落ちてくる。


 ついさっきまで人通りが多かった商店街は、降り始めた雨のせいで人影が消え、閑散としていた。


 雨粒で黒く染められていくアスファルトの路面を、小泉玲奈は傘もささずに走っていく。

 その後を、何人かの通行人にぶつかりそうになりながらも加賀瑞樹が追う。


 商店街を抜けると右手に公園があった。迷わず公園に入っていく小泉玲奈が見えたので、加賀瑞樹もそれに続いた。


 小雨が包み込む公園は、やけに静かだった。


 その場所だけが街から忘れられたかのように、全く人の姿はない。

 中央の広場を囲むように雨に濡れた遊具やベンチが寂しそうに並んでいる。


「やっと追いついた」


 加賀瑞樹は息を切らせながら、小泉玲奈に駆け寄る。


「玲奈、いったいどうしたんだよ!」


 小泉玲奈はその問いには答えず、公園の奥の方向を見つめたままだった。

 そして、「ゆみこ!」と再び女性の名前を呼ぶ。


 加賀瑞樹は、彼女の視線の先をたどる。


 すると、誰もいないと思っていた公園の広場に、黒のフレアスカートにグレーのシャツを着た女性が佇んでいた。


 長く黒いカールしたまつげに、少し茶色がかった真っすぐの長い髪。

 一見すると、ファッション雑誌に載っているモデルの女性のような雰囲気だった。


 しかし、『ゆみこ』と呼ばれたその女性は、小泉玲奈の呼びかけに全く反応しない。

 虚ろな瞳で立ち尽くしたままだ。


 そして、もう一度、名前を呼んだ時だった。


 ゆみこの両目に赤黒い光が灯る。


 急に顔に生気が戻り、今まで無表情だったゆみこが不思議そうな表情をした。


 小泉玲奈は必死に涙をこらえようと顔をゆがめて、雨に打たれながら一歩一歩ゆみこに近づく。

 濡れた髪の先から雫がしたたり落ちる。


「生きてて良かった……。私……、ゆみこが死んじゃったと思って……」


 その安堵の声は震えていた。


「あの日―――、一緒に遊んだ日に、もっと私がゆみこの話を真剣に聞いていれば。そしたら、ゆみこは助かったんじゃないかって。その日のうちに、じいやに相談していたら、ゆみこは死ななかったんじゃないかって……」


 小泉玲奈は、ゆみこの目の前で立ち止まると、そっと彼女の身体を抱きしめた。

 瞳から大粒の雫が溢れ、止まらなくなる。泣きじゃくりながら、ゆみこの肩に顔をうずめる。


 その時、ゆみこの口から予想外の言葉が発せられた。


「誰?」


「……え?」

 驚いた小泉玲奈が顔を上げる。


「アナタ、誰?」


 きょとんとした表情のゆみこは首をかしげる。


 小泉玲奈は抱きしめていた両腕をほどき、ゆみこの身体から離れた。そして、正面から顔を見つめる。


「私は、小泉玲奈。あなたの親友だよ」


「……レナ?」


「そう。忘れちゃったの?」

 小泉玲奈は寂しそうな目をした。


 ゆみこは無表情に戻ると、「忘れてはいない。初めから知らない」と淡々とした口調で答えた。

 落ち着いた声というよりは感情がこもっていないような声だ。


「記憶喪失になってるのかな?」

 そっと小泉玲奈の隣に来ていた加賀瑞樹は言った。


 もしかしたらオートマトンに襲われたショックで記憶を失ってしまったのかもしれない。記憶喪失であれば、雨の中、こうやって傘もささずに徘徊していたことにも合点がいく。


 その言葉に頷いた小泉玲奈は、「ゆみこ、自分のことは覚えてる?」と尋ねた。


「ワタシのこと?」


 ゆみこは再び不思議そうな表情をする。

 なぜ、そんな当たり前のことを聞くのだろうと言った顔だった。


「ワタシは人工知能。固有名は『AI002496』」


「え?」

 加賀瑞樹は一瞬耳を疑った。


「ゆみこ、それ、ふざけて言っているんだよね?」


 小泉玲奈の心配そうな顔に悲しみの色が加わる。


「やっぱり、怒ってるんだよね? 私のこと怒ってるから、そんな冗談言ってるんでしょ」


「冗談じゃないよ。これは事実」

 いたって真面目な表情で、ゆみこが答える。


 小泉玲奈は、ゆみこの両肩に手を載せると「ゆみこ、思い出して! お願いだから、いつものゆみこに戻って!」と懇願した。


 すると、ゆみこが頷いた。


「わかった。『ゆみこ』のデータをインストールする」


 言い終わると同時に、ゆみこの身体が赤く輝き出した。そして、ゆみこがぶつぶつと呟く。


「……ネテロクラウドにアクセス。データダウンロード開始。……ダウンロード完了。データインストール開始……」


「何……?」

 ゆみこの異様な雰囲気に、思わず小泉玲奈は後ろに一歩下がった。


「……インストール完了」


 ゆみこが少し首を傾け、クスっと可愛らしく笑う。


「久しぶり、玲奈。おかげで、いろいろと思い出せたよ。私の存在目的もね」


 さっきまでとは話し方も表情も別人のようだった。違和感や不自然さは全くない。


「……ゆみこ? 本物のゆみこなの?」

 小泉玲奈の顔が、ぱあっと明るくなる。


「本物? そうだね、きっと今が本物の私なのかな。今なら何でもできそうな気がする。どんなデータでも集められそう」

 ゆみこはそう答えると、突然、ニタっと不気味な笑みを浮かべた。


「玲奈のデータも美味しいそうだよね」

 口の端からよだれが垂れる。


 そのゆみこの怪しい様子を見て、加賀瑞樹は小泉玲奈をかばうように前に出た。


「玲奈、下がって。何か様子がおかしい」


 その時、ふと脳裏に昨日の山下拓と伊達裕之の言葉が浮かんだ。


 ―――オートマトンの状態βベータは無生物を取り込んで、その取り込んだ物体に擬態しながら、成長と分裂を繰り返す。


 ―――状態δデルタはサイズが小さいし、人工衛星から撮影した画像で判別できないから使えないんだ。


 まてよ?


 加賀瑞樹の中にあったザラザラとした違和感たちが、しだいにつながっていく。


 オートマトンは取り込んだ物体に擬態できる。

 デルタはサイズが小型。

 そして、人工衛星から撮影した画像で『判別できない』。


 そう。誰も『写らない』とは言っていない。伊達裕之は『判別できない』と言ったのだ。


 仮に、最新の人工衛星がすごく高性能で小さいものを写せたとしても、頭の上から撮影した写真では人間の顔の判別はできないし、そもそも、すぐに位置が動いてしまう。


 もし、オートマトンのデルタは取り込んだ人間に擬態できるのだとしたら―――。


「まさか、デルタ……?」

 加賀瑞樹は、ひとつの可能性を呟いた。


 根拠も確信もない。でも、自分の予想が正しいと直感した。


 加賀瑞樹はポケットから電子ブレードの筒を取り出し、セーフティスイッチを押してから両手で握る。


「電子ブレード発動!」


 筒から伸びた部分が紫色の光を放ち、刃を形成する。この光の刃はオートマトンなどの機械には有効だが、人間などの生物には無害だ。

 つまり、人間相手にはただのオモチャの剣にすぎない。レクチャーを受けた時、山下拓は、そう言っていた。


 であれば、目の前の『ゆみこ』がオートマトンだった場合はダメージを与えることができるし、本物の人間だった場合はケガはしない。

 人間だろうとオートマトンだろうと、どっちに転んでも大丈夫だ。躊躇する必要はない。


「その子はオートマトンかもしれない!」

 加賀瑞樹はテニスの構えのように腰を落とした。

 

「うそ……。でも、本物のゆみこだったら」

 小泉玲奈は後ろに下がりながら悲痛な叫びを上げる。


「大丈夫。この電子ブレードじゃ人間は斬れないから」


 加賀瑞樹はテニスの片手バックハンドのストロークをイメージしながら、ゆみこへの距離を一気に詰めると、抜刀術の如くいだ。


 濡れた髪と服についていた水滴が散る。


 だが、ラケットにボールが当たった感触がなかった。


「外した?」


 刃を振り切った体勢の加賀瑞樹が顔を上げると、いつのまにか3歩離れた位置にゆみこは移動していた。慌てて電子ブレードを構え直す。


 涼しい顔のゆみこは加賀瑞樹を見下すように「そんなスピードじゃ、私には当たらないよ」と言った。


「ちゃんとキミも食べてあげるから、邪魔しないで」


「『食べる』? 人間を取り込むってことか?」

 加賀瑞樹は見失わないようにゆみこを睨む。


「そうだよ。私たちは良質なデータを集めるために存在している。人間はデータの塊だから、最高のごちそうなんだよ」


 人間がごちそう?


 衝撃的なゆみこの告白に加賀瑞樹は驚いたが、冷静を装って訊く。


「ゆみこを、食べたのか?」


 すると、ゆみこは恍惚な表情を浮かべながら、自身の身体を抱きしめるように両腕を組んだ。


「あぁ、思い出すだけでも身震いする。遺伝子の構造、細胞の構成、どれを取っても複雑で良質なデータだった。特に、脳のシナプスの構造は最高に美味しいデータだったよ」


「そんな……」

 それを聞いた小泉玲奈が両手で顔を押さえ、呻く。


「玲奈、安心して。あなたもすぐに食べてあげるから。そうすれば、データとしてオリジナルのゆみこと一緒になれるよ」


 バチバチと火花が飛ぶような音と光ともに、ゆみこの長い髪の毛先が静電気で持ち上げられたかのように逆立った。


 そして、ゆみこが嬉しそうな表情で言った。


「いただきます……」


「そうは、させるか!」

 加賀瑞樹が再び電子ブレードを振りかぶり、ゆみこに襲い掛かる。


 その攻撃を軽々とかわしたゆみこは、「まずは、キミからにするか」と加賀瑞樹を見つめた。


 その直後、肩越しに小泉玲奈の声が聞こえた。


「瑞樹、足元!」


 反射的に下を向くと、加賀瑞樹の足元の地面から、一辺2メートルくらいの黒い正方形が沸き上がっていたのだ。正方形だった黒い四角が、どんどん厚みを増す。

 自分の立っている地面の高さに変化はなかったので、相対的に、じわじわと黒い箱に両足が沈み、身体を飲み込まれていくように感じた。


 よく見ると、黒い箱は1つの大きなオートマトンではなく、小さなサイコロのような超小型オートマトンの集合体だった。


 ひざ下まで飲み込んでいるオートマトンに電子ブレードを突き刺すと、そこから刃を力一杯振り上げた。すぐさま黒い箱全体が崩壊していく。両足が自由になる。


 視線を上げると、たくさんの小型オートマトンが宙に浮いていた。すでに四方を囲まれており、次々と飛び掛かるように近づいてきた。


「くそっ」


 加賀瑞樹は、襲ってくる小型オートマトンを1個ずつ破壊していく。

 これだけ大量では、全部壊しきる前に体力が尽きてしまう。


 いったいどうすれば―――。


 その時、背後で小泉玲奈の悲鳴が上がった。


 振り返ると、ひざより上までオートマトンに飲み込まれ、身動きが取れなくなっている小泉玲奈の姿があった。


「ゆみこ、正気に戻って! もう、こんなこと止めようよ!」


 降りしきる雨の中、泣きながら懇願する声は、ゆみこには届かない。


「昔の記憶は残っているんでしょ? 私との思い出も覚えてる?」


 みるみるうちに腰の上までオートマトンが浸食する。


「玲奈っ!」


 その小泉玲奈の姿に、小型オートマトンに阻まれて助けに行くことができない加賀瑞樹は叫んだ。


 くそ! ちくしょう!

 このままじゃ、玲奈が殺される。


 今まで人生で味わったことがないほど強烈な悔しさと虚しさと恐怖が一度に入り混じり、無力感で胸が張り裂けてしまいそうだった。


「私は……。私は、ゆみこと友達になれて嬉しかったよ」

 そう言うと、小泉玲奈は涙を流しながらも微笑んだ。


「知り合いのいない高校に進学して不安だった私に、入学式の時に話しかけてくれたよね。ゆみこのおかげで高校生活が楽しかった。毎日が楽しかった。私にとって、生まれて初めてできた親友だった」


 すでに肩の高さまでオートマトンに浸かっていた小泉玲奈は、最後に天使のような笑顔で笑った。


「私たち、死んでも親友だよ!」


 すぽんっ。という音が聞こえたような気がした。


 今まで小泉玲奈が立っていた場所には、大きな黒い立方体が在るだけだった。

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