7.映画

 翌日の昼間、天気予報では『一日中曇り』となっていたが、いつ雨が降り出してもおかしくないような暗い空だった。


 18年前の『7つの天災セブン・ディザスター』が起きた日も、こんな濁った空だったのだろうか。


 『7つの天災』では、一瞬にして、日本の9つの都市が破壊され、大勢の人の命が失われたという。

 もちろん加賀瑞樹の物心がつく前の出来事であり、当時の記憶は全くない。小学校や中学校の授業の中で、同時多発的に発生した大規模災害だと教わったことしか知らない。


「とは言え、まさか映画のタイトルとはなぁ」

 加賀瑞樹は、駅前の待ち合わせ場所でSNSのメッセージを見返しながら呟いた。


 昨晩、小泉玲奈から映画を観に行こうと誘われた。その映画のタイトルが『7つの天災』だったのだ。


「瑞樹!」


 振り向くと、小泉玲奈が駆け寄ってきた。


 薄いピンク色のワンピースが可憐な花のように風に揺れ、可愛らしい笑顔がどんよりとした世界を一瞬にして明るく照らす。


 甘すぎない爽やかな香水の匂いが、花畑の中にいるかのように錯覚させた。


 ☆


「突然、誘っちゃってゴメンね」


 歩き始めてすぐに、明るい声で小泉玲奈が両手を合わせた。


「いつものことじゃん。前日に連絡くれただけでもマシな方だよ」


 加賀瑞樹は両方の手のひらを上に向けながら、オーバーに息を吐いた。


「えー、そんないつもじゃないよ」


 わざとらしく小泉玲奈が視線をそらすが、すぐに加賀瑞樹の方に戻して言った。


「それより、前から瑞樹と映画観に行きたかったんだ! だからすごく楽しみ!」


 本当に嬉しそうに笑う。


 この眩しい笑顔のせいで、いつも心を惑わされ、ペースを乱される。

 本当は毅然とした態度で接したいのに、ついつい振り回されてしまうのだ。


 だが、不思議と、そんなに悪い気はしない。


 それでいつも誘いを断れないんだよなぁ、と加賀瑞樹は都合の良い男扱いされている自分自身を恨めしく思った。


「はい」


 小泉玲奈から手渡された映画のチケットを受け取る。


「映画なんて、いつ以来だろ」

 加賀瑞樹は、チケットに印刷されたタイトルを見つめた。


「それで、『7つの天災』って、どんな映画なの?」


「瑞樹知らないの? 今すごい流行ってる恋愛映画だよ」

 小泉玲奈が興奮しながら話す。


「さえない男子大学生の周りに、ある日突然7人の美女が現れて。それで、美女たちに毎日虐められて、翻弄されるお話。でも最後は、感動のクライマックス! 笑いあり涙ありみたいな」


「内容が全く想像できないけど、玲奈の観たい気持ちだけは伝わってきた」

 加賀瑞樹は苦笑した。


「ひどいなぁ。少しくらい想像してよ」


 小泉玲奈は小さな頬を膨らませた。

 気がすむと普段の顔に戻し、「そういえば、もうバイトは慣れた?」と尋ねた。


「掃除とかお茶いれとか雑用ばっかりだから、もう慣れたよ」

 アルファレオニスの表の仕事を思い浮かべて答えた。


「そっか、それなら良かった。でも、危ない仕事もやってるみたいだし、あんまり無理しないでね」


 小泉玲奈は心配そうな表情をする。


「大丈夫だよ。それに、あそこのバイトは2か月以内に辞めるつもりだし」

 加賀瑞樹はアルバイトの給料で借金40万円を完済できる時期を計算して言った。


「ふーん、そうなんだ」


 小泉玲奈は、ぴょこんと前に立ちはだかると加賀瑞樹の顔をまじまじと見上げた。


「僕の顔に何かついてる?」


「ううん、何にも」


 それから、再び歩き出し、たわいのない雑談をしながら映画館に向かった。


 ☆


「あー、面白かったね! 特に最後の結末にはビックリした!」


 映画館から出ると、小泉玲奈はご満悦な様子で両腕を上げて伸びをした。


「さすがに現実離れしてたけどね」


 加賀瑞樹は率直な感想を述べた時、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。


 すると、「あれ、何だろう?」と小泉玲奈が道路の向かい側を指差した。


 ビルの前に人だかりができている。壁面には大きな文字で『リバーサイド銀行』という看板が掲げられており、銀行の支店の建物のようだった。


 人垣からは時折「大丈夫か!?」という声がした。


「なんか怖いね……。最近、物騒なことばっかりだし」

 小泉玲奈は不安そうな顔をした。


 ほどなくしてパトカーと救急車が到着した。


 パトカーから降りてきた警察官と、その場にいた人たちの会話で、銀行強盗により銀行員の何人かが負傷した、ということがわかった。

 銀行強盗の犯人は『極東軍きょくとうぐん』らしいということも聞こえてきた。


 事件現場から離れながら、加賀瑞樹は聞こえた言葉を復唱した。


「『極東軍』って何だろう? どこかの軍隊なのかな?」


 その言葉に小泉玲奈が反応して言う。


「『極東軍』とか『革命軍』とか呼ばれてる謎の犯罪組織だよ。まだ警察も詳しい情報を全然つかめてないんだって」


 加賀瑞樹は「へぇー。いつも思うけど、玲奈って情報通だよね。何でも知ってるな」と驚いた。


 すると、小泉玲奈は小首をかしげた。


「何でもは知らないよ。Yah〇〇!ニュースに載ってることだけ」


「それ、何かのマネのつもり?」


 加賀瑞樹があえて冷たい視線を送ると、小泉玲奈は「てへっ」と舌を出した。

 そして、にこやかに表情で「次は、どこ行こうか!」と無邪気に言った。


「うーん、そうだなぁ―――」

 加賀瑞樹が考える素振りをした瞬間、手の甲に冷たい雫を感じた。


「あ、雨!」小泉玲奈が声を上げる。


 空は、さっきよりも黒い雲で覆われていた。ぽつぽつと雨粒が落ちてくる。


 加賀瑞樹は折り畳み傘を持っていなかったことを思い出し、「すぐ近くのカフェにでも入ろう!」と提案した。


「待って」


 その時、カフェとは逆方向を見つめながら小泉玲奈が思いがけないことを口にした。


「ゆみこ! ゆみこがいる!」


「『ゆみこ』って、玲奈の友達の?」


 昨日の山下拓の声が加賀瑞樹の頭に響く。


 もう友達は死んでいる―――。


 まさか死んだはずの友達が生きていた?


 小泉玲奈は加賀瑞樹の問いに答える前に、雨の中を走り出していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る