5.オートマトン(1)

 遠くの山々に沈む夕日が、漂う雲を真っ赤に染めていた。


 すでに小泉玲奈の家を出てから2時間近くは経っている。


 郊外の小さな駅を降り、手荷物をコインロッカーに預けた。


 そこから歩くこと20分。

 加賀瑞樹と山下拓の2人は畑に囲まれた小道を進み、ようやく目的地周辺にたどり着いたところだった。


 赤紫色の空から視線を下げる。


 すると、少し先に、ぽつんと建っている1軒の戸建て住宅を見つけた。


 やけに壁面が黒く変色していた。


「たぶん、あの家がオートマトンだ」


 山下拓がスマホを見ながら言う。


 なにやら画面には地図が表示されており、赤い光と青い光が点滅していた。


「それでオートマトンの居場所がわかるんですか?」

 加賀瑞樹は短絡的に訊いた。


「ああ。ダテヒロが自作したアプリだ」


「ええ? ダテヒロさんって、スゴイですね!」


 身近な人がスマホのアプリを作っていたことに、加賀瑞樹は思わず感動を覚える。


「あいつのプログラミングスキルは天才的だからな。他にも、オートマトン対策のシステムや道具を開発してるよ。ま、このアプリに関していえば、そんなにたいした仕組みじゃない」


 山下拓が歩きながら淡々と答えた。


 アプリに対しての意外な評価に、加賀瑞樹は「どうしてですか?」と尋ねた。


「これは、単純に時系列衛星画像の差分から、オートマトンの可能性が高い物体を検出してるだけだ」


「よく意味がわからないんですけど」


 聞きなれない単語の羅列に頬をかく。


「普通、家とか大きな建造物を作るときには何日もかかるだろ?」


 山下拓が加賀瑞樹の顔を見る。


「はい」


「それが、もし1時間で家が建ってたら。おかしいとは思わないか?」


「思います」


 山下拓が髪の毛を右手でくしゃっと触る。


「つまり、1時間前の衛星写真では何もなかった場所に、突然、建物が建っていたら、それは明らかに人間が作ったものじゃないということさ」


「なるほど!」


 ようやく加賀瑞樹は合点がいった。


「あと、ほかに便利な道具としては、近くにオートマトンがいると感知して教えてくれるアラームもある」


「へぇ、すごいですね」


「ま、オートマトンから漏れ出す微弱な電波と音波を感知する仕組みだから、近距離でしか使えないけどな」


 山下拓が説明した直後に、トゥルントゥルンと音が鳴った。


「この音は?」


 聞きなれない電子音に、加賀瑞樹は恐る恐る尋ねた。


「これが、そのアラームだ」


 山下拓はネクタイを緩めると、腰を落として身構えた。


「くるぞ!」


「え? あの家まで、まだけっこう距離あるのに」


 加賀瑞樹が100メートルくらい先に佇む住宅を見ようと視線を移すと、なんと視界全体に黒い壁面が広がっていた。


 距離にして10メートルも離れていない。


 壁の中央には玄関と思しき両開きの扉がぽっかりと口を開いていた。


「そんな……」


 次の瞬間には、ものすごい勢いで大きな口が目の前まで迫っていた。


 食べられる―――。と思った瞬間、自分の身体が持ち上げられて左方向に飛ぶのがわかった。


「ぼーっとしてるんじゃねぇよ」


 加賀瑞樹は山下拓に軽々と身体を抱えられていた。

 いわゆるお姫様だっこという体勢だった。


「……降ろしてください」


 不本意な状態に、恥ずかしさを押し殺して頼む。


「ああ」


 山下拓は加賀瑞樹を降ろすと、「さっき渡した武器があるだろ。あれを使って自分の身は守れ。オートマトンの本体はオレがぶっ壊す」と言いながら、住宅の方を向く。


 そして、再び近づいてくる住宅に向かってボクシングのような構えを取った。


 住宅の色はもはや真っ黒に変色し、形もほぼ立方体に変わっていた。


 窓があった部分から、冷蔵庫やテレビくらいの大きさの黒い箱がいくつも放出され続けている。


 その黒い箱たちは一度地面に落下した後、ゆっくりと浮き上がる。

 そして、音もなく移動を始めた。


 やはり全ての黒い箱が小型のオートマトンだった。


 加賀瑞樹は現実感のない光景に一瞬呆気に取られていた。


 だが、側面から近づいてくる小型のオートマトンを見て、慌てて「武器、武器……」と呟きながら、パーカーのポケットから円柱型の筒のようなものを取り出す。


 この筒は、駅を降りた時にコインロッカーの前で山下拓から護身用に渡されたものだった。


 使い方は一通りレクチャーを受けている。


 筒の底面のセーフティスイッチを押してから、両手で筒を強く握る。


 そして、さっき何度も無理やりに練習させられたセリフを叫んだ。


「対オートマトン用、電子ブレード発動!」


 その声を認識した筒は、伸縮式の釣り竿の如く内部に格納されていた部分を伸ばし、テニスラケットほどの長さになる。


 同時に、手で握っているつか以外は紫色に輝き出し、その光が立派な刃を形成した。


 山下拓は加賀瑞樹の電子ブレードが発動したのを横目で確認すると、大型のオートマトンに向かって走りだした。


 右腕を引きながら高く跳び、2階のベランダだった場所に、閃光のような速度で右拳を叩き込んだ。


 辺りの畑一面に衝撃が水面のように伝わる。


 住宅だったオートマトンが後方に押し戻される。


 山下拓が着地すると、今後は1階の窓の部分に、さらに左右の連打で追い打ちをかける。


 ボコボコとオートマトンが面白いように凹んでいく。


 加賀瑞樹の視界の隅には山下拓のその活躍が映っていた。


 しかし、数個の小型オートマトンに囲まれてしまった加賀瑞樹は、ただひとつ、自分の身を守ることだけ考えていた。


「今まで剣なんて持ったことないけど、テニスラケットだと思えば―――」


 加賀瑞樹は電子ブレードを握り直すと、テニスの試合の情景をイメージする。


 足を肩幅より少し開き、腰の位置を落として、ラケットを構えた。


 そして、小型のオートマトンをテニスボールに見立てる。


 正面からオートマトンが腰の高さくらいに飛び出してきた。


 ―――絶好球。


 加賀瑞樹はフォアハンドのストロークで電子ブレードを振り抜いた。


 オートマトンは豆腐のように分断され、すぐさま黒と紫の光を放ちながら粉々に崩れ落ちた。


 次はフォアのハイボレー。

 その次はバックハンドのスライス―――。


 テニスのショットで、次々に小型オートマトンを駆除していく。

 

 半分ほど片付けたころには、足元はふらつき、腕は思うように上がらなくなってきていた。


「さすがに、もう疲れた……」


 背後から風を切る音が聞こえた。


 反射的に振り返ると、頭より高い位置から猛スピードでオートマトンが落ちるように接近していた。


 ―――これは、スマッシュ。


 電子ブレードを振りかぶると、最後の力を振り絞ってスマッシュを叩きつけた。


 叩きつけらたオートマトンが粉砕されるのと同時に、山下拓の蹴りによって大型のオートマトンが跡形もなく消滅したのが視界の端に映った。


「もう力が……」


 加賀瑞樹は、その場にへたり込んだ。

 手に持っていた電子ブレードの光が消え、筒状の元の姿に戻る。


 陽が沈み、夜のとばりが降りてきて、辺りの闇が色濃くなる。


 この世ならざるもののような異様な物体に囲まれている状況に、今まで忘れていた恐怖が急に襲ってきた。


 あの夜に『何か』から感じた怖いという気持ちが鮮明に蘇ってきた。


 得体の知れない『何か』に部屋が埋もれ、命の危機を感じた時の感情。


 ―――怖い。怖いよ……。


 残っていたオートマトンが加賀瑞樹との距離をじわじわと詰め寄ると、しめし合わせたかのように、一斉に飛び掛かってきた。


「ひぃっ」


 反射的に目をつぶり、頭を抱える。


 鈍い衝撃音。突風を全身で感じた。


 既視感。

 見たことのある光景。目を閉じているのに。


 ―――そうだ。一週間前と同じだ。


 佐々木優理に助けられた、あの時と。


 ゆっくり目を開くと、暗闇の中、何事もなかったかのように山下拓が静かに立っていた。


「加賀、立てるか?」


 もう周りには、オートマトンの影も形もなくなっていた。山下拓が全滅してくれていたのだ。


「大丈夫ですよ」


 加賀瑞樹は、まだ収まらない震えを隠し、立ち上がる。


 なんとなく視線を合わすのが恥ずかしく、下を向いて服についた土や砂を丁寧に払う。


「そうか」


 山下拓は、星が輝き始めた空を一度見上げてから、歩みを始めた。


「したら、帰るぞ」


 ☆


 その夜、アルファレオニスに帰ると、緊急会議が開催された。

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