第6話 疑惑

「天童教授!どうなっているんですか!?」


 勢いよくドアを開けて飛び込んできたのは、アメリカから戻った仁豊野だった。


「仁豊野君、大変だよ。メールで知らせた通りだ。まさかこの研究室に泥棒が入るなんてね。」


 近南大学での泥棒の件は、仁豊野には既にメールで知らされていた。


「よお、帰ったか仁豊野よ。新年早々大変だよ全く。一体、誰が何のためにこんなことをしたんだよ。」


「仁豊野君、メールでも伝えたが、君のコネクトームに関する資料がいくつか盗られてしまったようだ。」


「他に盗られたものはないんですか?」


「今確認中だが、今のところはないようだ。」


「教授、一体何があったのか詳しく教えてください。」


「それがよー。廊下歩いてたら教授がいきなり大声でさけ」


「手塚さん、僕は教授に聞いてるんです!」


「うぉ、す、すまん。」


 手塚は仁豊野の迫力に圧倒され、思わず素直に謝ってしまった。


「私が研究室に戻ろうと廊下を歩いていたら、私の研究室の前に見知らぬ男が立っているのが見えたんだ。そして、私の姿を見たとたん、突然研究室の中に入っていったんだ。私は直ぐにそいつが見張り役だと気付いたよ。そこで、急いで研究室に戻ったら、窓から3人の男が逃げようとしていたんだ。結局逃げられてしまったがね。」


「んで、おれは顕微鏡室から出たところで教授の叫び声が聞こえて、駆けつけてみると研究室が荒らされていたって訳だ。」


「なるほど、ということは手塚さんにはアリバイがあるということですね。」


「いや当たり前だろ!何でおれが疑われてんだよ!」


「そうだよ、仁豊野君。手塚君は最近ようやく研究に身が入ってきたところなんだ。こんなことしないよ。」


「教授にまで疑われてたんすか!仁豊野と言い教授と言い、何ですかほんとに。」


 教授にも後輩にも馬鹿にされたと、手塚はしょげてしまった。


「まあ、冗談は置いておいて。実は、つい最近ワトキンズ教授も研究室に泥棒が入ったんです。」


「仁豊野君、それは本当かい?」


「はい、本人から聞いたのですが、パソコンや書類などを盗られてしまったみたいです。」


「それで、ワトキンズ教授はどうしているんだい?」


「今は、急な用事と言ってどこかへ行ってしまっているんです。メールで場所を聞いてるんですが、返事は来ていません。」


 ここまで話して、仁豊野ははっとした。そして途端に嫌な予感がしてきた。


「教授、前にCNRBSからメールが来ましたよね。コネクトームプロジェクト学会に所属する研究者全員に情報提供を求めるとかいう内容のメールです。」


「ちょっと待てよ仁豊野、CNRBSって?」


「手塚さん、知らないんですか?フランス国立脳科学研究センターですよ。」


「へー、そんなとこからメールが来てたのか。」


「ええ、そうなんです。それで教授、あのメールと今回の泥棒の件、そしてワトキンズ教授の研究室の泥棒の件、どうも関係があると思うんですが。」


「仁豊野君、関係というのは?」


「つまり、率直に言うとCNRBSが関わっているということです。」


「えーっ!仁豊野、それ本気か?CNRBSって国立の研究機関だろ?てことは、フランス政府が関わってるってことじゃねーか!」


「いえ、政府が関わっているとは言い切れませんが。」


 しばらく沈黙が続いた。天童教授はうつむきながら考えていたが、7秒ほどして顔をあげ、口を開いた。


「仁豊野君、残念ながら、今回の泥棒に関してはCNRBSとは断定できないね。」


「どうしてですか?」


「犯人が窓から逃げようとしていたとき、彼らは英語で会話をしていたんだ。もちろん、CNRBSにはフランス以外の国出身の研究者もいるだろうが、どちらにせよ、CNRBSの仕業と決めつけることはできないよ。それに、こんなことをするならあんな内容のメールを送ってきたりなんかしないと思うよ。まるで犯人は自分達だって言ってるようなものだからね。」


「そうですか・・・。」


「とにかく、これからはセキュリティを強化しないといけないね。」


 一体誰の仕業なのか誰も分からなかった。しかし、一つだけ分かっているのは、コネクトームに関する情報を、盗みに入るぐらいに何としても手に入れようとしている組織的があるということだ。










 1月も残すところあと1週間となった。寒さはまだまだ厳しく、外は薄く雪が積もっていた。近南大学は雪は滅多に降らない地域にあるため、こうした1センチあるかないかというぐらいの積雪でも、年に一度もないほど珍しい。

 仁豊野は、少しぼーっとするほど暖房のきいた講義室で講義をしていた。まだ学生ながら[神経科学入門]と[脳と人間]という二つの講義を担当しているのだが、今行われているのは[脳と人間]の講義である。一時間目の講義であるが、来週はテストということもあり、今日は少し受講する学生が増えていた。ちなみに、松芝はこの講義を受講している。


「えーっ、今日は意識と無意識について話していきます。みなさんは、意識と無意識は別のものである、と考えているかもしれません。そもそも、無意識というものを発見したのは、フロイトという心理学者で、彼は・・・」





「・・・こうした数々の実験により、現在は無意識の中に意識が存在するという考えが最も支持されています。つまり、我々の意志のある行動は、実は全て脳によって行動、ということなのです。僕たちにはそもそも自由意志など存在しないのです。そろそろ時間なので、ここで終わります。来週はテストですので、みなさん頑張ってください。」


 講義が終わると、松芝が仁豊野に話しかけてきた。


「仁豊野先生、今日の講義もおもしろかったです!あのー、そこで少し質問が・・・」


「うん、いいよ。」


 そう言うと、二人は歩きながら話し始めた。松芝が研究室に来るようになってからは、質問コーナーはいつも研究室への帰り道で行われるようになった。


「仁豊野先生の話では、行動は全て脳によってさせられている、ということでしたよね。それって、例えばこうして会話しているのも、脳によって会話させられているのですか?」


「そうだね。自分の意志でやっているような行動も、実は全て無意識のところで制御されている、つまり脳によってさせられている、ということだよ。そうした行動のうち、一部が意志として意識にあがってくるだけなんだ。」


「だとすると、行動は全て決まっているんでしょうか。例えば、私がこうして右手を上げても、これも脳によってさせられているのならば、私は次にどういう行動をするのかも既に決まってるんでしょうか。もっと言えば、これからの未来も実は既に決まってるんじゃないかって思うんですが。」


「つまり世の中は運命論だと言いたいんだね?昔、世の中の素粒子の位置と運動量が全て分かったら、未来が分かるなんて言う人もいたみたいだね。ラプラスの悪魔だっけ。でも量子力学の誕生により、これは、すなわち運命論は否定されたんだ。」


「現代物理学では運命論は否定されていても、今日の話を聞いていたら、私は運命論を支持したくなったのですが。」


「脳は外部からインプットした情報を処理してアウトプットするものでしょ?そして、その処理にはさまざまな記憶が関わっている。さらにその記憶は、インプットした情報によって随時更新される。つまり、運命論の否定された外部からの情報をインプットし、記憶を更新し、その記憶をもとに処理してアウトプットするということは、果たして未来は既に決まっていると思う?」


「あっ、そうか!確かに、そう考えると未来は不確定ですね。」


 そんな話をしているうちに、研究室に着いた。


「よう仁豊野、と秘書の松芝さん。」


「手塚さん、いつから松芝さんは秘書になったんですか。」


「いや、もう秘書みたいなもんだろ。」


 仁豊野は呆れてしまった。松芝は、仁豊野の後ろで苦笑いをしていた。そのとき、テレビでニュースが流れ始めた。


『続いてのニュースです。

 アメリカ航空宇宙開発機構UASAは、新たに恒星及びその周囲を公転する惑星、合わせて7つの星が誕生したと発表しました。

 新たな星の誕生は今月に入ってこれが8度目です。

 なお、今回発見された恒星と惑星はいずれも地球からおよそ0.12光年ほどの距離であり、距離から計算すると、今月誕生した星は全てほぼ同時に誕生したと考えられるということです。』


「また星の誕生のニュースかー。仁豊野、どう思う?」


「どうって言われても、僕宇宙は専門外ですよ。」


「なんだか、最近宇宙の話題が多いよなー。松芝さん、どう思う?」


「どっ、どうって。そうですねー、太陽活動も未だに低下中みたいですし、専門家の中には地球全体として氷河期に向かっていると言う人もいたみたいだねいるとかなんとか。宇宙は謎だらけですね。」






 宇宙のことも気がかりではあったが、仁豊野にはもっと気がかりな問題があった。




 2週間ほど前にワトキンズ教授にメールを送ってから、未だに返事が来ないのだ。




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