第5話 黒い影
仁豊野がアメリカのワトキンズ教授のもとへ行くために日本を発った翌日、手塚は近南大学で研究を進めていた。
「手塚君、順調かい?」
「天童教授、見てないでちょっと手伝ってくれませんかー?」
「残念だけど、これから講義があるんだよ。」
「そんなー。」
相変わらずマイペースに研究をしていた手塚であったが、このところ仁豊野の影響を受けて、以前より少し研究に打ち込むようになった。
「手塚さん、これがさっきの実験データです。」
「おお、松芝さん、どーも。」
仁豊野の講義を履修している松芝は、最近半ば強引に手塚の研究の手伝いをさせられていた。
「手塚君、松芝君に給料を払わないといけないね。」
「その前に、給料を上げてください。ほんと地獄ですよ、ポスドクなんて。」
「だったら、早く結果を出すしかないよね。」
「教授も鬼ですねー。ねー、松芝さん?」
「えっ?えーっと・・・。」
「こらこら手塚君、松芝君を巻き込まないで。彼女、困ってるじゃないか。」
そう言いながら天童教授が講義をしに行くために研究室を出ようとしたとき、テレビでニュースが流れ始めた。
『本日、アメリカ航空宇宙開発機構、UASAは、銀河に新たな恒星がいくつも誕生していたことが分かったと発表しました。
UASAは、日本時間の昨日午前4時頃、ヤーキーソン宇宙望遠鏡による観測で、太陽系が存在する銀河に、新たに数百ほどの恒星が誕生していることが分かったということです。
最も近いものでは、地球からおよそ0.08光年のところに誕生し、その距離から計算して、誕生したのは一ヶ月ほど前であるということです。
UASAは、今後恒星が誕生したときの様子や原因について調べていくと・・・』
「天童教授、星ってそんなに簡単に誕生するもんなんですかね。僕、宇宙のことはよく分かりません。」
天童教授は研究室のドアを開けたところで止まってテレビに釘付けになっていた。
「いやー、私も分からない。しかし、宇宙は本当に何が起こるか分からないね。」
それだけ言うと、天童教授は再びドアを開けて講義室へと向かった。一体何が起こっているのか、このときはまだ誰も気付いていなかった。一部を除いては・・・。
一方、ワトキンズ教授の研究室に戻った仁豊野は、自身のダークXに関する考察についてワトキンズ教授に話した。ワトキンズ教授は、仁豊野の話を全て聞き終えたうえで、これまでのダークXの研究の中で見つけた新たな事実について話し始めた。
「仁豊野君、君の仮説は確かに可能性としてはあるかもしれないね。脳の疾患によるという説、それから不要物除去機構説。確かに、どちらもおもしろいし、検証してみたいところだ。ところで、ダークX最大の疑問である、飲み込んだものは一体どこへ行くのか、ということなんだが、実はどうやらどこにも行かないようなんだ。」
「一体どういうことです!?」
「驚くことも無理はない。しかし、観察を続けいても、飲み込んだものを別の物質に変換している様子もなければ、どこかに放出している様子もないんだ。そこで、仮説を立ててみたんだ。」
「なんでしょう。ぜひ聞かせてください!」
仁豊野は、衝撃的な新事実を聞き興奮で胸が高まっていた。しかし、ワトキンズ教授の新たな仮説は、その興奮を上回るとんでもないものであった。
「このダークXが飲み込んだ物質はどこにも行かず、ダークXの中心へ引き寄せられ、非常に小さくまとめられてしまうという説だ。」
「ちょっと待ってください!だとすると、どう頑張ってもダークXは体積が大きくなっていってしまいます。それに、取り込んだ物質をどこにもやらないなんて、そんなの無意味な機構じゃないですか!」
「確かにそうだね。あまりにも無意味なものだ。しかし、僕の仮説には続きがあるんだ。非常に小さくというのは、体積としてはほぼ0、つまり、無限に小さくなるということなんだ。」
「無限に!?」
「ああ、そうだ。実は、以前私はダークXが存在するアストロサイトの体積を特殊な機械を使って測定したことがあるんだ。すると、非常にゆっくりではあるが、しかしほぼ一定の速度で体積が小さくなっていることに気付いたんだ。そこで私は先月、あるダークXの周辺に別のアストロサイトの細胞質をほんの少し入れてみたんだ。分かりやすいように着色したものを入れたのだが、その後様子を確認すると、中心に引き寄せられた細胞質がどんどんとダークXの中心に引き寄せられていった。ダークXは真っ黒だから取り込んだあとどうなるのかは分からない。しかし、機械を使ってアストロサイトの体積を測定してみたんだが、細胞質を入れた直後としばらく時間をおいた後とでは体積に変化があったんだ。時間をおくと体積が細胞質を入れた直後よりもわずかに小さくなったんだ。」
「つまり、物質を外に放出していないのに体積が小さくなったということですね?余分な細胞質をギャップ結合を通して隣のグリア細胞へ送ったということはないんですか?」
「実は、ダークXは1つのアストロサイトから発見したんだが、それは隣のアストロサイトとは結合をしていないことが分かったんだ!」
「えっ!ということは、完全に他の脳細胞とは独立しているということですか?」
「ああ、そうなるね。ここまでの話をまとめると、ダークXを含んだアストロサイトはどのアストロサイトともやり取りをしていない。また、細胞内に物質を注入したとき、物質を細胞外へ放出することをせずに自らもとの大きさに戻ろうとした。まあ、正確に言うともとの大きさに戻れてはいないんだがね。ただ、徐々に、非常にゆっくりだが小さくなっていったんだ。そして、今も小さくなっていってるんだ。」
「つまり、そうしたことからダークXに飲み込まれた物質は無限に小さくなっていくと考えたんですね。」
「ああ、そういうことだね。」
だったら一体何のためにそのアストロサイトは存在するのだろうか。そして、世界中の神経科学者が血眼になって探しても未だに新たなダークX発見の報告がないということはどういうことなのか。
仁豊野は、実際にダークXを見れば何か分かると思っていたが、結局何も分からないどころか、より一層謎が増えたことに困惑していた。
その後も夜の7時頃まで議論を続けていたが、ワトキンズ教授の提案で続きは明日ということになった。仁豊野は、近くの宿泊先のホテルへと向かった。
宿泊先のホテルのレストランで夕食を済ませた仁豊野は、部屋のベッドの上に仰向けになって寝転んでいた。時刻は夜の11時を過ぎたところだ。寝転んではいるものの、なかなか寝付けない。昼間のワトキンズ教授の仮説がどうも引っかかるからだ。無限に小さくなるなど、めちゃくちゃな話であるが、確かにそうだとすると説明はつく。しかし、やはり引っかかる。と言うのも、仁豊野は自身の目で見たダークXと、ワトキンズ教授のダークXについての仮説を組み合わせたとき、その特徴がぴったりと当てはまるものを知っているのだ。しかし、それは到底仁豊野の受け入れられるものではなかった。なぜなら、今まで築き上げられてきた科学を否定するものであったからだ。
「いや、さすがにこれはぶっ飛び過ぎている。何を考えてるんだ僕は。」
照明を全て消し、自分の考えをおし殺すように眠りについた。
翌朝、仁豊野は自身の仕事のため、夕方の飛行機で日本に帰国することになっていた。ホテルをチェックアウトしようと準備をしていたのだが、ここで仁豊野の着ていたコートのポケットに、見覚えのないものが入っていた。
「これは・・・、盗聴器!?」
一体誰が、なぜ、何の目的でこんなものを仕掛けたのか、パニックになりかけながらも必死に考えた。部屋の鍵は閉まっていた。とすると、仕掛けられたのはそれより前ということになる。そして、仁豊野は気づいた。
「ワトキンズ教授が危ない!!」
ホテルからハーバーブリッジ大学まではそれほど遠くない。その移動の間に仕掛けられたとは考えにくい。考えられるとすれば、人の多い空港などである。つまり、盗聴の目的はワトキンズ教授だと仁豊野は考えたのだ。
仁豊野は急いでワトキンズ教授のもとへ向かった。
しかし、ワトキンズ教授の研究室はすでに荒らされていて、教授の姿も見えなかった。
まさかと思い、研究室にあった例のアストロサイトを探したが、見当たらない。資料もデータもパソコンも、ほとんどがなくなっていた。
すぐに警察に連絡しようとスマートフォンを取り出した。すると、午前3時頃にワトキンズ教授からメールが届いているのに気付いた。
『仁豊野君
私は少しの間研究室を離れることになった。心配しなくていい。直ぐに戻る。それから、昨日の話しは絶対に話してはならない。誰にもだ。
ワトキンズ』
一体なぜ急に研究室を離れるのか、仁豊野には全く分からなかった。仁豊野はワトキンズ教授に返信した。
『ワトキンズ教授
メールの件、了解しました。突然のことですので、大変驚きました。
ところで、教授はどちらに行かれたのでしょう。よければ教えていただきたいのですが。
私は今日の夕方に日本に戻ります。
またお会いしましょう。
仁豊野新』
とりあえず、盗聴器の件に関しては警察に相談しに行き、予定通り夕方の便で帰国することにした。
「だ、誰なんだ、君達は!?待たんか!」
「どうしたんですか、教授?」
「手塚君!手塚君ちょっと来てくれ!」
「教授、そんなに大きな声なんて出して、って、うわぁ!」
「研究室に誰かが忍びこんでいたんだ!3人ほどいたんだが、窓から逃げられてしまったわやだ!」
仁豊野が帰りの飛行機の中にいる頃、近南大学の天童教授の研究室が、何者かに荒らされた。
「コネクトームプロジェクトに関する資料がいくつかなくなっている!手塚君!警察に連絡を!」
「わ、分かりました!」
黒い影は、仁豊野のもとへも近づいてきていた。
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