第3話 ブレイン・ワールド

 学会より数日後、天童教授は日本に帰国した。一方仁豊野は、ノースバンティアナ工科大学で講演の依頼をうけていたため、アメリカに1人残った。


 ノースバンティアナ工科大学はアメリカの有名私立大学である。イギリスの権威ある科学雑誌であるnaturalに論文が掲載されたことをうけて、大学院生でありながらも今回の講演を依頼された。とはいえ、仁豊野は以前から多くの業績をあげてきており、神経科学界をはじめ、サイエンスにおいては世界的にその名が知れ渡ってきている。まさに、若手の注目株である。




 ノースバンティアナ工科大学はかなり敷地が大きな大学であり、講演を行う会場も立派である。2000人以上は入れるだろうか、そのぐらいの大きな講堂であるが、待機をしていた仁豊野が舞台袖から少し覗き込むとすでに満員御礼の状態であった。それもそのはず、興味があれば誰でも聞きに来ることのできる講演であるため、専門外の学生や教授もいるのだ。


「それではお呼びしましょう。仁豊野新です。お願いします。」


 名前を呼ばれて、仁豊野は舞台へ出ていった。あまりに大勢の人がいることに少し驚きながらも話し始めた。


「みなさん、初めまして。仁豊野新です。今日はこのような場を設けていただき、大変感謝しています。想像していたよりも多くの人が聞きにきてくれていて、大変驚いています。今日はみなさんに僕の研究についてお話ししようと思いますが、大人数ですがせっかくなので、質問も交えながらやっていきたいとおもいます。」


 そう言って、仁豊野は前方に用意したスクリーンに写真や画像や文字を映し出しながら話し始めた。


「僕は主に2つの研究をしています。脳の構造についての研究と、記憶を取り出す研究です。ところで、早速ですがみなさんにお聞きします。仮に記憶を取り出すことができ、その記憶を保存したメモリから配線を繋ぎ、記憶をもとに、しかも普通の人間と変わらないぐらい滑らかに動くロボットをつくったとします。ロボットは温かく、人間と同じような皮膚で覆われているとします。さて、この見た目もさわり心地も動きも人間と何ら変わらないロボットのことを、果たして生物と言えるでしょうか。」


 何人もの人が手を挙げたが、そのうち講堂の後ろの方に座っていた学生を指命した。学生は、マイクを受け取って答えた。


「身体が全て機械ならば生物ではありません。」


「確かにそう思いますよね。では今度は、両手両足が全て義手と義足の人がいたとします。その人は生物でしょうか。まあ、みなさん生物であると答えるでしょう。ならば、それに加えて臓器も全て機械であったとします。この場合はどうでしょう。」


「生物であると言えます。」


 今度は最前列の学生がマイクを受け取りそう答えた。


「では、脳以外全てを機械にしてしまえばどうでしょう。」


 前方に座っていた教授だろうか、男性が答えた。


「やはりそれも生物だと思います。人間らしい考え方や動きができるのであればですが。」


「ではもう一度あなたにお聞きします。人間のように滑らかに動くことができなければ?」


「それは・・・。」


 会場内ざわざわし始めた。


「ではみなさんに聞きましょう。脳以外が全て機械ならば、その人は生物であると言えるでしょうか。言えるという人は手を挙げてください。・・・、はい、ありがとうございます。今度は反対に、生物とは言えないという人は手を挙げてください。・・・、どうも、結構です下ろしてください。」


 会場全体のうち約6割ほどが生物と言えると考えているようだ。


「ありがとうございます。半分以上の人は生物と言えると考えているようですが、結構割れましたね。生物とは、膜で覆われており、代謝をし、生物内外の環境や物質が異なるといったような、さまざまな定義のようなものはありますが、こうして考えてみるとどうでしょう。もちろん他にも生物の特徴はありますが、それにしても生物って結構曖昧な存在であると感じませんか?」


 会場内は再び静まりかえった。全員が舞台上の仁豊野に視線を送っている。


「そして、恐らくみなさんのほとんどは、最後の質問で迷ったと思います。つまり、脳以外を全て機械にするとどうかという質問です。そう、みなさんは無意識のうちに脳を生物の中心と考えているのです。では最初の質問に戻ります。体は全て機械であるが人とそっくりになっているロボットをつくります。ロボットを動かすのは人から取り出した記憶を保存したメモリです。果たして、これは生物と言えるでしょうか。」


 また会場はざわざわし始めた。周囲の人と議論をしているのだろう。しばらくして、会場中央付近の学生がマイクを受け取り答えた。


「脳以外を機械にした人を生物と言えるのならば、その脳から取り出した記憶で動いている人間そっくりのロボットも生物と言えると思います。」


 一方で、別の学生も答えた。


「しかし、その脳まで機械にしてしまえば、もはや生物とは言えないと思いますが。」


 仁豊野は学生の意見を聞き、深く何度も頷いた。その後、再び話し始めた。


「そうですね、かなり微妙なところです。考え方次第で何とでも言えますね。ただ、やはり生物を考える上で脳は非常に重要であり、生物の核のような気がしますね。もちろん、それは言い過ぎです。なぜなら、脳も身体の影響を大きく受けています。例えば、吊り橋効果。吊り橋の上で告白すると成功しやすくなる、というものですね。あれは、吊り橋の上という恐怖を感じるところにいることで緊張して心拍数が上昇し、その緊張している身体の状態を、目の前の異性に対するときめきからの緊張であると脳が勘違いして解釈してしまうというものです。このように、脳と身体はお互いが影響を及ぼしあっています。しかし、やはり核に近い存在と考えられます。では、なぜ僕たちは脳をまるで生物の中心のように考えてしまっているのでしょう。」


 しばらく待っても誰も答えなかった。


「まあ、難しかったですよね。答えは、恐らく脳が情報を処理しているからでしょう。夏の暑さ、ハンバーガーのおいしさ、太陽の眩しさ、森のにおい、鳥の鳴き声、そうした感覚刺激は全て脳に送られ、脳がその情報を整理し表現することで、僕たちは感じることができます。つまり、世界はみなさんの脳の中でつくられるのです。逆に言ってしまえば、情報を処理する脳は一人一人違うので、みなさんは別の世界に生きているとも考えられます。」


 するとここで、後ろの方に座っていた人が手を挙げた。


「どうぞ。何でも聞いてください。」


「仁豊野先生、あなたの言うことをもとに考えてみると、今質問をしている私の世界の中にはあなたが存在しますが、それはあくまで私の中にいるだけで実際に存在するかどうかは分からないということですか?」


「そうです。それと同じように、僕の世界には君がいますが、実際に存在するとは言い切れません。あくまで僕の脳が君の存在を現しているだけである可能性もあります。極端な話、僕の脳が実は今現在も培養液の中に浸けられて、脳が勝手にこの世界をつくりだしているだけと言われても、それを否定することはできません。世界は脳の中にあるのです。だからこそ、脳の生物の中心に考えてしまうのです。脳は世界をつくっています。世界は脳によってつくられているのです。」


 世界は脳の中にある、世界は脳によってつくられている、仁豊野が最も言いたかったことである。




 講演は好評であった。終了後も多くの学生や教授の質問が相次いだ。こうしたことは日本の大学ではあまりないことである。日本の大学で講演を行っても、質問はちらほらある程度であるが、海外の大学ではどんどん質問がとんでくる。しかし、仁豊野はこうした熱心な人は大歓迎であり、そのためなかなか質問コーナーが終わらない。結局、予定時間を大幅にオーバーしてしまった。






 アメリカでの予定をこなした仁豊野は、直ぐに帰路へとついた。飛行機の中で仁豊野はワトキンズ教授からメールがきていることに気がついた。


『仁豊野君

 先日の学会では君の堂々とした発表見て本当に感心したよ。君はこれからのサイエンスを担っていく逸材だ。

 そこでだ、どうだろう、これからお互いの研究の進展状況についてメールででも情報交換しないかい?返事を待ってるよ。

 クレイグ・ワトキンズ』


 仁豊野は直ぐに返事をした。


『クレイグ・ワトキンズ教授

 メールありがとうございます。

 情報交換の件ですが、こちらこそ是非よろしくお願いします。

 仁豊野新』












 日本に帰国後、仁豊野は直ぐに研究に戻った。


「全くお前は本当に研究しか興味がないのか?」


「ないですね。今のところは。手塚こそ早く結果ださないと。」


「あーもう、うるせー!お前ほんとに先輩を敬わねーな。」


 どうやら手塚は思うように研究が進んでいないようだ。


「じゃあ敬える先輩になってください。」


「ははは、仁豊野君は随分とはっきり言うね。」


 端から見ていた天童教授は二人のやり取りを見て笑った。


「ところで手塚さん、松芝さんは?」


「ああ、教授とお前がアメリカに行ってからもちょくちょく来てたぞ。まあおれも研究に忙しいからあんまり相手にできなかったけどよ。」


「こんにちはー。あっ、仁豊野先生お帰りなさい。」


 タイミング良く松芝が研究室に入ってきた。


「ああ、松芝さん、ただいま。出張で今週の授業休講にしたけど、来週からはいつも通りやるからね。」


「はい、よろしくお願いします。」


 仁豊野は、海外から帰ってくると、やはり日本が一番落ち着くと毎回強く実感するのだ。

 世界が注目する若手研究者とは言え、まだ24歳の学生である。慣れない海外よりも、やはり日本の方が落ち着くのだ。

 いつもの研究室、いつものメンバー、いつもの研究、これがいつもと何ら変わらない仁豊野の日常である。








 一方その頃、ワトキンズ教授のもとへ怪しい影が近づいていた。

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