7.
PM11:35 。某アパートの晴都の部屋。碧は泣くに泣けないくしゃくしゃの気分でベッドに座り込んでいた。
「やだやだもーぅ! 何なのよ一体全体」
「いいから、順を追って話しなさい。喬木氏に何を言われたんだ?」
晴都が缶ビールを勢いよく開けて手渡してくれる。本当は碧の二十歳の誕生日は一週間後なんだけど。
「いーの、もう喬木さんの件はやめるの!!」
「碧、自分の中だけで解決しようとすると、余計混乱するぞ!!」
その時、キッチンの電話が鳴った。立ち上がり、電話をとった晴都が
「ほい、喬木氏から」
と、手渡してくれる。
『もしかして、鞠矢に失望したかな?って心配になったから。どう、やめたい?』
図星…碧は思わず絶句してしまう。
『バカでしょう? 鞠矢は。バカ正直過ぎて、可愛くてしょうがない。そう思いません?』
「喬木さん、もしかしてマゾですね」
『マネージャーなんて、そうでなきゃ勤まりませんよ。それに、僕はこの業界の仕事に生きがい感じてますから。諦めるわけにいかないんです。業界者のの意地で、ね。風合さんの世界を、どうしても鞠矢の世界に融合させたい』
「あたし…喬木さんがおっしゃるほど大きな世界なんて持ってません。夢…みんな夢、願望なんです。リアルな、プライベートな詞を書きたくても書けない。あたしの中には、あんな言葉しか無いから。それだけです」
『風合さん、イマジネーションを馬鹿にするものじゃないよ。リアリティも魅力の大事な要素だけど、君のイメージはそれを超えた強さがあるんだよ。…それと、君の詞は、スーパーノヴァで投票した、全国のリスナーたちが認めてるんだ。自信を持ちなさい」
「それは、あたしの詞じゃなくて、『覚醒計画』のみんなの…」
『バンドのみんなが君の詞を愛していたから、…その詞がみんなが欲しがっている真実を伝えていたから、受け入れられたんだよ』
「……」
押し黙ってしまった碧の肩を晴都がそっと抱き締めてくれる。
『鞠矢は純粋な子だ。だからこそ、足元や、目に見えるだけの世界だけで終わらせたくない。そのためのきっかけをずっと僕は探していたんです。でも、鞠矢のことがなくても、僕はあなたの詞の世界を手放したくない。それほど強欲にあなたの詞に焦がれているのかもしれない』
すっかり言葉を無くしてしまった碧の手から、晴都はそっと受話器を取った。
「風合碧は『覚醒計画』にとっても大事なスタッフなんです。もう少し時間をやって下さい」
きっぱり言って、ゆっくりと受話器を置く。沈黙が部屋中に染み通る。二人は、キッチンの壁にもたれてしばらくじっと抱き合っていた。
三月焦がれた恋しい胸に体を埋めながら碧は荒波立った心を鎮めていった。
ふと、碧が顔を上げる。
「晴都、あたしのどこが好き?」
「おまえ…何だそれは?」
呆れ顔で晴都は碧の顔を見た。
「バカなこと、聞くんじゃない」
「だって不思議なんだもん。自分の取り柄なんて、あたしわからないし…でも、少なくとも、晴都の為に詞を書いてあげられるのはあたしの誇りだから」
うつむく碧の頭を晴都がぎゅっと抱き寄せる。
「俺は碧を尊敬してるんだ」
「嘘だぁーっ」
「こらっ!! 信じないならもう言わないぞ!!」
苦しいくらいぎゅっと抱き締められる。腕の力の強さに、自分には越えられぬものを感じて碧はおとなしく力を抜いた。
「今回は、いつまでいられるんだ?」
窒息しそうに長いキスの後、晴都の言葉は寒い現実を呼び覚ます。
「あと三日。ちょっと早いけど二十歳の誕生日のお祝い、してね」
こんな風に時々しか会えなくなって、もうすぐ一年になる。会えたと思ったら、離れるまではあっという間。四月になってしまったら碧は自由な休みが取れなくなる。
「晴都も、『高嶺の花』になっちゃうのかな、そのうち」
一生、東京で頑張る覚悟の晴都と、地元のデパートに就職が決まっている自分。これからどうなってしまうか、一寸先の見当もつかない。こんなに晴都が好きなのに。成り行きに任すとか、離れて暮らすうちに冷めていくとか、そんなことが考えられないくらい、激しく愛しいのに。
抱きあげられて、頭がくらくらした。やっぱりまだアルコールには弱かったのか。酔いに任せて、今なら言えるだろうか。
…そばに、いてよ。はると。一秒だって一人にしないで。
言えない。死んでも口に出せない。そんな願いが叶ってしまったら晴都は歌を作れない。晴都ではなくなってしまう。
だけど、寂しすぎる。遠すぎる。息苦しいくらい。
『信じ合ってれば、離れていても寂しくない。互いの存在を感じられる』
そんないつもの晴都の恋愛論も、もうわかってあげられない。
キスなんて覚えるんじゃなかった。繰り返す度、不安になるから。
「晴都…あなたにとってあたしって何? 必要不可欠な存在?」
「俺を信じなさい。碧」
青い闇の中、晴都の熱い方に抱きすくめられる。その首筋にのびていく、自分のほの白い腕を、碧は息をころして見つめていた。
この人と出会ったことだけは、後悔したくない。
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