3.
「だからー、さとこさんですよ、お宅の事務所の、濱崎智子! 俺? 記者なんかじゃないったら! 名前? いいじゃないですか。本人が出ればわかるって。知り合いですよ。うそじゃないって! あーーーっとお、…切れちゃった」
受話器を額に押し当ててみる。熱のある額に心地よく冷たい。しつこく鳴り続ける通話終了の信号音も、適当に耳障りで、貴希をますます落ち込ませてくれる。
「ばかやろお!!」
隣の電話ボックスから、ガラス越しにでもはっきりと聞こえてくる女性の声。
「仲間と飲みに行くだとおー? ふざけんじゃないよ。今まで待ったあたしはどーなるの!! ホテル教えろ? 決めてないよ、んなもん。今夜は外で夜明かしするの。ぐれてやるもん。晴都なんてだーいっきらい!!みいよりっ、以上!」
(ドラマが見えるなあー)
留守電を再生した時の、相手の顔が見ものだ、と貴希は苦笑してしまう。それにしても、こんな過激なセリフを吐く、この子はどんな顔してるんだろう? そう思って、ボックスを出る彼女の顔をちらりとのぞきこむと…。
彼女は、泣いていた。丸く目を見開いた涙顔が驚くほど美しい少女である。引き寄せられるように、貴希は彼女の手首をつかんだ。
晴都を待ち疲れて、ホールを出て、近くの電話ボックスにたどり着いたのは終演30分後。喫茶室で好奇心と勢いで飲んでしまったワインが、体中をぐるぐる回っている。気分は、丸めた紙屑のようだ。
晴都に初めて不満をぶちまけてしまったのは、アルコールの勢いと、相手が留守電だったから。電話ボックスのドアを、倒れるように押し出した瞬間、目の前に現れた顔に、碧の心臓は破れそうになった。左手に受話器、右手で碧の手をがっちりとつかんでいる、そのひとの顔は。
およそ一分見惚れたあと、つい、碧はこう言った。
「まりや…ですかぁ? その顔」
自慢ではないが貴希はプライベート用の自分を作るのが得意である。大好きな薄手のトレンチコートで身を包み、チタンフレームの眼鏡をかけると、街ですれ違う人からは、どういうわけか、
「鞠矢に似てるけど、雰囲気が全然違う!!」
と有りがたく無視されてしまうのである。今回だって貴希は関係者出口に待ち受ける少女達の傍らを、すたすたと歩いて出てきたのである。
しかし、この少女は視線をそらしもせず、貴希の素性をはっきり言い当てた。まん丸い、真っ黒な湖のような目で。街灯の下、長く見つめるほど、深い目の色である。思わず瞳を探してしまうが見つからない。もっと良く見ようと、顔を近づけ、唇が触れあってしまう、その間約30秒。
「何するんですかあ?!」
唇をふさがれたまま、碧が叫ぶ。その声に我に帰ったように貴希は唇を離した。それからワンテンポずれて、碧が右手を上げるが、すっと降ろしてしまう。
「やめた。顔がもったいない」
碧のひとことに、貴希は噴き出した。
「変なやつだな、あんた」
「うるさい加害者っ! まりやのそっくりさんに生まれたこと、感謝しなさいっ!」
「本人だよ、俺」
碧はキョトンとして貴希を見た。確かに似ている。本物そのものだ。でも。
「貴希があんなことするはずない!」
「あんなこと?」
「そうキス!!!…なんて」
碧の頬が熱くなる。怒りと恥ずかしさで言葉が飛び出る。
「わかってんだから! あたしがMARIAのファンだと思って、MARIAそっくりの顔であたしのことだまして、悪いことしよーとしてるひとでしょ?」
「何言ってんだ? あんた」
「わかるもん。MARIAのことずーっと見てたから。本人かどうかくらいわかるもん。本物はもっとキラキラしてかっこいいもん」
「当たり前だろ? 普段からステージみたいにハデしてたら、ただの馬鹿じゃん」
あーめんどくさい。こんなチビ女ほっといて、俺は失恋の悲しみに一人浸るんだ。しかし、そんなことはできない。とにかく目の前の少女はスキだらけなのである、この小娘は。“不夜城”のこの街、夜明かしどころか朝日もおがめないかも。
「決めた」
つかんだままの手首をぐい、と引く。
「今夜、あんたをさらう」
「えーーーーーっ!!!!!」
逃げようにも体に力が入らない。碧は頭の中がショート寸前。
(あれ? このひと、物凄く手が熱い)
それだけ感じるのが精一杯である。
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