2.

(ばっかばっかしい)

 週刊誌を大袈裟な音を立てて閉じ、碧(みどり)は溜息をついた。

(“げーのーじん”っつーだけでさぁ。誰と誰が恋とか。いーじゃん、別に。芸能人同士の恋ったって所詮、人間同士の恋だし。なのにどれもこれもいつもおーんなじよな記事ばっか)

 待ち合わせの時間つぶしの為にとはいえ、なんでこんなもの買ってしまったんだろう。

(それともさ…あたしたち凡人の恋みたいに、ぐずぐずしてない、オシャレでかっこいいものなのかな)

 だとしたら、アイドルに恋い焦がれる時、“高嶺の花”“世界が違う”などというのは的を得た表現だ。だから、わかってるもん、と口を尖らせてみる。

 今夜が碧にとって最後のMARIAのライブだった。

 気づいたときにはTVの中の鞠矢貴希に恋していた。同じ年のせいか、子役時代から、ずっと現在進行形の時を共有していた。思春期特有の幾つかの悩みや試練も、MARIAを心の支えにして乗り越えた。だのに。何故だろう? 一年ほど前から息苦しくなった。MARIAの歌は碧の心に、今もまっすぐ飛び込んでくるのに。日ごとにMARIAのイメージがつかめなくなる。写真やポスターの笑顔が、うそにしか見えなくなる。

 ダメなんだ。支えてくれる人はすぐそばにいてくれる人じゃないと。天城晴都(あまぎはると)と知り合い、付き合うようになって、碧はそう気づいた。

 だから、これがフィナーレ。長い長い間、恋い焦がれたMARIAへの想いにハデにピリオドを打つのだ。初めて東京での大きなライブのチケットを買ったのはそういう意図。

 なのに。ホールの喫茶室のガラス越しに頬を上気させて出てくる少女達を見送っている。掌の中にはチケットが残っている。

(何なのよ?!あたしってばどうなってんのよ!)

 東京に来た理由はもうひとつ。

 東京駅に着いた時、電話をかけた。半年前に上京した晴都の部屋に、である。

『え? 東京駅? なんでそんなとこに…ああ、鞠矢貴希のライブがあるんだっけ。おっかけも大変だな。ごくろーさん。え? ここ来るの?わりい、俺、夕方まで仲間とうちあわせでさ。んー、じゃそっちの終演時間までに喫茶室に行くよ』

 その時点で、開演時間まで八時間はあった。半年ぶりの、晴都との再会にあてるつもりだった時間。

(“おっかけ”なんて…あなたに会いたかったのよ、あたしは)

 そこから大きく調子が狂ってしまった。時間をつぶそうにも、初めての東京は勝手のわからないことばかりで、地下鉄も乗れなければ、昼食もとれない。碧はあるブティックで貧血をおこしてしまった。店の奥の部屋で目覚めたのはPM6:05。慌ててホールに駆け付けたのがPM6:45.開演してまだ15分だったが、もう中に入る気力も残ってなかった。

 そして…終演時間。約束の喫茶室には、晴都はまだ現れない。


「おい鞠矢、ちょっと待てよ!」

 楽屋への細い廊下で、マネージャーの喬木(たかぎ)が急に腕をつかんだ。

「おつかれー。何? おっかない顔して」

 渡されたタオルがひやっとして心地よい。

「『バーニング傷心』ん時の失神、あれ」

「びっくりした? だっしょー?! もー俺ってば、もと天才子役だしー」

「阿呆!! 僕だって何年おまえのマネージメントしてると思ってるんだ?! すぐ熱計れ」

 細身のくせに、貴希を楽屋に引っ張っていく、腕の力は異様に強い。

「37度以上あったら朝一で病院だぞ」

「何―、37度なんて平熱のうちじゃん。やだね。注射嫌いだし」

「おまえなー、ツアーはまだ半分だぞ! 健康管理も仕事だ! それに今のお前なら充分38度9分はある」

「…たかぎさん、細かいね」

「特技だからね。あれ? 濱崎さん、結婚かあ」

 貴希がライブの前に読んで広げたままだった週刊誌を拾い上げる。

「今日発売だよね。すごいなーバレなかったよね全然」

(…そう、俺だって知らなかった。さとこのオンリーワンがもう現れていたなんて)

「…俺さー、近所に住んでたんだ。小学校一緒に行ってさ」

「え? 可愛かっただろ? 美少女子役だったもんな」

「うん、すごく可愛かった」

 今も目に浮かぶ。真っすぐな長い髪、ばら色の唇、大きくて生き生きした目の華やかな少女。出会ったあのとき、貴希は6歳、智子は11歳。

「だめよ、、貴希はあたしよりこんなに背が低いじゃない」

「じゃ、智子より絶対大きくなるよ、そしたらけっこんしよう」

「はいはい、あたしより背が高くなって、…一流の男になったらね」

「いちりゅう?」

「そう。何よりも大事なひと、とあたしに思わせるぐらいの」

 智子をいつも見ていたかったから、智子と同じ劇団に入った。芝居、子供心に面白いと思った。この世界で、一流になろう、と思った。

 なのに、こんなことになって、俺はまだ175㎝の智子の身長を抜いてない。

「あ、と熱、一応見なきゃ」

 38度9分ぴったり。

「やばい……」

 車の用意を終えて、喬木が戻ってくる頃である。


 終演から30分、関係者専用出口の前で待ち受けるファンの少女達。

「ちょっとー、いくら何でも遅すぎない? ほかの出口から隠れて出たかも」

「MARIAがそんなことするわけないでしょ? ちゃんとあたしたちに見送らせてくれる、そういうひとだもん」

 この時、既に楽屋はパニックになっていた。鞠矢貴希は、おそらく発熱した状態のまま、行方不明になっていたのである。

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