第10話 三人の侍

 こちらは神楽さんが前に書かれた三人の武人を元にアレンジを加えた作品です。

 宜しければそちらもどうぞ。



ヒュオゥゥゥゥゥ…………


 白い吹雪が辺りを吹き散らしている。

 雪は周りにある物を全て覆いつかさんと上から横から凄まじく吹き付けていた。

 そのあまりの強さに山の木々、崖、川のあらゆるものが白く塗りつぶされようとしている。


 そんな中に蠢く三つの影がある。


 三つの影はゆっくりと動いているのが、緩慢としており、明らかに弱っている。

 三つの影は蓑を被った侍であった。

 その三人の侍は吹雪の中、ゆっくりと前へ前へと歩んでいるが、その足取りは重い。

 その中の一人である若い侍が前を歩く侍に言った。


「利治様! この吹雪では命が危のうございます! ここはひとまず何処かへ避難せねばならないかと!」


 だが、その声を聴いた侍は後ろを振り向き、じろりと睨んだ。


「又兵衛! 我らはこの密書を早く届けねばならんのだ! そのような弱気は申すな!」


 そう叱りつける利治だが、もう一人の老侍が言った。


「若……忠義も大事ですが、命を失えば元も子も有りませぬ。どこかで休みましょう」

「むぅ……」


 老侍の言葉に鼻白む利治。

 彼は少しだけ逡巡するが、静かに俯いた。


「わかった。少しだけ休もう。とは言え、こんなところで何処に休むと言うのだ?」

「丁度あそこに灯りが見えます! 休ませてもらいましょう!」


 又兵衛が嬉しそうに指さす先にはわずかな灯りがあった。

 それを見て呆れる利治。


(見つけたから言いだしたんだな……軟弱な!)


 そう怒鳴りたいところだが、利治自身もこの状況が危険であると感じていた。

 流石に死んでは元も子もないと感じていた所だが……


(立場上、自分から言う訳にはいかない……)


 そこで利治は老侍に尋ねる。


「正綱……お前もそう思うか?」

「雪は容易く人の命を奪いまする。主たるもの危うきは避け堅きを通るべきかと」

「……わかった」


 それを聞いて利治は又兵衛に向かって言った。


「お前の言う通り、あそこで休ませてもらおう。先に行って話してくれ」

「はっ!」


 又兵衛はそれを聞いて雪の中をゴソゴソとかき分けて異常な速さで進んでいく。

 その様子を見てあきれ顔になる利治。


「まだまだ元気ではないか……」


 呆れながらもそちらへ向かう利治だが、正綱は苦笑して言った。


「人は目標が近ければ最後の力を振り絞るものです。どこまで行けば良いかわからないこの状況では力を出し尽くせないものですぞ?」

「……中々難しいものだな……」


 そうぼやきながらも利治は前へと進む。

 進みながらも正綱に言った。


「しかし……私は大丈夫なのだろうか?」

「利治様?」


 老侍が訝し気に尋ねる。


「父上が死んで半月。未だに家中も定まらぬ内からの密書を届けるご命令……不安なのだよ。殿はひょっとして我らを疎んじているのではないかと……」

「利治様……」


 正綱は不安げに主を見る。

 利治は尚も言う。


「父上が死んだのも無謀な戦の末で、それに付け加えての此度の密書……我が一族を亡き者にして土地を奪うつもりではなかろうか?」

 

 利治がそう考えるのも無理もなく、今の殿様は一言で言えば暴君だった。

 戦上手と言えば聞こえは良いが、やってることは地上げ屋である。

 領民には重税を課し、自分はひたすら奢侈に溺れる。

 利治は尚も愚痴る。


「殿は何かと我が妻である瑞季のことを気にしている。ひょっとして妻を召し上げるつもりではないだろうか?」

「若……滅多なことは言っては成りませぬ」


 そう嗜める正綱。

 すると、先行していた又兵衛が声を上げた。


「若~! 休ませてくれるそうです!」


 それを聞いて少しだけほっとする利治。

 正綱は言った。


「さ、向かいましょう。あやつは口が軽い故に話してはなりませぬぞ?」

「わかっておる」


 そう言って二人は小屋へと向かった。



「何もない所ですがどうぞ……」


 そう言って小屋に住んでいた翁が白湯を出した。

 

「これはかたじけない。ありがたく頂きます」


 そう言って全員が白湯を頂く。


(ふぅ……)


 冷え切った体に温かい白湯の温度がしみわたっていく。

 翁はおだやかに言った。


「酒を温めて入れておきました故に温まりましょう?」

「これはかたじけない!」


 翁の気配りに感謝を申す利治。

 翁は白湯を飲む利治に向かって言った。


「ここは狩人の小屋ですが、何分この吹雪で全く獲物が取れておらんのです。干飯ぐらいしかありませんがご容赦ください」

「いやいや! 寝床と白湯を頂いただけでもありがたい!」


 そう感謝を述べる利治。

 それまでは良かったのだが……


「「「「……………………」」」」


 何も話すことが無いので黙り込む面々。

 利治は考えた。


(ふーむ……こういう時は何を話せば良いのだ?)


 当り前だが、密書を運ぶという大事な仕事をしている最中なので余計なことを言う訳に行かない。

 かといってずっと黙っているのもキツイ。

 そうこうしていると、又兵衛が声を上げた。


「おじいさんは何で一人でここに居るんですか?」


 どうやら沈黙が耐えられなかったようで、又兵衛は何の気なしに話を振った。

 すると、翁は静かに言った。


「わたしは……領土を取られた間抜けな領主だったんです……」

「……えっ?」


 聞いた又兵衛の方が凍り付いた。

 翁は尚も話を続ける。


「わたしはもう少し北の……新田様という殿様に仕えていたんですがね。新田様に言いがかりをつけられて乗っ取られたんですよ……」


 悲しそうに翁は語り始めた。


 翁は昔、伊周という領主だったという。

 だが、新田川秀という殿に散々尽くした後、言いがかりとつけられて捨てられたのだ。

 その結果、命からがら逃げだすことになった。


「あたしは粉骨砕身、殿に忠義を示したのに帰ってきたのはこれですわ……ほとほと嫌になりましてな。以来、逃げ延びたこちらで鉄砲の腕を生かして狩りを行っておりまする」

「それは……辛い思いをされましたな……」


 正綱は悲しそうに翁に同情する。


「わたくしは学びました。ただ、従うだけが正しいのではないと。正義を軽んじる者に道理は通らぬと悟りました」


 一方、利治はと言えば……


(……忠義立てたところで、それに十分返すとは限らんのか……)


 何とはなしに自分の境遇と重ね合わせてしまう利治。

 今一度、自身の殿の扱いを振り返った。


(……今の殿は……治末様はやはり忠義立てても意味が無いのだろうか?)


 そう考えてしまうのも無理もなかった。

 何かと割を食う扱いばかりやらせる。

 明らかに虐めているのだ。


(そのような殿に忠義の意味など無いのかもしれない……)


 そう疑問を持ち始めた利治だが、それを察した正綱が少しだけ眉を顰める。

 そして、話題を変えようと話を切り替える。


「しかし、このような山中では楽しみなどありますまい。何か遊ばれたりはされないのですか?」


 正綱がそう言うと、翁は急にニヤニヤと笑いだした。


「それがそうとも言えんのですわ。この近くに湯治場がございましてな。そこには若い娘達も来ますのでオナゴの柔肌を覗くのがたまりませんのですわ」

「それはそれは♪」


 又兵衛が嬉しそうに相槌を打つ。

 翁はさらに嬉しそうに言った。


「大きな声では言えませんがね。そこの湯治場でお偉いさんの奥方と逢引きなさってる方が居るみたいで、しきりに『旦那を亡き者にしたい』と言っとるんですわ」

「それは……」


 渋面になる利治。

 

(どこの奥方だろうか?)


 困り顔になる利治だが、それを聞いて又兵衛が嬉しそうに尋ねた。


「ちなみにどういった方ですか?」

「それは美しいお方でして……確か名前はミズハとかミズホと言われましたかな?」


シーン……


 三人の侍が一瞬で静かになった。

 利治は冷たい汗を流す。


(まさか……我が妻が……殿と逢引きを?)


 嫌な予感がして、汗が止まらなくなる利治。

 すると正綱がこう言った。


「それだけでは何とも言えませんなぁ……ミズとつく奥方は多うございますから。瑞葉様と言えばご家老の奥様ですし、瑞穂様と言えば福島様の奥方ですからなあ……」

「そ、そうですよね……」


 又兵衛が焦り顔でそう答える。

 すると、翁が不思議そうに利治に尋ねた。


「おや? こういったお話はお気に召しませなんだか?」

「ああいや。すまぬ。少々考えることがあったのでな」


 利治は自分の妻のことが気になって仕方が無い。

 すると、翁がぶるっと震わせて言った。


「申し訳ございませぬが、年寄りには夜更かしはきついですので、先に休ませていただけませぬか?」

「ああ、すまぬ。夜の邪魔をして申し訳なかった」


 翁がそう言うと、一枚の汚い布団を持ち出す。


「これは私が普段使う布団でございます。申し訳ありませぬが、これ一枚しかございませぬので残りの方々はあそこのこもをお使いください」

「これはかたじけない」


 翁が指さした先には大量の菰が置いてあった。

 翁はそのまま菰を一抱えほど持って奥へと消えていく。

 そして、奥から出てきて言った。


「夜は寒うございましょう。囲炉裏の火はそのままにお過ごしくだされ」

「かたじけない……」


 翁はそう言って奥へと入ろうとしたその時……


「翁よ。世話になった」



 利治はただそれだけを言った。

 すると翁は少しだけ体を止めたあと、静かに後ろを向く。


「いえいえ、とんでもございませぬ」


 そう言って奥へと引っ込んでいく。

 その様子を見て訝しむ正綱。


「若。どうかなされましたか?」

「何でもない。さあ寝るぞ」


 そう言って利治はそのまま布団へと入った。

 正綱も又兵衛もその様子を不思議そうに見ながらも菰に丸まって寝た。


翌朝……


「ふわ~よく寝た」


 又兵衛が起きて辺りを見渡した。

 どうやら吹雪は晴れたようで、明るい日の光が雨戸の隙間から差し込んでいる。

 囲炉裏の火は消えており、利治はまだ寝ていた。

 正綱の姿だけが見当たらない。


「あれ? 正綱様は?」


 又兵衛が不思議そうに呟いたその時だった!


ドタタタ!


 正綱が慌てた様子で奥から出てきた。


「若! 起きてくだされ!」


 その言葉で静かに目を開けて起きる利治。


「どうした正綱?」

「大変でござる!」


 正綱の様子に又兵衛は不思議そうにしていた。


 利治が正綱に連れられて見たのは、小屋の裏にあった死体であった。

 見たこともない男で狩人のような姿をしていた。

 正綱は呻くように言った。


「恐らくはこの小屋の本当の主でしょう……」


 沈鬱な表情で言う正綱に不思議そうな顔をする又兵衛。


「えっ? じゃあ昨日のおじいさんは?」

「……恐らくは間者だろう」

「えっ?……じゃあ、これは一体……」


 まだ状況が掴めない又兵衛を尻目に正綱は尋ねた。


「若。確認いたしますが、密書はいずこに?」

「もう無い」


 利治は静かに答えた。


「えっ? 何で?」


 未だに状況を把握できていない又兵衛に正綱は言った。


「恐らくここに張り込んでおった間者が、わしらが休もうとする場所に先回りして狩人を殺し、素知らぬ振りをしたのじゃ。そこに我らがのこのこと入り込んでしまった故に密書を盗まれたんじゃ」

「そんな……」


 用意周到さに絶句する又兵衛だが、利治は静かに言った。


「……そういうことか……」


 目を瞑って今までに起きたことを整理する利治。

 そして刀に手を掛けると同時に……


ビュオン!


 又兵衛に向かって切りつけた!


 だが、利治の刀は空を切るだけだった。

 又兵衛の方はと言えば……


「あれれ?バレちゃったよ……」



 おどけた様子で距離を木の枝の上に座っていた。

 正綱は叫んだ。


「この痴れ者が! 裏切りおったな!」

「失礼な。おいらは最初から間者として入ってただけだよーだ」


 そう言ってあっかんべーをする又兵衛。

 利治は静かに言った。


「瑞季の差し金か?」

「御明察通り。あのアバズレは殿様と密通しててねぇ……あんたが邪魔になったみたいだよ?」


 あっけらかんと言い放つ又兵衛。


「先に言っとくけど、もう領地に戻っても無駄だからね。瑞季様が乗っ取ってるから。だから、逃げるしかないよ?」

「おのれ貴様!」


 そう言って斬りかかろうとする正綱だが、利治は静かに言った。


「この先に追手は居るのか?」

「居ないよ。元々密書自体があんたに失敗をさせるための命令だから」


 それを聞くと利治がうんうん唸った。


「わかった。世話になったな又兵衛」

「どういたしまして」


 又兵衛はそれだけを言うと、枝から枝へと飛び移って去って行った。

 後に残された正綱は利治に尋ねる。


「若! どういうつもりですか?」

「あやつはこう言っているのだよ。『早く逃げろ』とな」

「……何ですと?」


 訝し気な正綱に利治は説明する。


「あやつはわざとらしく主に騙された武士の話をして見せた。あれは『逃げた方が良い』と暗に教えたのだよ」

「……それは考えすぎでは?」


 正綱の言葉にかぶりを振る利治。


「あの時、話しを誘導したのは又兵衛だった。それに逢引きの情報もあえて教えたのもそのためだ。わしが下手に帰ろうとしないために教えてくれたのだよ」

「……言われてみれば……」


 利治の静かな言葉に納得する正綱。

 利治は朗らかな笑みを浮かべて言った。


「さてと。共に自由な道を歩もうではないか? この先に追手は居ない。いっそ、隣の領主に士官して仇を討つのも悪くない」

「若……」


 朗らかな若殿の笑みに諦めた笑い見せる正綱。


「さあ! 行くぞ!」


 そう言って利治は吹雪の晴れた山道へと歩き出した。


 そして、彼らのその後を知る者は誰も居なかった……

 ただ、治末なる大名とその側室である瑞季殿は隣国にあっさりと負け、二人とも苛烈な拷問の末に死んだと言われている。

 そして、その治末を倒した武将は天下に轟く猛将として歴史に名を残した。


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