第21話 王女と騎士

 泣き腫らした目をこすりながらクレナはまた暗い地下道にいた。

 カランに背負われて、さっきとは逆に厩舎に向かっている。

「あれだけ、大砲があるんだったら敵に勝てるんじゃないの? 敵は大砲を持ってないんでしょ?」

 走るカランの背中に声をかける。返ってきた答えは予想通り良いものではなかった。

「それは無理です。あの大砲は粗悪品ですし、そもそも撃ってるほうがにわか仕込みですから。敵の意表をついて時間稼ぎをするのがやっとです。むしろ彼女たちはよくやりましたよ」

「じゃあ、セレンたちは……」

「……赤眼種ロッソがここまで来てやられっぱなしだとは思えません」

 それだけ言ってカランは黙った。

 それだけで十分に何を言わんとしているかがわかった。

 クレナの脳裏に屋敷で見た赤鎧の大軍が蘇る。

 そして、ゾッとするような敵にたった10人弱で砲撃を決行したメイドたち。


 唇をぎゅっと噛んだ。また、視界がぼやける。


 暗い地下道。

 少女を背負って走る騎士の足音だけが虚しく響いた。


 ***


 カラン・キェシロフスキは困惑した。


「お願いします」

 廐舎の干し草の上でクレナが深々と頭を下げたのだ。

「おやめください。頭を上げてください」

 対するカランは困った声を出して応じるしかない。

「いいえ、上げない」

 クレナは頑固に首を横にふる。


 自分を敵軍に引き渡してくれないか。


 地下道を抜けるなり、クレナはカランにそう頼み込んだ。

 カランは大反対した。


「何度も言いますが、私にそんなことは出来ません」

 それでも、クレナは頭を上げない。

 訳ありとは言え、彼女は王族。しかも、現国王の直系。

 一介の騎士においそれと下げていい頭ではない。

「先ほど、従者長は何と言いましたか?」

 カランは優しく諭してみる。

「『お逃げください』って、そう言ったんじゃないんですか?」

 強情な頭がわずかにうなづく。

「今、彼女たちは必死に戦っています……クレナ様のために。クレナ様に生きていて欲しいから。……どうか、彼女たちの思いに応えてあげていただけませんか?」

 頭は動かなかった。逡巡するように静止している。

 幼い彼女にとっては酷な決断だろう。しかし、今は時間がない。

「逃げましょう。それが、今クレナ様にでき……」

「私ね」

 クレナが沈黙を破った。幼い声で。けれども、有無を言わせない毅然とした声で。

「本当に驚いた。うちのメイドが大砲撃ってるんだもの! 無茶なことして、って呆れたわ。でもね」

 その時、彼女は頭を上げた。その顔を見てカランは言葉を失う。

「やっぱり、嬉しかった。私なんかのために命を張ってくれる人がいるんだなって。…………自分勝手かもしれないけど」

 クレナの両の目からは涙がとめどなく溢れていた。

 けれども、

 彼女は笑顔だった。さっぱりとした晴れやかな笑顔。

 カランが初めて見る顔だった。


 そこに『悪魔』はいなかった。

 自分の瞳を憂い、自分の運命を嘆く呪われた少女はもういない。

 幸せそうに笑う少女が一人立っているだけだった。

 やめてくれ、とカランはとっさに目をそらした。


「私はもう満足よ。……だから、せめて彼女たちには生きていて欲しい。そう思うのはおかしい?」

「……おかしく、ないです」

 そういうのがやっとだった。

 カランは長年被ってきた兜が急に重くなったのを感じた。

 本館に連れて行くのは逆効果だったか、とため息をつく。

 今更、後の祭だ。

 それに、

「……その笑顔は反則ですよ」

 廐舎の天井を仰いでひとつ。

 カランはクレナの顔を見た。

「わかりました」

「ありがとう!!」

 クレナは無邪気にはしゃいだ声を出して、カランの手を握る。

 やめてくれ、とカランは再び思う。クレナからのスキンシップはかなり嬉しい。でも、自分が死ねると決まってこんなに楽しそうにするなんて……。

 あんまりだ。

 無垢な笑顔にカランはそっと付け足した。

「勘違いしないでください。わかった、と言っても『せめて彼女たちには生きていて欲しい』の部分だけです」

 えっ、とクレナが見上げてくる。

 カランは胸を張った。鎧に描かれたカラスの刻印が陽光を受けてキラリと光る。


「私は騎士です。クレナ様を守り、クレナ様の大切な人を守る。それが騎士の勤めです」






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