第20話 煤にまみれた白いエプロン

 クレナの目に飛び込んできたのは、マントールピースの置かれた小さな部屋。

「この部屋って……」

 そう、ダエマ邸の中央階段の脇に洞穴のように作られたイングルヌックだ。

 クレナは先ほど取り外した蓋をしげしげと見やる。それは、ソファの座面だった。

 てっきり、この地下道はダエマ邸の敷地外に通じていると思ったのに、それがまさか、屋敷の中につながってるいるとは……。


 その時、再び割れんばかりの砲撃音。

 その迫力たるや厩舎や地下道にいた時と比にならない。地震のように暴力的な振動がダエマ邸本館を襲う。

 クレナは梯子に手をかけたまま思わず首をすくめてしまう。

「大丈夫ですよ」

 クレナの下で梯子につかまるカランが優しくそう言った。

「そもそも、王国軍の監視をくぐってきた敵軍に大型砲の輸送は不可能ですから」


 彼女は何を言ってるんだろう?

 不可能も何も現にこうして屋敷は砲撃を受けている。

 一体何が大丈夫なのだろうか?


 しかし、クレナの疑問はイングルヌックを抜けてダエマ邸の2階に上がった瞬間に解消されることになる。


 ***


「レーナ、ローズ! 二人は南側の応援に行って!」

「「 了解! 」」

「第四砲、装填完了しました!」

「よし、じゃあ今度は10時方向に発射して。さっきと同じく当てようとしなくていいから」

「わかりました!」

「先輩、西側の弾が切れたのでもらっていきますね」

「ああ、うん、……絶対に落としちゃだめよ!」

「ジュー長、目標時間まであと10分です!」

「了解! 皆んな聞こえた? あと10分よ! それまでなんとしてもここを死守! 王族メイドの意地を見せなさい!!」

「「「 了解!! 」」」


 目の前の光景にクレナはただただ唖然とするばかりだった。これが驚かずにいられるだろうか。

 ダエマ邸2階を走り回るメイドたち。メイド服にタスキを掛けて、袖をたくし上げている。

 そんな彼女たちの前には窓の外を向いて整列した大砲。

 カランの「大丈夫ですよ」の意味がようやく理解できた。ダエマ邸本館は砲撃を受ける側ではなく、砲撃する側だったのだ!

「……どうして?」

 廊下で立ち尽くすクレナは呆然として呟く。

 頭の中にいくつもの『どうして?』が浮かんでいた。


 どうして、大砲を撃ってるの? (あなたたちメイドでしょ……)

 どうして、戦ってるの? (敵軍は近衛騎士団を壊滅させたのよ……)

 どうして、逃げないの? (あなたたちまで殺されるわよ……)


 クレナの背後にカランが立ってそっと囁く。たくさんの『どうして?』にに対する短い答えを。


「あなたは一人ぼっちなんかじゃない、ってことですよ」


 クレナは振り返ってカランの鉄兜を見つめた。


「あの大砲は王国軍の払い下げです。性能はクズ同然の量産品ですが作りが単純なので撃つだけなら彼女たちにもできます。

 襲撃を受けた時、今通ってきた地下道でクレナ様を廐舎まで逃し、そこからは私とともに敷地外に脱出。本館に残ったメイドは敵がその逃走に気づかないように時間稼ぎをする。そんな作戦でした」

 時期外れにメイドたちが二階に何かを『搬入』していた。

『非常時の備えです』

 セレンがそう言っていたのは……。

「じゃあ、皆、私を逃がすために?」


 カランが静かに頷いた。


 体の底に響くような炸裂音。

 硝煙と火薬の臭いが一層濃くなる。

 遠くから男たちの汚い罵声が聞こえる。

 窓の外に赤い鎧をまとった兵士の大群。

 ……百人はいるだろうか。

 ゆらゆらと木々の間をうごめいている。

 クレナはぞわぞわと鳥肌が立つのを感じた。

 あんなの大軍を相手にするなんて……。

 



「クレナ様……?」

 困惑した声音で自分の名を呼ばれた。振り返ると、メイドたちの指揮をとっていたセレンが立っていた。

 とっさにカランがクレナの前に歩み出て、深々と頭を下げた。


「すまない。作戦と違うことをして……」

 カランの殊勝な態度にセレンは何かを察したのか、優しく微笑んだ。

「頭をお上げください、伯爵。きっとクレナ様が逃げるのを嫌がられたのでしょう?」

 セレンはカランの脇を通ってクレナのそばに歩み寄ると、しゃがみこむ。小柄なクレナと目線の高さが同じになった。

「もう作戦はお聞きになられました?」

「たった今ね。どうして、私に黙ってたのよ?」

「だって、知っていたら反対なさるでしょ?」

「当たり前でしょ! あなたは時々やることが強引よ」

「え〜」とセレンは場にそぐわないおどけた声を出した。

「そこは、『私のことをよくわかっててセレンは偉い! 』って褒めて頂きたかったな〜」

 セレンは笑った。いつもと変わらない笑顔だった。

 けれど。

 彼女がいつも丁寧に洗濯していた白いエプロンは真っ黒な煤にまみれていた。

 彼女の白い腕は、慣れない大砲を扱ったせいだろうか、所々赤く火傷をしていた。

 クレナの胸が締め付けられるように痛んだ。

「何で、あなたたちは逃げないのよ……」

「私たちが逃げたらクレナ様のことをお守りする人がいなくなるじゃないですか」

「そんなことしなくていいんだって!!」

 クレナは必死に叫ぶ。


「私一人が死ねばそれで……」


 突然クレナの全身がふわりと温かくなった。

 セレンに抱きしめられていた。


「どうしてよ……」

 セレンの温もりを感じながら出す声はどうしても弱々しくなってしまう。

「私のせいであなたたちは『流罪』になったんでしょう?」

「ええ」

「私のせいであなたたちの同僚は死んだのよ?」

「ええ」

「私は『悪魔』なのよ? 緑の目をした『悪魔』なのよ……」

 クレナはまぶたを堅く閉じる。そうでもしないともう我慢できそうにない。

 セレンがそっとクレナの髪を撫でた。風呂上がりに髪を乾かしてもらったあの日のように優しい手つきで。

「クレナ様は本を読むのが大好きで……」

 他愛無いおしゃべりのように、セレンが口を開いた。

「夢中になるとお手洗いに行くのも忘れて、よく『失敗』されますよね」

「……うん」

「そして、性懲りもなく隠蔽する」

「……ごめんなさい」

「あと、お歌を歌うのも好きでよくお風呂で楽しそうにしていますよね」

「うん」

「最近は王族の自覚が出てきたのか、前はメイドたちにべったりだったのに急に素っ気なくなりましたね」

「……」

「でも、本当は甘えたいんですよね。セレンはわかっているんですよ?」

 セレンはぎゅうとクレナを抱きしめた。

 温かかった。そして、とても静かだった。まるで世界に二人しかいないかのように。


「瞳の色が何ですか? 何が『悪魔』ですか? そんなことは関係ありません。…………たとえ何があろうとクレナ様は私たちの可愛いご主人様ですから」


 堅く堅く閉ざしていたまぶたはもう限界だった。熱い目頭からこぼれ落ちる雫。

 クレナは泣いた。

 幼い子供に戻ったかのように、声をあげて。

 セレンは昔のように背中をさすってくれた。


 ***


 相次ぐ砲撃音。

 揺れる屋敷。

 男たちの怒声は先ほどよりも近づいてるようだ。

 女たちの走り回る音が激しくなる。


 甲高い叫び声が辺りに響く。

「敵兵です! 書斎の窓の下に!」

 メイドたちの顔がとたんに険しくなった。

「今、行く!」

 数人が書斎へと走った。


 彼女たちの時間稼ぎももう限界のようだった。


 セレンは堅く抱きしめた腕を緩める。

 クレナはセレンの顔を見上げた。

 その青い瞳は濡れていた。

 クレナの緑色の瞳となんら変わりなく。


 怒号、悲鳴、硝煙、爆音、振動、熱風、異臭、鮮血、そして、煤にまみれた真っ白なエプロン。

 瀟洒しょうしゃな洋館の日常はもう跡形もなく消え去った。

 それでも、セレンはクレナにいつも通り微笑みかけてくれた。


 彼女は優しく言った。


「お逃げください、クレナ様」

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