第19話 行くべき道は。

「離せ! この変態! 本当に……」

 どんなにジタバタと暴れようとも、カランの鉄板で覆われた腕はガッチリとクレナを捕まえて離さない。

 カランはクレナを抱えたまま、廐舎の奥に向かうと隅に積まれた干し草の山を足でどかす。

「えっ」

 山がどかされた後を見て、クレナは思わず目を見開いた。干し草が積んであった廐舎の床に木製の扉が現れたのだ。

 カランが片手でその扉を開けると、真っ暗な穴へと続く階段が現れた。

「隠し通路です」

 廐舎の床にそんなものがあるなんて、クレナは全く知らなかった。けれども、敵の目を欺いて逃げるための通路など今のクレナには無用の長物にしか思えない。

 どっちにしろ死ぬなら、潔くここで死ねばいい。

 そう思ってカランに必死の抵抗を再開しようとした時……。


 地を揺らすほどの砲撃音。


 クレナは思わず小さな悲鳴をあげてしまった。

 一発や二発ではない。鼓膜が張り裂けそうな爆音を響かせ、何発も。

 そして、その音は全て本館の方から聞こえてくる。


「ちょっと、待ってよ……」

 クレナはぞわぞわと肌が粟立つのを感じた。


『我々の要求はクレナ・ダクマーズの身柄だ。引き渡されしだい、即時撤兵することを約束しよう』


 敵はそう高らかに宣言した。

 それならば、もしクレナが投降を拒否したら?

 カランとともにダエマ邸から逃走したら?


「ねえ」

 恐々と何の感情も読み取れない鉄兜を見上げた。

「メイドたちは……もう逃げたの?」


 砲撃音は鳴り止まない。

 その振動は廐舎にも伝わり、屋根を支える梁から砂埃がパラパラと舞う。

 カランはクレナの質問には答えなかった。

 その代わりに兜の奥からきっぱりとした声が響いた。


「行きましょう」


 ****


「人殺し」

 クレナの小さなつぶやきは暗闇に溶けたように掻き消されてしまう。

 薄暗い地下道に響くのは、クレナを抱えて走るカランの足音と断続的な砲撃音。

 岩盤がむき出しの地下道の壁から時折水滴が落ちてきてクレナの頰を濡らす。

 暗闇を照らすのはカランの小さなランタンのみ。一体いつから用意していたのだろう?

「着きましたよ」

 しばらくしてからカランがそう言ったとき、クレナの目の前に現れたのは上へと伸びる一本の梯子。

「これで、上に……」

 カランがクレナの方を見てくるが、クレナは唇を引き結んで断固として応じない。

「……わかりました。このまま行きましょう」

 声に諦念をにじませ、カランはクレナを抱えてない方の手を梯子に伸ばす。兜は梯子の先の方を見て……


 今だ!


 クレナは渾身の力を振り絞って拳を突き上げた。クレナを掴んで離さないカランの脇の下に。

「きゃぁ!!」

 地下道に響くのはすごく女の子らしい悲鳴。……そうだ、この変態、女だった。

 カランの腕が緩んだ隙にクレナはするりと抜けだした。


「引き籠もりを甘く見るな」

 悶絶するカランに向かってクレナはボソリと捨てゼリフ。


 有り余るほどの時間と活力。

 他にすることもないので、それら全てを読書に回す。

 すると、本の内容はスルスルと吸収されていく。

 クレナは知っていた。

 鉄の鎧プレートアーマーの構造上の弱点を。

 人体の急所を。

 二つの条件の結節点。それこそ、『脇の下』。


 戻らなくてはならない。

『悪魔』はクレナ一人だ。他の人間が死ぬ必要はない。


「私が死ねば、それでいいんだ」


 皆がそれで幸せになる。もう、クレナのために誰かが不幸になることもない。


 いいや、違う。


 皆のためなんかじゃない。そんな高尚な理由じゃない。

 結局、自分のためだ。

 もう嫌なのだ。

『悪魔』と囁かれて生きることも。

 他人に見捨てられて生きることも。

 他人の不幸の上に生きることも。


 何もかもを捨てて、引きこもってしまうくらいに。


 クレナは元来た方へと駆け出した。

「そっちじゃ、ありませんよ」

 背中にかけられるカランの声。

 あの変態め、もう復活したか、と内心では舌を巻きつつクレナは振り返らない。

 けれども、続く言葉に思わず立ち止まらざるを得なかった。


「クレナ様の行くべき道は、こっちの方が近道です」


 振り返ると、カランが梯子の先を指差している。

 その気になれば、いつでもクレナを捕まえられるだろうに、直立不動のままで。

 クレナを連れていく出まかせにしては雰囲気が妙だ。

『行くべき道』という表現が気になった。あてもなく逃げるのではなく、まるでそこに何かががあるような……。


「本当に?」

 クレナは問う。

「本当にその道に私は行くべきなの?」

 兜の奥で見えないカランがフッと笑ったような気がした。気のせいかもしれないが。

「美少女に嘘はつきませんよ」


 ***


 結局、クレナは梯子を上っていた。

 一番上に達すると上に何か蓋のような物が乗っていて、そこから僅かに光が漏れている。下から登ってきたカランがその蓋を取るように指示した。

 言われた通りにクレナは両手を広げて押し上げる。

 瞬間、地下道に白い光が降り注いだ。


「あっ」


 地下道の出口の景色を見てクレナはそんな声を漏らした。
















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