第15話 瞳

 アリシア王国には二つの人種が存在する。

 青い瞳に銀髪の青眼種アズーロ

 そして、赤い瞳に金髪の赤眼種ロッソ


 神話の時代よりこの国は青眼種アズーロの国であり、代々ダグマーズ家によって治められてきた。

 状況が変わったのは100年前。遥か西の『帝国』より海を渡ってきたのが赤眼種ロッソだった。彼らはその圧倒的な軍事力を背景に瞬く間に王国を占領。ダグマーズ家を追放し、王国を植民地にしてしまった。

 しかし、『赤の時代』はそう長くは続かなかった。追放されたダグマーズ家の指揮の元、王国各地で青眼種アズーロが武装蜂起する。折しも、赤眼種ロッソの祖国である『帝国』は内政混乱状態にあり、遠い異国に援軍を送る余裕がなかった。

 技術で勝れど、数に劣る赤眼種ロッソは次第に劣勢になり、ついに70年前、ダグマーズ家は王座に返り咲く。

 けれども、『青の時代』も順風満帆とはいかなかった。王政復活後も赤眼種ロッソは徹底抗戦の姿勢を貫いた。彼らは王国北部の山岳地帯に籠って、王国軍と泥沼の戦い、『北方戦争』を繰り広げている。

 70年経った今もなお……。


「しかし、戦線はファジールよりもさらに北方のはずです。赤眼種ロッソではないんじゃ……」

 困惑を隠せずにセレンが呟くと、カランは兜を横に振る。

「『王国軍の精鋭相手に奇襲を成功させる』こんな芸当、素人には無理だ。……70年に渡ってそれを究めた北部の連中以外はな。それに……」

「それに?」

赤眼種ロッソ軍にとってダグマーズ家は敵の象徴そのもの。たとえ、戦線の突破なんて危険な真似を冒してでも、」

 セレンはカランに皆まで言わせず、引き継いだ。

「ダグマーズの王女であるクレナ様を殺したい……」

 その声は力なく沈んでいた。

『王女のファジールへの引っ越しは静養のためではなく、彼女の抹殺のため』

 ダエマ邸内から従者が相次いで去るのと前後してそんな噂が広まっていた。

 セレンにとって受け入れたくないその噂が、今、信憑性の高いものとして提示されている。

「従者長殿」

 兜の奥から響く凛々しい声は真剣に訴えかけてきた。

「女だけで、しかも、私以外は非戦闘員メイドだけで赤眼種ロッソ軍から、この屋敷を守りきるのは不可能だ」

「ええ」

 セレンは頷く。カランの言う通りだと思ったから。

 たとえ、自分たちがどんなに頑張ってもこの屋敷の運命は決まっている。

 そうなると、セレンがとるべき行動はもう一つしかない。

「伯爵……」

「ん?」

「……逃げましょうか」


 ***


 ダエマ邸の敷地は広い。

 かつての子爵の邸宅はファジールの有り余った土地を惜しみなく使うかのように広大だ。端から端に行くだけで骨が折れる。

 これだけ広いと手入れをするのも大変で、現在きちんと整備さされているのはクレナが寝起きする本館くらい。敷地の端の方はすでに周囲の森林と見分けがつかないくらいに藪に侵食されている。

 朝露に濡れた雑草を踏み分けながら、クレナはそんな敷地奥の建物を目指していた。

 昨晩まで昏睡していた少女が早朝からこんなことをしていたら、メイドたちが心配する。急がなくては……。

 クレナの目の前に現れたのは木造の長屋のような建物。廐舎きゅうしゃだ。少し前まで騎士団の馬で賑わったであろうこの場所も、今はひっそりとしている。

 クレナは廐舎の入り口に立つと大きな声で呼びかけた。

「お邪魔するわ!」

 その声に反応するように、手前に積まれた干し草の山がモゾモゾと動く。

「誰だ、こんな朝っぱらから。私は今眠いんだ…………って、クレナ様!?」

 その大仰な驚きに干し草の山が崩壊する。山のあった場所が朝日を受けてキラリと輝いた。

「あなた、寝るときまで鎧を着てるのね」

 呆れながら呟くクレナの前に、「あわわ……」と奇襲にうろたえているカランがいた。

 クレナはそれを見てニヤッと頰が緩む。いつも奇襲を受ける側だったので、この反応は気分がいい。

「知ってる?廐舎ってお馬さんが寝るところよ?」

「知ってますよ!」

 カランが慌てて居住まいを正しながら抗議する。

「屋敷を警備するのにこの位置で待機するのが丁度いいんです。鎧を着てるのもそのためで……。いや、そうじゃなくて、なぜクレナ様がこんなところに……」

 と、言いつつ、カランは何か閃いたようにポンと手を叩く。

「なるほど!」

「え、何が?」

「一人で寝るのが寂しくなっちゃいました?風邪とか引くと人恋しくなりますもんね〜」

 カランはくるりと振り返ると散らばった干し草をせっせと整え始める。

 あ、まずい、とクレナは察する。この変態、寝起き数十秒で調子を取り戻している……。

「違う、私は……」

「大丈夫ですよ。寝室を訪ねてきた可愛い女の子を無下にはできないですから!!」

「ちょっと……」

「ウフフ……美少女と添い寝……ハァハァ……」

「いや、しないから!! 大体、ここ寝室じゃなくて馬小屋だから!」

「あ、それなら、私がクレナ様の『お馬さん』に……」

「もう、黙れーーーーー!!」

 クレナは顔を真っ赤にして叫ぶ。このままじゃ埒が開かない。

 さっさ、と言うべき事を彼女に言って帰ろう。

「……とう」

 けれども、いざ改まると思ってたようにはいかない。ボソボソと呟いたクレナに「は?」とカランが兜を傾ける始末。

 ああ、もう!!


「助けてくれてありがとう!それが言いたかっただけ!」


 夜勤のメイドから倒れているクレナを発見したのはカランだと聞いた。いつもの奇行には辟易していたが、さすがに礼を言わねばならない。覚悟を決めてやって来たのだが案の定、疲れた。

 さあ、もう終わったし、帰ろう。

 踵を返すクレナ。その腕をそっと掴まれる。

「お待ちください、クレナ様」

「何?」

「その……」

 クレナが背後を振り返る。いつもの変態騎士が立っている。けれども、雰囲気がいつもと違ってえらく神妙で……。

「少し、お話しませんか?」

「何、急に?」

「いえ、ちょっと素直に振舞ってみようかと……」

 本当に何なのだろう?

 クレナは訝しがりながら鎧をしげしげと眺める。

 そして、ため息をついた。

「少しだけなら……」

 変態の頼みなら一蹴できても、命の恩人(一応)の素直な頼みだ。

 無下にはできなかった。


 ***


「昨日、大広間で何かあったのですか?」

 クレナの横に座るカランが訊いた。

 二人は、廐舎の壁に背を向けて並んで干し草の上に腰を下ろしている。

 膝を抱えるように座るクレナの返答は少し間が空いた。

「……あれは何かあったって言えるのかな」

「と言うと?」

「昨日、久しぶりにお母様の声を聞いたの。もちろん幻聴なんだろうけど……」

『お母様』と聞いたとき、カランの鎧がピクリと震えた。

「それは、ダリア・ダグマーズ様?」

 カランはアリシア王国皇太子の正妻の名を挙げた。クレナは「ええ」とうなづく。

「『お前など生まれるべきではなかった』、そうおっしゃってたわ」

「そんな、ひどい事を!?」

 カランが驚いた声。無理もない、とクレナは思う。誰だって『久しぶりに聞いた母親の声』と言われれば、もっと温もりのあるものを想像する。

「お母様は私のことが嫌いだったの」

「そんな……」

「でも、しょうがないと思う。私の見た目が『悪魔』そのものだから……」

「何を言ってるんですか!!」

 カランは身を乗り出して抗議する。

「可憐な美少女ではありませんか!流れるような銀髪、雪のように白い肌、可愛らしいお声……。こんな悪魔がいるなら、私は喜んで魂を売りに……って、クレナ様!?」

 カランの抗議はおしまいまで行かなかった。

 突如立ち上がったクレナが馬乗りになって彼女を押し倒したせいで。

 鎧の騎士は受け入れるように倒される。衝撃で何本かの干し草がふわりと宙を舞った。

「……クレナ様?」

 カランが戸惑った声を上げるのをクレナは上から見下ろした。

「勘違いしないで。お世辞が嫌いなだけだから」

 クレナはそっと顔をカランの兜に近づける。兜の奥からふわりと甘い香水の香りが漂う。ああ、やっぱり女の人なんだな、と無関係な感想。

「……ちょ、ちょっと!」

 いつもの奇行からは考えられないようにカランは焦っている。だが、クレナは無視してさらに顔を近づける。薄い鉄板一枚を隔てて触れんばかりに近づく二人の顔。お互いの吐息がはっきりと聞こえる。

 クレナは兜の格子状の覗き穴を覗き込む。廐舎が薄暗くてカランの顔はよく見えないが、クレナの顔は見えるだろう。


「よく見なさい。私の瞳を」


 アリシア王国には二つの人種が存在する。

 青い瞳に銀髪の青眼種アズーロ

 そして、赤い瞳に金髪の赤眼種ロッソ


 大きく見開かれたクレナの瞳。


 その瞳の色は青ではなかった…………









 そして、



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