第14話 赤

 「やっちゃった……」

 クレナの寝室を後にしたセレンは暗い廊下でそっと目元を拭った。

 歩きながらじわじわと後悔の念が押し寄せる。

 なんだって、私はあんなに取り乱して……。

 自分と10歳も年の離れた少女の方がよっぽど不安に苛まれているというのに。

 一人で反省会を開く。だから、前方が不注意になっていて……。

「きゃあ!」

 突然何かに蹴つまずいて、体がよろめいた。

 しかし、倒れそうになったセレンの腕はがっしりと掴まれる。

「大丈夫か、従者長殿?」

 そう言って目の前に立っていたのは夜な夜な屋敷を徘徊する鉄甲冑のお化け……ではなくカラン・キェシロフスキ。

「え、ええ」

 ホッとしたのも束の間、セレンは浮かんだ疑問を瞬時にぶつけた。

「何していらっしゃるんですか?こんなところで」

「え、その……屋敷の警備をな」

「一応、夜勤のメイドもおりますよ?」

「あ、ああ……」

「伯爵がしっかり休んでいただけないと、いざという時、戦闘要員がいなくなってしまうのですが……」

 と言ってからセレンはふと気づく。

「もしかして、クレナ様のことを心配して?」

 びっく、とカランの肩が反応したのが鎧の上からでもわかった。そして、しおらしく兜がうなづく。

「安心してください。先ほどお目覚めになりましたよ」

「本当か!!」

 大声を出したカランに向かって、セレンは慌てて人差し指を自分の口に当てる。

「お静かに。まだ、安静にされる必要がありますから」

「す、すまない……」

「そんなに心配なら寝室にいらっしゃればよかったのに。クレナ様が倒れているのを見つけたのは伯爵なんですから」


 今日の昼ごろ、クレナの『失敗』した寝具を外で洗濯していたセレンは屋敷の中から甲高い悲鳴を聞いた。何事かと思って駆けつけると大広間の前で気を失ったクレナを抱えたカランと鉢合わせした。

「帰ってきたて、たまたま大広間の戸が開いてて覗いたら……」

 と、おろおろするカランを慌ててクレナの寝室に上げた。

 幸いというべきか、脈にも呼吸にも以上はなく意識を失っているだけのようだった。

 一段落ついてからクレナは背筋に悪寒が走るのを感じた。

 もし、もっと深刻な病気の発作だったりしたら?

 もし、カランが大広間を覗かなかったら?

 屋敷の仕事で手一杯のメイドたちに少女を発見することはできただろうか……。


「伯爵に対して少し苦手意識を持っていらっしゃるようですけど、命の恩人とわかれば無下にはできない方ですよ」

 セレンがそう言うと、カランは難しそうに手を組んだ。

「しかし、伏せっている時に私なんかが行っても大丈夫なんだろうか?」

「……はい?」

「嫌われたらいやだな〜、と……」

 セレンがぽかんとすると、カランは必死に弁解を始めた。

「いや、だって、あれだろ。元気な時でさえ心を開いてくれないのに、病床にまで押しかけたらそれこそ好感度が……」

「あの」とセレンはおずおずと口をはさむ。

「もしかして、木に登ってクレナ様の部屋を覗いたり、お風呂に潜伏してたのって……」

「もちろん、クレナ様と仲良くなるためだ!私はあのお方を一目見たときから可愛さにやられているからな」

 なぜか、堂々と『クレナ様大好き宣言』をしてくる。

「伯爵って、」

 セレンはおもわず苦笑いしながら、

「思春期の男の子みたいですね」

 好きな女の子にどう接していいか分からなくて奇行に走るくせに、肝心な時にへたれてしまうような男の子……。

 当の本人は「失礼な!私は女だ!」と変なところでつっかかってくる。

 さて、この騎士になんと説明すべきか。

 セレンが考えあぐねていると、兜の奥から拗ねたような声。

「そりゃ、私のクレナ様への接し方は変わってるかもしれないが……」

 あ、その自覚はあったんだ。

「でも、仕方ないじゃないか!騎士なんて女の子に関わる機会は皆無!それなのに、あんな可愛い女の子の前で平静を保つなんて無理……」

 と、カランの主張は尻すぼみ。

 それを見てセレンはクスリと笑う。確か今朝もこんな風にションボリしてる子がいたな、と。

「大丈夫ですよ。クレナ様は心優しい方です。素直に接すればちゃんと伯爵のことを分かってくれますよ」

 励ましたつもりだったのだが、カランはため息をついた。

「私も従者長殿みたいになりたかった……」

「え?」

「二人は深く分かりあってるようで、正直……すごく羨ましい」


 セレンの胸の奥がズキッと痛んだ。

 カランはきっと何の他意もなく本心でそう言ったのだろう。

 でも、今のセレンには皮肉にしか聞こえなかった。それは、ナイフのように鋭くて……。

 逃げるように話題を変えた。

「伯爵は今日の昼ごろ外出されてましたね」

「ああ、屋敷周りの調査をな」

 その一瞬でセレンはカランの声音が深刻なものになったのを感じた。

「近衛兵の部隊を壊滅させるんだから、何者かと思ってみれば……」

「敵の正体がわかったんですか!?」

 セレンは驚きの声を上げる。カランは兜を振った。

「ああ、赤眼種ロッソだ」

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