第13話 セレン
周囲のどこを見渡しても真っ暗な空間。
全てが死に絶えたような静寂。
その中にぽっかりと浮かぶ自分の身体。
上下左右も分からないのに、段々と沈んでいくのを感じた。
いや、違う。
沈んでいるんじゃない。同化しているのだ。自分の身体が漆黒の闇と。
もう、抗う気力も残されない身体はなすがまま。
意識が薄れる。その中で、
「クレナ様」
ふと左手に温もりを感じた。
***
クレナが目を開けると、見慣れた天蓋がゆらゆら揺れるランタンの灯りに照らされていた。
ぼやけた視界の中には、先ほどまでクレナを取り囲んでいた暗闇は見当たらない。花柄の毛布ときれいに整えられたシーツ。自室のベッドの上だった。
「……夢、か」
気味の悪い静寂も浮遊感も、もうない。
けれど、
「セレン……」
横たわったクレナの左手はまだ温もりを感じていた。
ベッドの脇に控えて手を握っていた若き従者長の返事は一拍遅れた。
「……あ、クレナ様!」
彼女は安心したように長い溜息をついた。
「良かった……」
「私、確か、大広間に……」
「そうですよ。大広間の真ん中で気を失っていらっしゃったようです」
クレナはそっと視線を動かした。寝室の窓の外はもうすっかり日が暮れ、夜の森が広がっている。
一体、自分はどれだけ昏睡していたのだろう?そして、セレンは……
「ねえ」
ぼんやりと窓の外を見たまま、クレナは訊いた。
「ずっとそこにいたの?」
「ええ、と言っても今は少しうつらうつらしていましたが……」
セレンは恥ずかしそうに笑った。
「寝てれば良かったのに……」
「クレナ様の一大事とあってセレンが寝ているわけにもいきませんよ」
クレナは窓の外を見たまま、セレンの顔を見ていない。でも、その言葉が彼女の素直な気持ちだとわかる。そんなこともわからないほど、このメイドとの関係は短くない。
けれども、いや、だからこそ…………。
クレナは暗い森を見やったままボソリと言った。
「さっさと出て行けばいいのに……」
「えっ」
驚いた声にかぶせるようにクレナは続ける。
「どうせあなたもこの屋敷を出て行くんでしょ?王族の従者長なんて言えば、受け皿なんていくらでもあるだろうし」
「いや、何をおっしゃって……」
「それなのに何これ?」
クレナはセレンに一瞥もくれずに、握られた左手を揺すった。
「趣味?それとも、都落ちした哀れな王女への同情?いいわよね〜、再就職に困らない人は余裕があって」
「違います、そんなんじゃなくて」
「何が違うのよ!!」
突然、クレナは激昂し、握られた手を乱暴に振りほどく。
声を震わせながらクレナは呟いた。
「ミハエル・ノイマン、サーシャ・テイル、エミル・セスナー、ジニー・コイル……」
「ちょっと、クレナ様……」
「ワルジェ・ランス、セルリア・モードン、オイウス・シンカー、ユーベル・マイノウス……」
セレンがおろおろしているのがわかってもクレナはやめない。そして、最後の名をあげた
「ヴァード・シャンディス」
「……みんな、いなくなったじゃない」
「それは……」
と、セレンは答えに窮している。当然だ。事実は否定できない。
あはは、とクレナは乾いた笑い声を漏らした。
「当然よね。皆んな、こんなとこで働きたくないもの。それは私も十分わかってるから、責めるつもりはない。でも、それなら静かに去って欲しい。下手に優しくされるのが一番迷惑」
重苦しい空気が寝室を支配している。それでもセレンは口を開いた。
「そんなの……悲しすぎます」
「悲しい?」
「ええ」
ああ、まったくこのメイドは……。
「あのねぇ、従者長。悲しむ必要なんてないの」
クレナはとびっきり明るい声を作った。
「だって、私は『悪魔』な…………」
「いい加減にしてください!!」
突然部屋に響いた怒声。
その声量にクレナはびっくと身をすくませる。おずおずとセレンの方を振り返った。
いつも落ち着いたメイドは、その白い顔を紅潮させベッドの脇に立ち上がっていた。
彼女の両拳は固く握られ小刻みに震えている。
「そんなこと、おっしゃらないでください。…………必要がなくても、私は悲しいですから」
それだけ言うと、彼女は深々と頭を下げる。
「申し訳ありません。大変お見苦しいところをお見せしました」
そのまま、彼女は逃げるように寝室を後にした。
静かになった寝室。
一人になったベッドの上でクレナは枕に顔をうずめた。
「バカだな、セレンは……」
彼女が深々と頭を下げる時、それは彼女がクレナに顔を見られたくない時だ。
でも、さっきは頭を下げるのが遅すぎた。
クレナはしっかりと見ている。彼女の青い瞳が濡れているのを。
「ホントにバカだ……」
たとえ、セレンがクレナを見捨てても、この屋敷で自分の道連れにすることに比べれば何倍もマシだというのに。
クレナの頰を一筋の雫がつたう。
拭おうと伸ばした左手は、まだほのかに温かかった。
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