第12話 声
〜『 あらすじ 』〜
引きこもり王女・クレナは突然現れた変態騎士によって、やむなく引き籠もりを中断。そんな時、クレナは10日前の凄惨な事件の現場であった大広間が開いているのを見つける。クレナは再び大広間に入ることを決意した。
* * * * * * * * * * * *
『事件』から10日ほど経って、クレナの前に広がった大広間には暖かな光が満ちていた。
開放的な高い天井には見事なシャンデリア。薄紅色の下地に金の模様を施した壁紙。南向きに並ぶ大きなガラス窓からは柔らかな陽光が降り注ぎ、生き生きとした庭の緑が見渡せる。
緊張した面持ちでクレナは足を踏み入れた。部屋に置かれた荷物は少なくなっている。仕分けが終わってあるべき場所に移されたのだろう。包丁で刺されたような穴の開いた木箱はもう見あたらなかった。
積まれた荷物の間を縫うようにして進み、恐々と広間の真ん中を伺う。
おびただしい血しぶきの跡…………は無かった。
少しホッとする。
よく見ると絨毯が張り替えられているようだ。
うちのメイドたちは優秀だ、とクレナは思う。少なくなったとは言え、部屋の荷物を全て取り出して絨毯を張り替えるのは大変な作業だったろうに……。
この部屋であの凄惨な事件が起きたなんて嘘のようだった。
そうだ、あの晩のことは全て夢だったんだ……。
その時、クレナの瞳が広間の隅のガラス窓を捉える。
「そんなわけないか……」
ガラス窓に開いた大きな穴とそれを塞ぐように張られた白いシーツ。
隙間から風が入り込んで、シーツの端がパタパタと音を立てて揺れた。
ペルーニが逃亡のために作った穴だった。
『事件』の翌朝、ペルーニは彼の同僚たちによって屋敷北西部の森林で発見される。……増水した川の
ヴァードの遺体がどうなったのか、クレナはよく知らない。ただ、やはり罪人として処分されたらしい。ピエモンドにいる彼の娘たちはどうしているのだろうか……。
『事件』はダエマ邸内部の人間に大きな波紋を与えた。
クレナのファジールでの『静養』に付き従った人々、ヴァードの言葉を借りるなら『流刑』を言い渡された人々は大いに動揺した。
彼らは突然の片田舎への転属に対する不満を持っていた。
転属先のファジールで近衛兵が相次いで負傷する事態に恐怖を感じていた。
義務感、責任感、王家への畏怖の念でかろうじて抑えられていたその不安や恐怖を爆発させるには、邸内での殺人は十分すぎるものだった。
櫛の歯を挽くように次々と屋敷から人が去った。
あの晩、ヴァードを『始末』した騎士も、あの後、呆然とするクレナを介抱したメイドたちも、気づけば皆いなくなっていた。
クレナの物心つく前から仕えていた慣れ親しんだ顔もいつしか見えなくなった。
「行かないで」
「一人にしないで」
去りゆく彼らの背中にそんな言葉を掛けることはできなかった。
だって、自分は『悪魔』なのだから。
クレナにできることは、そんな背中を見ないように、ただ書斎に引き籠もることだけだった。
そうして、久しぶりに出てみると、がらんとした屋敷には数人のメイドと新入りの騎士だけになっていた。
おもむろにクレナは広間の真ん中に行き、そっとひざまづいた。祈るように胸の前で手をあわせる。
午後の日差しを受けてじんわりと温まった絨毯にその痕跡はない。
けれども、確かにこの場所だ。長年仕えてくれた料理人が最期を迎えたのは。
「クレナ様……」
あの時、彼は本当にそう言ったのだろうか?
それともクレナの願望だろうか?
最期の瞬間、彼の青い瞳はクレナをどんな風に移したのだろうか?
やはり、『悪魔』だったのだろうか?それとも……。
分からない。
確かめる術も無いし、分かったところでもはや何の意味も無い。
クレナにできるのは静かに手を合わせることのみだ。
『……え……』
その時、かすかにさざめく雑音が聞こえた気がした。突然のことにクレナは顔を上げてあたりを見回す。
『……まえ……い……』
大広間には誰もいない。それなのに雑音はどんどん大きく、明瞭になっていく。
『……まえ……いだ』
それは、もうはっきりと人の声だと分かった。透き通るように美しい女の人の声。クレナは顔から血の気が引くのを感じた。
どうして?王宮からはあんなに離れたのに…………。
『お前のせいだ!!』
いやっ、とクレナは両耳を塞ぎ、絨毯の上に崩れ落ちる。
だが、女の声は止まらない。
『お前が殺したんだ』
「違う!私じゃない!」
『お前は周囲に不幸を招く』
「やめて!」
『呪われた子よ。お前など…………」
クレナは痛いほどに必死に耳を押さえつけ、ギュッと目を閉ざす。その行為が無駄だとは知りつつも……。
『生まれるべきではなかった』
***
荷物が積まれた大広間の真ん中。
幼い少女が目と耳を閉ざしてうずくまっている。
その小さな肩は寒くもないのにワナワナと震えていた。
聞き取れないほど、かすかな呟きがその口から漏れる。
「……ごめん……なさい…………」
少女がそれ以上の言葉を発することはなかった。
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