第9話 本音

 やっとの思いで階段にたどり着き、全て降り切ったところでクレナはおやっ、と立ち止まった。

 人の声が聞こえたような気がした。

 1階の廊下を進みながらその思いは確信に変わる。

 大広間への扉がほんの少し空いていて、声はそこから漏れている。

 かつては貴族の晩餐会などで使用されたであろうこの部屋は、現在クレナの荷物や食料の一時保管場所になっている。こんな夜分に人の出入りする必要など全くない場所だ。

(まさか、泥棒?)

 途端にクレナの顔は強張る。

 ピエモンドに比べてファジールの治安が良くない事は知っていた。屋敷周辺の警備を担当する兵士が相次いで負傷している事も。とうとう邸内にまで……。

『逃げなきゃ!』

 心の中でそう叫ぶ自分。

 そんな自分を必死に抑え込んだ。

 逃げちゃダメだ。

 今、この屋敷のあるじは自分なのだから。

「私は誇り高き青眼種アズーロ、300万人の民を慈愛の光で導くダグマーズ家の人間……」

 クレナはたった一つの心の支えである火を消して、扉の奥に入る。幸い、扉の軋む音は雨音にかき消された。積まれた荷物の影に隠れて中の様子を伺う。

 ランタンが置かれていた。暗闇の中、照らし出されるのは二人の男の影。

 ゴソゴソと動く屈強な男とまごつく太った初老の男。

 その姿を見てクレナはハッと息を呑む。どちらも見知った顔だったから。

「ペルーニさん、あの、本当にやるんですか?」

 太った方はビクビクしながらもう一人に話しかける。

「何言ってんだよ、おっさん。ここまできて」

 ペルーニと呼ばれた屈強な男は、自分の親くらいに年の離れた相手にぞんざいな口調で応じた。

「で、ですが!王家の品に手を出すなんて大罪。見つかれば自分どころか、家族の命も……」

 ふん、とペルーニはつまらなそうに鼻を鳴らす。

「口ではそんな事言って、あんた、俺に貴重品のありかを教えたよな」

「それは……」

「あんたも薄々感づいてんだろ?この屋敷の人間に未来がないのを」

「え……ええ、まあ」

 太った男はせわしなく瞳を動かしながら言葉を詰まらせる。犯罪行為を前にして精神が不安定になっている様子。

「そ、そりゃあ、いくら王女様のお付きとは言え、王都からこんなに離れた田舎町の派遣なんて……る、流刑るけいみたいなもんじゃないですか。ピエモンドには私の娘だっているのに……」

「それで、腹を立てて盗みに手を貸す気になったってか?」

「でも!それはほんの気の迷いで、やっぱりこんな事……」

 煮え切らない協力者に、ペルーニは軽蔑のこもったため息をついた。

「あのなぁ、料理人コック。『未来がない』ってのはそんな意味じゃねーよ。お前たちが屋敷の中でぬくぬくしてる間、俺たち騎士団が何を見たと思う?」

 ペルーニは大きく目を見開いて、太った男にグッと顔を寄せる。



 たった一言の囁き。けれど、本当に『地獄』を見た者にしか語り得ない生々しさがこもっていて……。

「屋敷の警備中、俺たちは突然襲われた。敵を視認する余裕もない。気づけば、森の中で仲間がバタバタ倒れていく。……仮にも士官学校卒の近衛兵の部隊がだぞ?」

 武人の気迫に一介の料理人は口もきけない。彼の額にはうっすらと脂汗が浮かぶ。ペルーニは嘲笑うように続けた。

「王女は静養のためにこの地に引っ越した、ってことになってる。そんな建前があるから王女たった一人のために大勢のメイド、料理人、騎士が付き従った。

 だけどなぁ、俺は王宮の連中の本音は違うと見てる」

「ほ、本音?」

「王女の抹殺だよ。森の中で蠢いてるの手によってな。俺たちはそのお飾りとして一緒に消されるのさ」

 瞬間、太った男の顔から血の気がひき、その手足が小刻みに震え出す。

「そんな、馬鹿な……ありえない。だって、国王自らがおっしゃったんですよ。

『王女は神に選ばれし子である』と。そんな方を抹殺なんて……」

「それだって所詮、建前だ。よく考えろ。神の名の下に青き御旗を掲げる国の王女がだぞ?ありゃ、呪いだ。言うなれば、クレナ・ダグマーズは……」

 ペルーニのぞっとするほど冷たい声が広間に反響した。


「……悪魔だ」



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