第7話 ドレスを着たい悪魔。

 翌日。

 ダエマ邸の中央階段。幅広で赤い絨毯の敷かれたこの大階段は脇がくり抜かれ、洞穴のような小さな部屋になっている。マントルピースが置かれたイングルヌックと呼ばれる部屋で、ちょっとした秘密基地のようで面白い。

 現在、屋敷で利用するものはいなかったが今日は別だった。

「あら、こんなところにいらっしゃたのですか」

 洗濯籠を持ったセレンが小部屋の前を通りかかる。

 クレナはイングルヌック内に置かれたソファの上で膝を抱えて座っている。白くて小さな膝小僧の上にあごをのせ、いじけた顔。

「お姿が見えないので、また、昨日までのように閉じこもっていらっしゃるのかと」

 クレナは口を閉ざしたまま、フルフルと首を横に振った。

 そりゃ、私だってそうしたかった、とクレナの内心。

 でも、できなかったのだ。



 昨日、セレンに頭を乾かしてもらった後、書斎に戻った。やっと、自分の世界に帰れると安堵しながら扉を開けた。

 すると、

「お帰りなさいませ、クレナ様!」

「またか!」

 部屋の中にいたのは、カラン・キェシェロフスキ。頭部を全て覆った兜と堅固な鎧、腰に下げられた武骨な剣。およそ、少女の居室を訪問するには似つかわしくない格好。

「ここは、私の部屋よ。今すぐ出て行きなさい」

「まあまあ」

 いや、まあまあじゃなくて!

「僭越ながら、クレナ様にお土産を献上したく参上しました」

「はあ?」

 ……そんなものいらないから出て行って!

 クレナがそう叫ぶのも待たずに、カランはしゃがみこむと足元に置かれた重そうな黒いトランクを開ける。

「ちょっと!待ちなさいよ!」

 この騎士が渡すものなんて、どうせろくなものじゃない。

 そう、思っていた。

「はい、クレナ様!」

「あっ」

 カランが掲げたものを見てクレナは言葉を失ってしまう。

 それは、見事なドレスだった。

 思わずそっと手を伸ばしたくなるような滑らかな白い生地。

 よく見ると草木を模した繊細な刺繍。

 全体的に優美さが漂う中、胸元にあしらわれたリボンが雪原に咲く一輪の花のようで可愛らしい。

「妖精のドレス……」

 クレナは無意識にそう呟いていた。まるで、絵本の中の妖精たちが着ているようだったから。

「ピエモンド中を探してもなかなか手に入らない一品でございます。気に入っていただけましたか?」

「う、うん」

 悔しいが素直にうなづいていた。妖精の魔法のせいだ。そうに違いない。

 ドレスに吸い寄せられるように半歩前に出た。

 そこで、魔法はあっけなく消えた。

「……はぁはぁ……」

 兜の奥から漏れる荒い吐息。

「美少女が……はぁ、この可愛いドレスを……うふふ」

 あっ。

 我に帰るクレナ。そうだ、相手は危ない大人だった……。

「あ、えっと」

 慌てて後ろに下がるも、カランは何かのスイッチが入ったかのようにグイッと間合いを詰めてくる。

「さあ、クレナ様!着ちゃいましょう!絶対に似合いますから!」

「い……」

「い?」

「いやぁぁぁぁぁぁ!!」

「あ、ちょっとクレナ様!!」

 クレナは風の如く書斎から逃げ出していた。



 その後も、

「クレナ様〜!」

 と、カランは頻繁にクレナの前に出没した。

 今朝だって、ダエマ邸の廊下に見慣れない甲冑の飾り(カラスの刻印あり)があって、若干プルプル動いていた。クレナは必死に目を合わせないで通り過ぎたが。

 そして、イングルヌックでいじける今に至る。

「伯爵を教育することは出来ましたか?」

 洗濯籠を持ったメイドに早速痛いところを突かれた。

「……これから」

 だって、仕方ないじゃない、とクレナは思う。

 相手は神出鬼没。現れたと思えば、すぐに自分のペースに持っていってしまう。おまけにずっと兜をかぶっているから表情もわからない。結局、逃げ出してしまうのはクレナの方。館の主でありながら騎士一人まともに御せない自分が情けない。

(それに、今朝はもう一つ嫌なことがあったし……)

 でも、セレンの前でそんな無様な態度をとり続けるわけにもいかない。丸めた背中をしゃんと伸ばし、意識して落ち着いた声を出した。

「安心しなさい。『アリシア王国は一日にしてならず』よ。今は相手の出方を伺う段階。すぐにあの変態騎士を私の前にひれ伏させてやるわ」

「さすがです」とセレン。

 言ってるうちにクレナもちょっと調子が戻ってきた。

「まあ、当然よ。だって私は300万人の民の上に君臨するダグマーズの人間よ」

「ご立派です」

 そう言いながら、セレンは持っていた洗濯籠の中身をクレナに見せた。

 白いシーツ。

 あっ、バレた。

「クレナ様も9歳ですから、夜寝る前にお手洗いに行かれた方がよろしいかと」

「……」

「あと、証拠の隠滅はおやめください。昼近くになってからの洗濯だとベッドメイクのメイドが困ってしまいます」

「……ごめんなさい」

 また、しゅん、としてしまう。

「私、失敗ばっかりだ」

 落ち込むクレナにセレンは優しく微笑みかけた。

「いいじゃないですか。失敗しても。クレナ様はまだお若いんです。失敗するのがお役目ですよ」

「セレン……」

「でも、隠すのはダメですよ」

「うっ」

 クレナは決まりの悪い顔。

 それを見てセレンは笑う。年の離れた妹をからかう姉のように。

「セレン!!」

 思わず、そう叫んで彼女に抱きついてしまいそうになる。セレンはそんなクレナを優しく受け止めてくれるだろう。

 でも、クレナは叫ぶことも、抱きつくこともしなかった。

 できなかった。

 十分理解していたから。

 自分にそんな資格なんてないことを。



 だって、私は…………。




 









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