第2話 メイドは2度ドアを叩く。

 「クレナ様!もう七日ですよ!さすがにお体に障ります。ここから出ていただけませんか?」

 セレン・トルーニャは悲痛な声音で固く閉ざされた暗褐色の扉をノックする。

 だが、返事はない。

「クレナ様!」

 もう一度呼びかけると、今度は中で人の動く気配。

 瞬間、パッと顔を輝かせるセレン。やった!思いが通じたんだ……。

 扉の向こうから可愛らしい少女の声が聞こえた。一音一音をイヤにはっきりと発音する声が。

「 い 」「 や 」「 だ 」「 ! 」

 その時、部屋の主に代わって何か出てきた。扉下の隙間から黒く光沢のあるそれがカサカサと……。

「ひっ!」

 息を呑んで視線をそらす。とてもじゃないが直視はできない。そんな醜態を扉奥の少女に悟られぬよう声だけは強がった。

「ク、クレナ様!セレンがこんな虫けらごときに……」

 カサカサ、カサカサ、カサカサ……。

「ああ、もう、無理!」

 扉に背を向けると一目散で廊下を駆け出す。

 恥ずかしさと悔しさで白い頰を真っ赤にしながら。



 首都ピエモンドから早馬で駆けても丸三日はかかる北方の田舎町、ファジール。

 その中心市街から外れた森の奥にその洋館はひっそりと立っていた。

 かつての家主である子爵の名をとって『ダエマ邸』と呼ばれている。

 堅牢なレンガ造りでありながら、明るい色合いと技巧を凝らした装飾が目を引く瀟洒しょうしゃな洋館。館の南側に堂々とそびえる尖塔は、まるで城郭のよう。

 もっとも、

「所詮、『まるで』じゃない」

 と、『静養』のために引っ越して来た現在の家主はあまりお気に召さないらしい。まあ、ピエモンド出身だから仕方ないが……。

「困ったものね」

 セレンは一時休戦して一階廊下のガラス窓を掃除中。

 窓の外にはうららかな陽光の差し込む中庭。

 こんな天気のいい日に彼女の主人は引き籠もり続ける。籠城場所が自分の寝室ではなく、書斎というのが我があるじらしいけれど。

 ふと視線をずらすと、セレンはガラス窓に自分の憂い顔が映っているのに気がついた。

 青眼種アズーロ特有の青い瞳と、肩で切りそろえられた銀白色の髪。

 清潔な白のエプロンと伝統的なメイド服を着込んだ彼女こそ、弱冠20歳でありながら、この館のメイドを束ねる従者長。

 まあ、現在この屋敷にいるメイドの数など両手の指が余ってしまうほどだが……。

 ピタリ、とセレンの窓を拭く手が止まる。

 今かすかに、でも、確かに人の声がした。それは、たぶん、

「……悲鳴?」

 二階からだ。

 もしやクレナ様の身に何か?

 血相を変えて駆け出した。

 廊下を左に折れて、立派なシャンデリアが吊るされた玄関ホール。

 そこで、

「セレ〜〜〜〜ン!!」

 切羽詰まった叫び声と階段を駆け下りる音。セレンが振り向くと、

 うぐっ!!

 みぞおちに衝撃。

 言葉にならない悲鳴をあげて、彼女は華奢な身体をの字に曲げて悶絶。

「ご、ごめん」

 セレンの前で小柄な少女、クレナ・ダグマーズはぶつけた頭をさすっていた。

 フリルの付いたワンピースの部屋着を着た可憐な9歳の女の子。

 白銀に輝く綺麗な長髪は乱れ、雪のように白い頰は興奮で朱に染まっている。

「い、いえ……この、程度なんとも……」

 ニコっ。

 セレンはメイドの矜持きょうじで必死の笑顔。

「あの、本当にごめん」

「ご心配なく。クレナ様に轢死れきしされるなら、まあ、諦めます」

「いや、諦めないで!何その歴史に残りそうな死因……」

 セレンは呼吸を整えつつ顔を上げた。

「さすがクレナ様、轢死れきし歴史れきしを……」

「違う!断じて違う!」

「で、どうなされたのですか?」

 狂った調子を整えるようにクレナは大きく息を吸う。深刻そうなトーンで言った。

「出たの」

「何がですか?」

「暗者」

 は?、とセレンがキョトンとすると、クレナはこほんと空咳を一つ。違う意味で頰を赤く染めている。

「……暗者よ!」



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