お逃げください、クレナ様!〜引き籠もり王女vs鎧の女騎士〜

下谷ゆう

クレナ様は引き籠りたい

第1話 そして騎士も街を去った。

 アリシア王国の首都ピエモンドは白と青の街だ。

 均整のとれた石畳が並ぶメインストリート。その両側に連なるのは精緻な彫刻に彩られた白亜の建築群。月灯りと窓から漏れ出る光に照らされた美しい夜の街並みを、生来の銀髪をきらめかせた紳士淑女が闊歩かっぽする。

 彼らの瞳は皆一様に深く澄んだ青色だ。

 青眼種アズーロである彼らはこの青を誇りにし、街のいたる所に青く染められた王家の旗を掲げている。

 通りの一角、青いひさしがトレードマークの酒場。

 陽気な弦楽合奏とグラスを片手に談笑する声が夜の街に響く。

「……いい気なもんよ」

 白銀の髪を揺らしながら少女はため息をついた。彼女は店の前の通りで大きな酒樽を転がしている。店で切れた酒を倉庫から移送する任務中。

 お父さんがやりなさいよ、と心中では店主である父に不満の嵐。

 お客さんの相手があるから、と面倒を娘に押し付け、きっと歓談中だろう。話題はどうせいつもと同じ。賭け事か、ゴシップか、王国北部の戦況か……。

「あれっ」

 突然、樽はいくら押してもビクともしなくなった。下を見ると道の段差に樽が引っ掛かっている。

「もう、面倒臭いな〜」

 彼女は両手を樽の下へあて直すと、抱え込むようにして渾身の力を振り絞る。

 エイッ!

 その一瞬、樽がふわっと軽くなった。勢い余って浮いてしまったらしい。

 まずい、と思った時にはもう遅い。段差を乗り越えた樽はゴロゴロと通りを転がっていく。運悪くその方向は下り坂。

「ちょっと、待って!」

 慌てて追いすがるも樽はどんどん加速。あっという間に引き離される。

 ああ、もうなんてついてない!

 そう思った時、下り坂の途中で樽がピタリと回転をやめた。

 少女は目をこらす。薄闇の向こうで誰かが樽を押さえている。

 全身を鉄の甲冑プレートアーマーで覆った騎士だった。胸部の板金には飛翔する黒いカラスの刻印。

 青白い月光を受けてその全身はぼうっと浮かび上がるように光輝いている。道の先に見える王家の宮城を背景にして、まるで一枚の絵画のよう……。

 酒場の少女は思わず見惚れてしまうが、その騎士の胸元が目に入ったとき、慌ててひざまずいた。そこにあったのは国王より下賜された金色の徽章きしょう

「あ、あの……大変なご無礼を!ど、どうかお許しくださいませ!」

 庶民のさがで反射的に頭を下げてから、あれ、こんなことする前に早く樽を回収すべきじゃないか?、と気づく。

 すぐに顔を上げると向こうから騎士が樽を転がしてくる。なんとあの大樽を片手で軽々と。しかも、上り坂なのに!

 呆気にとられる彼女の元に易々やすやすとたどり着くと、騎士はヒョイっと横になった樽を立てる。また坂道を転がらないように、らしい。

「別に構わない。それより怪我はしていないか?」

 鉄兜の奥から凛々しく落ち着いた声。少女は頰を赤く染めてしまう。

「え、あっ、はい……」

「それなら良かった」

 そう言い残すと騎士は颯爽とその場を離れ、道端で待っていた黒い馬にまたがった。

「気をつけるんだぞ」

 騎士は手綱を引き、風のように走り去った。王宮とは反対方向の闇の中へと。

 彼女は恍惚としてその後ろ姿を見送った。

 耳の奥では今かけられた声がこだましている。兜によって少しこもった美しい声。

 その声を聞いた時、彼女は少し意外に思ったのだ。あの樽を片手で軽々と転がせたのに、


「女の人だったんだ……」

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