第5話 じゃあね
「待ちなさいユウ君! 観念してお姉さんにハグされなさい!」
「…………!!」
「もー可愛いんだから! おいで! ほら! この胸にうずめなさい! うずめたくない? ほれほれ」
菜穂は、顔を真っ赤にして逃げる夕輝をからかって遊び。
「お兄さん彼女居ないんすか? 嘘だあ」
「居ない居ない。会社じゃ俺は糞ガキだよ。誰も相手してくれない」
「ええ~っ。こんなに格好良いのに! あたし立候補しちゃおっかな~」
八恵子は兄をやや本気ぎみに口説き始めた。
「ありがとう」
「んー?」
「こんなに笑ったの、ほんと久々」
「いいって。こんなのいつもだよ。朝葉は知らないだろーけど」
ケーキを皆で食べて。私は深月とお話していた。
「でも確かに、朝葉とは保育園から一緒なのに、遊んだ記憶は無かったなー」
「そうだね。……色々あったから」
「…………」
私は、友人に恵まれた。これは確実に言える。兄も、会社では恵まれていると言っていた。事情を察してくれて、いつも早く帰して貰っていると。立場が弱いから、どうにかなってしまわないように色々と便宜を図ってもらっているらしい。
夕輝も、友達は減ってしまったけれど、新しくできた友達は賢く、彼の成長を手伝ってくれている。
私達家族の境遇を知ってなお、悪さをしようと近付いてくる人は居ない。それは本当に、奇跡のような幸運だと思う。
「そろそろ帰るね。あたしら……」
「えっ?」
呟いて、深月が立ち上がった。そのまま菜穂をドツいて、八恵子をシバいた。
「さあほら、帰るよあんたら! いつまでも馬鹿やってんじゃない! もうこんな時間なんだから!」
「ええー! はい! あたしたちこんなに愛し合ってます先生! ね! ユーウ君?」
「…………!!」
「明らかに嫌がってんだろが! 離れろ痴女が。……八恵子!」
「ちぇ……あと少しだと思ったんだけどなぁ」
「社会人のお兄さんがおめーみてーなド貧乳相手にする訳ねーだろ。ほら立った立った。荷物持て。忘れモン無いか?」
物凄い速さで、てきぱきと片付けていく。広げたポテトチップス。チョコレート。ケーキの取り皿。あらゆるゴミを全て袋に詰める。私達がこの後、片付けなくて良いように。
「なんだってそんな急ぐのさ深月ちゃん」
「馬鹿。兄弟水入らずも必要だろーが。あの兄弟がこれまでどんだけ、辛い思いしてきたと思ってんだよ」
そして、あっと言う間に玄関に集まった。
「じゃね、朝葉。また明日」
「うん。本当に、ありがとうね。皆」
「いーって! あたしらの仲じゃんかよ」
「ああぁ……お兄さぁぁん」
「まだ言ってんのかこいつ」
バタン。
シーン。
「…………」
バイバイと、振った後の手がしばらく硬直していた。
嵐のようだった。
「ふう。やれやれ。大宴会だったな」
兄がぽつりと呟いた。
「うん。……ごめんね? 騒がしくなっちゃって」
「良いって。寧ろ俺達は騒がなさすぎたんじゃないかって。あの子達見て思ったわ。なあユウ。……ユウ?」
「……あはは。多分『遊ばれ』疲れて寝ちゃってるね。あのままだと風邪引いちゃう」
「じゃ、俺は風呂入ってくるわ。……誕生日、おめでとうな」
「ありがとう。大切に使うね」
彼女達が残していった余韻なのか、しばらくずっと笑顔だった。夕輝もどこか嬉しそうな表情で眠っていた。
――
「しょっ……と。いやあ、昔は余裕で抱っこできたのになあ」
すやすや眠る夕輝を布団まで運ぶ。歯磨きをしてないけど、まあ今日くらいは仕方無い。
「あ……」
ふと外を見ると、雨が降っていた。いつ降り始めたのか。
彼女達、傘を持って居なかった。大丈夫だろうか。確か家まで結構あったと思うけど。
「…………」
割と薄着だった。風邪を引いてしまう。
まだ、追い掛ければ間に合う距離だ。ぱぱっと行って、傘を渡して、ささっと帰ってこよう。寧ろ、傘を借りに戻ってきてるかもしれないし。
――
「よっと。うわ、結構降ってるなあ」
5月の今頃は、まだ少し肌寒い。急がないと。ああ、私もまだお風呂入ってなかったな。丁度良い。帰ったらすぐに入ろう。
――
ドアを開けた、瞬間。
男の人が目の前に立っていた。
――
ここはアパートだ。2階の角部屋。うち以外の部屋に用事があるようには、見えない。
「え…………むぐ!」
まず、口を押さえられた。声を出させない為だろう。だけどあまりに勢いが強くて、体勢を崩してしまう。
「あっ。あっ。……朝葉ちゃぁん……」
「~~~~っ!!」
怖い声がする。脳全体を揺らすように。恐らく私の名前を今、呼んだんだ。
多分押さえられてなくても、声を出せなかったと思う。
怖い。
「ほら」
「!!」
男の人が、黒いコートのポッケから出したのは、ナイフだった。市販の、どこからでも手に入れられそうな。
それだけで、全身の血が抜かれていく感覚になった。
助けは。
兄は入浴中。
夕輝は寝ている。
絶体絶命。
「……!! ん――んん!!」
「ぅ! こら、大人しく……!!」
ふたりの顔を浮かべると、恐怖は少しだけ、別の方向へ向いた。
ふたりと会えなくなる方がずっと怖い。私は力の限り、暴れた。
「んんんん!!」
「くそっ! ……この!」
すると遠くから。開けっぱなしのドアの中から。
「……おーい、朝葉~? あれ、ユウと一緒に寝ちまったか?」
「んんー! んんんーんん!!」
「……!?」
外から入ってくる雨音。兄は異変を感じてくれた。
「畜生! この!」
「んっ…………」
直後に、男の人の歯軋りと。
私の頭部に激痛が走った。
「…さ…はぁ!!」
「…………!!」
最後に兄の声のようなものが耳に入って。
私は痛みから、意識を手放した。
――
「………………」
次に目を覚ました時には、私は病院のベッドだった。
「え…………?」
状況の理解が追い付かなかった。何で、どうしてベッドで寝ていたのか。
「あっ! 艷山さん!? 起きました!?」
「えっ…………」
看護師のひとりが、私を見た。慌てた様子でこちらへやってくる。
「具合はどうですか? どこか痛みますか? 自分のこと、覚えていますか?」
「…………えっと」
思い出した。
「……玄関で、襲われて。頭を打って」
「ええそうよ。艷山さんは丸1日以上気を失っていたのよ」
「…………そう、なんですか」
「まずは、何かお腹に入れましょうか。はい、お水」
思い出した。
「姉ちゃんっ!!」
「ユウっ」
私が起きたと聞き付け、荒々しくドアが開かれる。周りの患者さんを気にしないそよ様子は、相当焦っているようだった。
「……良かった」
「ユウ。ありがとう。まだ少し頭が痛いけれど、大丈夫だよ」
「ああ…………」
私の顔を見て少し口角を上げた夕輝は、でもすぐに表情に影を落とした。
「お兄ちゃんは?」
「!」
そうだ。あの後、どうなったのだろう。私がここに居るということは、助かったということだと思うけど。
「そ。それが…………」
「?」
「取り敢えず、落ち着いてからにしましょう。その様子だと、明日明後日には退院できると思います。お食事、持ってきますね」
言い淀む夕輝を遮って、看護師さんがそう言った。
何だろうか。
まさか。兄に何かあったのだろうか。
――
結局その日はそのまま夕輝も帰って。私もまだ身体がしんどくて、食べてすぐまた眠った。
「艷山朝葉さん、ですね」
「……はい」
次の日。病室にやってきたのは、警察の人だった。
嫌な予感、と言うより、嫌な気持ちになった。
その人は、私に1枚の写真を見せた。
男の人だ。
「誰か分かりますか?」
「…………もしかして、私を襲った人ですか?」
あの日、外は暗く、雨も降っていた。はっきりとは覚えていない。
「名前は肩口荘平と言います。36歳独身。お知り合いでは?」
「……いえ。知りません」
「事件当日ですが。喧嘩をしていると近隣住民の方から通報があり、我々が駆け付けた時。現場にはあなたのお兄さん……艷山真也君が、アパートの前に立っており、その足元に肩口荘平さんが、頭から血を流して倒れていました」
「……っ!」
「そして、205号……艷山さんの自宅の扉に挟まるように、あなたが倒れていました」
警察の人は、淡々と説明していく。
「あなたと肩口さんは病院へ。真也君は話を聞くために署まで同行してもらいました」
「…………それで、今兄は……」
冷たい目で、私を見る。自分の心臓の音が聞こえる。
「その後肩口さんは、病院内で死亡が確認されました」
「!!」
死亡。
それは。
私の質問には、その後答えてくれた。いや、してもしなくても教えては貰えただろう。
「艷山真也君はその場で罪を認め、我々が確保しました」
「えっ…………」
頭が真っ白になった。
――
その後の質問や説明は。何も入ってこなかった。ただ訊かれたことを答えた。ストーカーの話や、家の事は全部話した。
相手方の家族は名乗り出ず、裁判にもならなかった。身元……というか、身辺者の確認の途中だと言う。それ以上は分からない。
兄はその間、ずっと拘留されることになる。夕輝や私の話、当日一緒に居たあの子達の話を聞いて、正当防衛であったとは分かってくれた。だけど兄本人が、望んで拘留されているらしい。
『ぶっ殺すに決まってんだろ』
いつか聞いたその台詞が、頭の中で再生された。
「兄に、会えませんか?」
「今は無理です。それに、本人も拒んでいるようです」
勿論、会社は解雇だ。そして、その件で出た損害を賠償しなくてはならないということになった……らしい。
「姉ちゃん! 無理すんなって!」
「…………ええ」
正確には、一応の保護者であった親戚の人に責任追及があって。
そのお金を、お父さんとお母さんのお金から作りなさいという話だった。詳しくは分からない。ただそう、言われた。
「……終わった」
頭に包帯を巻いたまま退院して。
銀行で、振り込んで。親戚の人からの電話で確認して貰って。「じゃあね」とすぐに切られて。
ぼそりとつい、口を突いて出た。何が、とは言えない。
「……これからどうするつもりですか? もしあれだったら……」
警察の人が訊いてきた。私はこれ以上、何にも関わりたくなかった。
「大丈夫です。私と、夕輝で。やっていけます」
抑揚の無い掠れた声でそう言った。
親戚は丁度、遺産の全額を私達から奪って行った。
弁護士か何かに頼れば、いくらかましになっていたかも知れないけれど。
今度こそ本当に、無一文になった。
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