第4話 パーティ
高校生になった。兄は社会人2年目。夕輝は6年生だ。
「そ言えばさ。朝葉の誕生日っていつ?」
「へっ?」
私は仲良くして貰っている子と同じ高校に入った。まあ近場で選んでたまたまだったんだけど。
ふと訊かれた。確かにそんな話はしたことが無かった気がする。
ちょっと固まってしまった。
「…………えっと。いつだったっけ」
「嘘! ワロス」
「あはは……えっとねえ。そう。5月10日だよ」
「朝葉~っ」
「ごめんごめん。……今まで、自分でも気にしてなかったから」
「てか5月て! 来月じゃん! ヤバ!」
「……なんで?」
「馬鹿! どうせ今までやってなかったんでしょ!? やるよ!」
「…………??」
「お兄さんも弟さんも、予定開けさせといてよ! 絶対! 勿論あんたも!」
「………………えっと。うん、分かった……?」
誕生日か。結局、夕輝にと買ったあのゲームはずっと私の部屋に、封を開けられないまま置いてある。多分もう、あれは最新じゃなくなってるから、今更渡すわけにもいかない。勿体無いことしたなあ。
――
今月から新聞を配達する、私の担当区域が変更になった。前より少し遠くまで配達して、前より少し、遅くなる。
釣られるように、買い物が終わる時間も少し遅くなる。
そして急ぐために少しだけ、街灯の少ない道を歩くことになる。
私も随分と体力が付いたもんだと、我ながら思う。3人分の食料を、学生鞄と一緒に両手に提げて。
早くしないと、夕輝が帰ってくる。
「?」
街灯に照らされた背後の影が、動いた気がした。
振り向く。だけど、誰も居ない。そりゃそうだ。この道は前から、人通りの少ない道だ。
「えっ!?」
声が。
出てしまった。
「!」
するともう隠れる気が無いのか、ガサガサと音を立てて去っていった。
……『隠れる』?
――
次の日も。
気配を感じた。誰かの視線を感じる。まあ、別に私だけが使っている道でもないのだし。普通に毎日ここを通る人な可能性の方が高い。この時間に通り始めたのは私の方なのだし。
――
次の日も。
「きゃっ!」
また。声が出てしまった。父の時と言い、これは私の癖なのかもしれない。
道路反射鏡に。明らかに。
私を見ている男性が映っていた。
「…………!」
もう多分、間違いない。不審な挙動をはっきり見た。
怖い。
また。あの時の恐怖が、私を蝕み始めた。幸い、まだ距離がある。
何とか動く足を使い、全力で家まで駆けた。
「はぁ……! はぁ……! げほげほ」
「姉ちゃん? どうしたんだよ」
バン、と。勢いよくドアを開けて入った私を、夕輝が吃驚した表情で迎えてくれた。体育以外でこんなに必死に走ったことは無い。勢いよくドアなんて開けたことは無い。
「取り敢えず靴脱いで上がらないと。……それ卵割れてない?」
「はぁ……! あ……」
「ほら、荷物渡して。先風呂沸かしたけど良いよね?」
「……うん。ありがとう」
夕輝も、私の様子を見て異常だと感じてくれたようだ。色々と気を遣ってくれた。
「もう兄ちゃんも帰ってくると思うけど。待つ?」
「…………うん」
夕輝のその様子を見て、落ち着いた。いつの間に、こんなに気を遣えるようになったのだろう。思えば背もうんと伸びている。もう私も抜かれているかもしれない。
――
しばらくして、兄が帰ってきた。いつも通り、ちょっと早めに上がらせて貰ったんだ。
「……ストーカーか」
「うん…………」
本当は、仕事で疲れている兄に要らぬ心配は掛けたくないけれど。それでもやっぱり、怖いものは怖い。
「まあ朝葉は美人だからなあ」
「ちょっと……茶化さないで」
「大真面目さ。なあユウ」
「?」
兄は私の話を聞いて、そこまで大事には捉えていないようだった。そして、話を振られた夕輝を見て。彼も同じように頷いた。
「分かってるよ」
「良いなユウ。姉ちゃんを守れ」
「えっ」
兄に言われる前に。ユウは口を開いていた。
「こんな貧乏な家だが、よくそこまで育ったな。そのガタイはなユウ。家族を守る為にある」
「分かってるって」
「えっ。……えっ」
そう言えば。去年まではよく、ふたりで一緒に帰ってくることもしばしばあった。何か内緒の話をしていると思っていた。男同士の、話を。
これだ。
「勉強を早めに切り上げて、新聞社へ寄って。一緒に買い物して、護衛しながら帰ったら良い。そもそも定時じゃないからって、買い物も全部姉ちゃんに任せっきりだったのもおかしいんだ」
「…………ユウ」
いつの間に。こんな事を言えるようになったのだろう。まだ6年生なのに。
「ストーカーなんてぶっ殺してやるって」
「はは。それは駄目だユウ。ぶっ殺したらこっちが悪くなっちまう」
「じゃ兄ちゃんは、姉ちゃんが襲われてたらどうする?」
「ぶっ殺すに決まってんだろ」
「な?」
「ちょっと。もう、何ふたりで盛り上がってるの」
「あははっ!」
「はっはっは…………」
ふたりはひとしきり笑った後、急に私を見て。
「安心しろ朝葉。これ以上頼りになる護衛はいないぜ」
「…………!」
「そもそも買い物の件は前から思ってたし。丁度良いや。なあ? 姉ちゃん」
いつにも増して、優しい言葉を掛けてくれる。そうだ。私は昔から、すぐに表情に出てしまう。落ち込んだ時。辛い時。元々大人しい性格でもあるから、分かりやすいんだ。
「ありがとう……。じゃあ、お願いね、ユウ」
「任せてよ」
ユウはもう、我が儘を言う子供じゃない。寧ろ私を守ってくれる。
頼りになる自慢の弟なんだ。
――
それから、毎日ユウと一緒に帰ることになった。
彼はこの2年で、とてつもなく成長している。身体だけじゃなく、心も。頭もうんと良い。成績もぐんぐん伸びている。
この前までのユウじゃないみたい、と言ったら、まあねと胸を張っていた。
「授業が終わると、図書室に居るんだ。塾に行ってないのに滅茶苦茶勉強できる奴が居てさ。教わりながら、俺も勉強してる」
「……あの、ヨーカイのお友達?」
「いや。あいつらとはもうツルんでないよ。ゲーム無いし。それより、勉強してた方が後々有利じゃん。国公立行った方がお金掛からないし」
「えっ。そんなこと知ってるの?」
「……まあ、そいつに教わってるだけなんだけどさ。俺の夢。良い大学出て、良い会社に入って、うんと稼いで、ふたりに楽させてあげるって」
「……!」
楽しそうに、きらきらした目で語るユウ。それを見るだけで、なんだか泣きそうになってしまった。
「だからもう少しだけ我慢してて。今に俺が、今までの苦しい分全部吹き飛ぶくらいの稼ぎをするから」
「ええ……! 楽しみね!」
毎日。ユウと色んな事を話した。これまで全然話せていなかったかのように。いつも、ユウは私を驚かせて、喜ばせてくれた。そこには私を心配させまいとする、彼の気遣いがあった。
――
「おい――――ぃぃっす!」
「うおっ! 意外と狭い。ちょっと菜穂! 入口詰まってるから早く入って」
「うひゃあ~~ここが噂の朝葉んちねぇ!」
そして5月10日。家に、友達が来た。
「わ…………」
「あはは! その朝葉の顔! 爆笑」
いつも通り配達を終えて。晩御飯の準備をしていると、インターホンが連打されたのだ。
怖かったけど、すぐにドアの向こうから知ってる声が聞こえてきたから、近所迷惑になると思ってすぐ開けて彼女達を入れた。
「うおおおっ!?」
「ん?」
「おほっ?」
勝手知ったる我が家だと言わんばかりに寛ぎ始める彼女達の前に。
勝手知ったる我が家である夕輝が、お風呂上がりの牛乳を飲もうと、パンツ一丁でリビングにやってきて。
悲鳴を挙げた。
「あはははははっ! 今の誰? 彼氏!?」
「馬鹿、ユウ君だよ! おめー小学生ん時会ったことあったろ!」
「マジ!? あのユウ君! マジイケメンになってんじゃん! 今何歳!?」
成長期の肉体を目に焼き付けたお姉様方が盛り上がる。ユウは今相当恥ずかしいだろうな。
「朝葉ー。もしかして忘れてた? 今日」
「あ……」
「ぶははっ! サイコー! 自分の誕生日当日忘れるって!」
「もう、菜穂、さっきから笑いすぎ。しかもちょっと下品」
「で? で!? スーパーイケメンと噂のお兄様は!?」
「凄くない? この子これでお酒入ってないんだよ?」
「うん。……あはは」
うるさくて、元気で、明るくて。こんな空気感が、艷山家に流れることは一度も無かった。だから私も呆然としていた。この子達は、いつもカラオケボックスなんかで、こんな風にはしゃいでいるんだ。
その『楽しさ』を今日は私達にお裾分けしに来てくれたんだ。
「やっと笑ったな朝葉ー。もっと笑え~」
「ひょ、ひょっと。ひゃめへなほ」
「あっはっは! 変な顔!」
「ほら、えーっと、あれ。……ユウ君! こっち来なさい! お姉さん達が可愛がってあげるから!」
「名前あやふやかよ」
「ねーケーキは?」
「ケーキもあるの?」
「とーぜんじゃん! でもまだ駄目。お兄さん来てからだって」
「ねージュースは良いでしょジュースー!」
「だーめだって! 馬鹿菜穂! めっ!」
「あいたっ!」
――
「ただい――うおおっ!?」
「あはははははっ! ユウ君とおんなじ反応!」
兄も、すぐに取り込まれた。恐らく普通の『女子高生』が持つ、無限のエネルギーに。
「なるほど。誕生日パーティね。ほら朝葉」
「!」
兄は、背広を脱ぐなり私に、小さな小包を渡した。きちんと包装してある、立派な箱。
「……え」
「うわー! プレゼントだ! 誕プレ! イケメン兄貴からの! 開けて開けて朝葉っ!」
「なんでおめーが興奮してんだ。落ち着け」
心臓が高鳴る。……2年振りだ。『誕生日プレゼント』を貰うのは。
私も忘れてた誕生日、覚えてたんだ。
「わ」
「何なに??」
それはリボンの付いた、パールヘアピンだった。落ち着いた藍色のリボンと、綺麗なパールの装飾がされた、ヘアピン。
「凄えっ! お兄さんこれいくら!?」
「馬鹿訊いてんじゃねえよ」
彼女達の言葉は、一瞬だけ耳に入らなかった。
「…………」
「……まあ、その歳になって洒落っ気のひとつも無いのも……あれだろ」
「!!」
ちょっとぶっきらぼうに、そう言った。私は。
「……ぅ……!!」
「あ、朝葉っ?」
嬉しくて、膝から崩れ落ちてしまった。
「優――勝――――っ! お兄さんの優勝で――す!」
「は? なんだ?」
「ちょっとお兄さぁん。あたしらもプレゼント用意してたのにぃ。いきなり『これ』じゃ立場ないじゃーん」
「……はは。……すまんな。悪いがそのヘアピンは結構イイ奴だ」
「なぬ!」
「流石社会人と言った所か……。だがこちらは、金額ではなく『心』で立ち向かおう! 朝葉! くらえっ!」
「ちょ…………あはは! くっ! くすぐったいったら!」
「因みに、デザインはユウが選んだ。ていうかユウからこの話が挙がった」
「!!」
「おお!」
「……まあ、姉ちゃんにはいつも世話になってるし。迷惑かけてるし」
また、泣いてしまった。
今日で私は16歳。
最高の誕生日だ。
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