第3話 転生

 母が世に出した作品は、22作品。その内半分以上の作品のタイトルに、その言葉は入っていた。


 『転生』。


 図書室の辞書で調べてみた。


 てんせい。てんしょうとも読む。

 生まれ変わること。転じて、生活や環境を一変させること。


「生まれ変わり……!」


 仏教の言葉らしい。人は死んだ後また生まれる。その時の環境は普通選べないけれど、母の小説では。


――


 主人公は、売れない女性作家。何でも現代の風潮、好まれる作風に付いていけず、古臭いと言われるような作品しか書けず。バイトと執筆を両立しながら、なんとか活動していた。

 ある時、主人公は交通事故に遭う。そして夢半ばで死んでしまう。


 気が付けば、そこは現代日本とは思えない場所だった。


 自身を抱く、暖かい抱擁。宛がわれる乳首。なんと赤ん坊になっていた。


 そこは日本ではなく、また地球上のどこの国でもなかった。見たことの無い動植物が居て、見たことの無い文化が形成されていた。


 そこで主人公は、自分が転生したと気付く。


 その後は、生前の知識を利用して社会的に地位を上げていく。文明が現代の先進国ほど発達していないらしく、識字率も低ければ四則演算もまともに行えない大人が大半で、それが当たり前の風俗だった。


 幼少時から高度な計算や語学力、社会性や知識を発揮し、神童と呼ばれる。そしてそんな主人公に想いを寄せている少年に誘われ、世界を旅するようになる。


 困難が続く旅の中で、生前の能力を巧く使って仲間達をサポートし、親睦を深め信頼を得ていく。


 巨大な敵を倒した後は、幸せに暮らす。


――


 多少の違いはあれど、どの作品もこんな様子だった。現代に不満を持つ主人公が、何らかの事故に巻き込まれて死に、ここではない世界に転生する。生前の記憶は保持したままで、それを使って成功する話。


 男性主人公だと、ハーレムもあった。

 女性主人公でも、結構ハードなものもあった。


 だけど。これが売れて人気になっていることに、私はとても共感した。だって。


 死ねば、生まれ変わって、成功して、幸せになれるんだ。

 なんて良い世界だろう。今が辛くても、大丈夫だと。母は教えてくれている。


 母も。きっと。

 あの世界の続きを、幸せの延長線上を。自分で体験していることだろうと思った。


 私も――


 だけど。

 それは許されていない。まだ。

 母の小説で、必ず、全ての作品で書かれていることがある。

 それは、自殺について。

 それだけはしてはいけない。自らの意思で命を絶てば、良い人生への転生はできない。世界や、転生を司る神々にとって、自殺は大いなる罪であるらしい。

 どれだけ辛くても。精一杯努力して。頑張って。

 その先に、ご褒美があるのだと。


 ならば頑張らなくてはならない。私は今度こそ。次こそ。母も亡くならず、父も亡くならず。幸せな家庭に生まれて、幸せに暮らしたい。


 今が不幸と言っては、兄や夕輝に失礼だ。そうは思っていない。だけど。

 彼らにとっても。両親は死なない方が良い筈だ。

 まだ、この人生は終わっていない。精一杯努力して、幸せになろう。私も卒業したら働くんだ。このまま兄に頼っていては、いずれ兄もおかしくなってしまうかもしれない。

 夕輝にだって、欲しい物くらい、お友達の家庭と同じくらいは買ってあげたい。塾も、参考書も、進学も、大学も。


――


 春。

 私は3年生になった。そして兄は高校を卒業した。


「待たせたな。ふたりとも」


 その自信満々な表情に、私達は久し振りに笑った気がした。


 小さなアパートだ。だけど充分だ。兄は就職して家を借り、そこへ私達も移った。夕輝が施設でできたお友達との別れを惜しんでいたけれど、やっぱり家族は一緒が良い。


「お金は大丈夫なの?」

「ああ。なんとかな。しばらくは、家を売った金と、父さん母さんの遺産もある」


 確認する。計算する。何にどれだけ必要で、今の稼ぎと貯金がどれだけで。月に。年に。どれだけ使って。


「……ユウの、学費は?」

「………………任せとけ」


 父が亡くなったことで、危ぶまれるのはそれだった。

 私は、少し思い違いをしていた。正社員として就職すれば、アルバイトより格段にお給料が貰えるものだと思っていた。


 高卒の新入社員のお給料で。

 自分の他にふたりは、流石に養えない。


「私もアルバイトする」

「いや。朝葉に負担は……」

「逆だって。お兄ちゃんにこそ、あんまり負担掛けたくない。来年までなんて待てない。ユウが最優先でしょ? 先生に相談してくる」

「……すまん」


 私達は、頑張りすぎたら死ぬ、ということを知っている。転生の為に頑張る必要はあるけど。もう、誰も居なくなって欲しくない。


「姉ちゃん」

「はーい」


 保護者へ渡すプリントを夕輝から受け取る。いつもの事だ。正社員となってお休みが固定された兄と、元々休みがちでも先生と相談していくらか許して貰っている私が居る。今年は夕輝の学校の催し物も、参加できると思う。


「……修学旅行、ね」

「無理なら良いよ。他にも行かない奴居るし」

「!」


 その文字を見て、つい口に出してしまった。口は災いの元ということも、私は知っているのに。


「大丈夫。お父さん達の遺してくれたお金もあるし、お兄ちゃんも頑張ってる。私もバイト始めるし、ユウは心配しなくて大丈夫だよ」

「……分かった。でもほんとに大丈夫だからな」

「ありがとう」


 夕輝は、我が儘を一切言わなくなった。私の前で弱音を吐くことも。それはそれで少し心配だけど、彼も彼なりに感じることは多かったように思う。

 一番、親が必要な時に。どちらも亡くなったのだから。私達、上のふたりは修学旅行は行った。まだ両親が健在だったから。彼らが亡くなった時に既に精神的には自立していた兄や、何とか踏ん張った私とは違う。

 だからこそ、もうこれで終わりだ。修学旅行なんか余裕だ。次の日曜日、一緒に買いに行こう。予定が合えば、兄と3人で。

 家族揃っての買い物は、きっと楽しい筈だ。


――


 牛乳配達。新聞配達。子役。芸能活動。

 中学生でもできるアルバイトは、そのくらいらしい。クラスの子に調べて貰った。スマホはすぐに辞書を引いたりできるらしい。とても便利だ。


「朝葉可愛いから、アイドルでも良いんじゃね?」

「あははっ! 確かに! サイン貰っとこ!」

「……いや、あはは……無理だよそんなの」


 私は運動神経も駄目だし、歌なんて合唱しか経験が無い。カラオケなんて行ったこと無い。あんな笑顔はできない。そもそも自分を可愛いとは思わない。日々の家事で手はガサガサだし、お化粧だって全然だ。お洒落も分からない。


 新聞配達をすることになった。必要な書類は、学長と、一応後見人である親戚の人を頼った。兄はまだ、未成年だからだ。


 それだけでも、様々な規則の説明があった。本来、中学生という児童は働けない。働いてはいけない。例外として新聞配達などはあるとしても、その理由や背景がきちんとしていなければいけない。お小遣い稼ぎでは決してできないらしい。


 両親が共に亡くなり、兄弟3人で暮らし、働き手は高卒の兄ひとり。

 当然、家計の足しとして正当な理由で、私のアルバイトは認められた。


「辛かったらすぐに言え。誰に頭を下げても良い。お前の身体が一番大事だ」


 兄だって、アルバイトを始めたのは高校生の時だった。

 私を働かせることに、思うことが無い訳じゃないと思う。


 でも私だって、力になりたい。簡単な仕事じゃないのは分かってる。遅刻は厳禁、毎日重い新聞を自転車の篭に入れて、どんな悪天候でも必ず投函しなければならない。お休みは、休刊日のみ。平日も土日も関係無し。


 だけど1日の拘束時間はそこまで長くない。私の割り当てられたエリアは、2~3時間で配り終えたらそれで終了。時間が掛かる日があるとすれば、雨の日に1部ずつビニールでカバーをしていく作業くらい。


 兄に比べれば大したことは無い。


――


 学校が終わると、夕刊の配達。時間的に、中学生は朝刊を配れないらしい。

 それから買い物をして、お風呂に入って、晩御飯の用意。夕輝はこのくらいに帰って来て料理を手伝ってくれる。

 そして兄が帰ってくる。一緒に晩御飯を食べて、夕輝は宿題。私は洗い物と洗濯。兄はお風呂。洗い物を手伝おうとしてくれたけど、早くお風呂に入ってくれないと洗濯ができない。


 洗濯物は絶対に私ひとりが干す。ていうか洗濯だけは私がやる。だって、やっぱり恥ずかしいもの。


 兄も、最近は夕輝も何となく察しているようで、助かっている。


 終わるともう夕輝なんかは寝る時間だ。読み聞かせでもしようかと提案したけど、もうそんな歳じゃないらしい。


 兄も、お風呂から上がって少しするとすぐに寝てしまう。彼も朝が早い。


 私は空いたこの時間に、母の小説を読むようになった。長いし、多い。読破には時間が掛かりそうだ。


 激動の1日の中で、この短い時間だけが、私を『異世界』に連れていってくれる。亡き母に誘われて、誰も知らない世界の、冒険の旅へ。


 転生に憧れている私は、どんどん母の小説にはまっていった。


――


 少し、生活は落ち着いた。そう思っていた。何とか、力を合わせて。大変だけど。


「大丈夫? 何かあるなら言ってね?」

「! ……そんな顔してたか?」


 私は、ずっと自分のことしか考えていなかったことに気付いた。ふと見てみれば、兄が辛そうな顔をしていた。そうだ。一番、私達の為に頑張っているのはこの人じゃないか。母が亡くなった時から、ずっと。自分を犠牲にして、ずっと私達を支えてくれて。


「溜め込んで、自分じゃ大丈夫だと思ってても、駄目なんだって。……お兄ちゃんが私なら、相談して欲しいでしょ?」

「…………すまん」


 文句も言わず。弱音を吐かず。ただひたすらにお金を稼いでくれた。アルバイトを始めた今だから分かる。仕事の、大変さを。特に、学業との両立を。


 お兄ちゃんが辛い時は私が支えなくちゃいけないんだ。

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