第2話 父
夕輝の誕生日が近付いてきた。私はこの日の為に、用意したのだ。
2万円を。
食費を削り。
兄に協力を仰いで。
「……友達から聞いたんだけど、ゲームって言っても種類が凄く沢山あるんだよね」
「そうだな。ヨーカイだけでも結構あるぞ」
「どれを買えば良いか分からなくて。でもユウには吃驚させたいしさ」
「分かった。調べとくよ」
「どうやって?」
「この間の参観日で、あいつの親御さん達と連絡先を交換した。それで訊くよ」
「わあ」
兄は、凄い。まあ私の目から見てもイケメンだし、特に中年層から人気は出そうではある。例えば、そう。特撮ライダーのような。
「メモに全部書いたから。これ見せて『ください』で大丈夫だ。あとは店員さんが持ってきてくれる」
ゲーム屋さんには、電車を使って行かなくてはならない。私は久し振りに電車に乗った。
吃驚した。
皆、スマホを弄っているのだ。ほぼ全員。何をしているのかは分からないけど、ずっとスマホ。
そう言えば、学校の友達もスマホを弄っている。あれは何なのだろうか。私ももし持てば、ああやってずっと弄るようになるのだろうか。
さておき。
約1時間後。
お店を出た私の手には、最新ゲーム機が握られていた。少し落ち着かない。2万円の価値がある機械が、この袋に入っている。落としてはいけない。無くしてはいけない。そんな緊張感が私を包む。
「(……あれ?)」
帰りの電車に揺られて。ふと気が付く。満員電車だ。隙間はあまり無い。
「(…………お尻……)」
妙な感覚があった。満員電車だから、四方八方誰かと触れ合ってはいるけれど。
明らかな手の感触がお尻にあった。掴まれている。
「(……痴漢……!)」
恐怖。
夕輝へのプレゼントを買って、浮かれる気分を。彼の驚きと喜びの笑顔を想像した気持ちを。
全て一瞬で吹き飛ばし、私の全身は恐怖一色に染められた。
降車駅までは、あと3駅ある。満員だから逃げられない。
窓を見た。光の反射で、後ろの様子がちらりと見えた。
「あっ」
死中に活。私はその中に、見慣れた顔を見付けた。そうか。この時間、この電車を利用していたんだ。
「お父さんっ」
「…………えっ?」
困惑した顔。それは。
ドアの窓に反射した、父の顔。私の肩越しに、後ろに居る父は。
「……………………えっ?」
呼んだ瞬間、お尻の『手』が止まった。
――
「………………」
「……………………」
何も言わない。目も合わない。付かず離れず、微妙に遠ざけて。
同じ場所を目指す私と父。
「…………」
お互い何も言わない。何も訊かない。確定はしていない。だけど十中八九そうだ。
私は信じられない。そして凄く怖い。だけど。私は。
すぐに考えた。よく、よく考える。そうでもしていないと狂いそうになる。
父は。疲労困憊だ。そうだ。
毎日朝早く、そして夜は遅い。朝御飯を食べない日もあるし、晩御飯は食べない日の方が多い。
編集者だと言っていた。そんなに辛い仕事なんだ。母が亡くなって、それから。精神的にも…………性的、にも。
支えと癒しを無くしたんだ。精神的に参っていた。ある意味では、仕方無いとは。全く言えないことも、無いのではないか。
「…………」
3人を授かった夫婦だ。もしかしたら、4人目も考えていたかもしれない。
生前の母の収入を考えれば、無理な設計じゃない。
そうだ。
寧ろ、ここで父がもし捕まれば、それこそ艷山家は終わる。
寧ろ。寧ろ。
「……私で良かった……」
のではないかと。
「えっ…………?」
「!」
ぼそりと、無意識に言葉にして出してしまった。
丁度、家に着いた時だった。だから、父の耳に入ったのだ。
「……許してくれるのか……?」
「…………へっ? いや……」
父の形相は、見たことの無いものだった。私は心の底から湧いて来た恐怖に、全身を蝕まれた。
「あっ! ……朝葉ちゃんっ!」
「ちょ…………お父……っ」
「ありがとう! ありがとう! そうだ! 朝葉ちゃんは『母さんの代わり』だもんな!」
「…………!!」
抵抗はできなかった。したら殺されると思った。
この日、確実に艷山家は終わった。夕輝へのプレゼント……。
――
「がぁっ!!」
「!?」
私に覆い被さる巨大な影が、消えた。父の悲鳴が聞こえる。
「なんだこりゃ? どうなってんだ? はぁ!? おい! てめえ何してんだ!」
怒号が響いた。私は半裸で、泣きじゃくっていたから、はっきりとは見えなかったけれど。
それが兄の声だとはすぐに分かった。
「……ぅ! ……げほっ! ごほっ!」
父が悶えながら、起き上がる。私との間に、兄が立つ。
「……あんた、何してんだマジで」
「…………真、也…………うっ!?」
父はよろよろと起きながら、隙間から私を見た。
私の目を。
酷く怯える表情を。
そして。
「うわあぁぁぁぁぁああ!!」
悲鳴を挙げながら、どたばたと玄関へ駆けていき、出ていった。
「……朝葉、大丈夫か?」
「…………ぅ……っ!」
怖かった。
助かった。
心底、ほっとした。
「ぁぁぁあ……!!」
「…………取り敢えず、落ち着け。あと着替えてこい」
何がなんだか分からなくなった。
――
その日は、ご飯の用意は兄がしてくれた。私は部屋から出なかった。多分夕輝も心配してる。父は勿論帰ってこなかった。
次の日、兄はバイトと学校を休んでくれた。私は学校に行く気が起きなかった。朝御飯も作っていない。
「……大丈夫か?」
「うん。…………ありがとう」
『朝葉ちゃんは母さんの代わりだもんな!』
思い出すだけで、身体がすくむ。一体父は、どうなってしまったのか。
「さっき、親父の会社から電話があってな。出勤してないらしい」
「…………そう」
次、どんな顔をして会えば良いのか分からない。今、父はどこで何をしているのか。最後の、あの顔。多分冷静になって、気付いたんだと思う。父も本意では無かったと思う。昨日が精神的に限界で、異常だっただけで。
でも。目に焼き付いて離れない。怖い。怖い。
あの時、兄が帰ってこなかったら? 間に合わなかったら?
私はどうなっていたのだろう。
――
3日経った。クラスの友達も、見舞いに来てくれた。
ずっとこのままじゃいけない。兄にはバイトをしてもらわないと。私は家事をしないと。
夕輝にも心配は掛けられない。兄からは、風邪を引いたと言って貰った。父については、仕事の関係で会社に泊まり込んでいると。
父はまだ帰ってこないし、会社にも来ていない。
大丈夫だろうか。
考えても仕方無い。とにかく今できること、やるべきことを。
「!」
電話が鳴った。不安を駆る音。普通、こんな時間に掛けてくる相手は居ない。私は恐る恐る受話器を取る。
『もしもし、艷山さんですか?』
「…………はい」
『○○病院の××と申します』
「えっ…………?」
――
数日経っていたらしい。
足元には、遺書のような手紙が落ちていた。
申し訳ない。ごめんなさい。と、何度も書き綴られていた。
「発見した方がすぐに通報し、駆け付けましたが……」
「………………!」
言葉が見付からなかった。説明も、何も耳に入らない。ただ放心状態で、その場に突っ立っていた。
「朝葉!」
「姉ちゃん!」
兄と夕輝も駆け付けた。
「…………お兄ちゃん……ユウ」
最悪の事態に、頭が処理しきれない。
父が自殺していた。
――
今日は、夕輝の誕生日だった。だけど、渡せなかった。せっかく買った、ゲーム。
「……全部言うか? 秘密にするか?」
「…………言わない方が良いと思う」
「分かった」
父のことについて。自殺に至る経緯や心境を訊かれたけれど、私はずっと黙っていた。兄も応じてくれた。父の親戚には、何も知られないように。知られて良い事は何も無い。私と兄が黙ってさえいれば。
妻を失ったショックと過労で精神的に行き詰まり、首を吊った。正しいし、話の筋はそれで通る。
まさか実の娘に痴漢し強姦未遂をしたとは誰も思わない。父の尊厳は守られた。
最後はああなってしまったけれど。
父は立派だったと、私は思うから。
――
夕輝は目一杯泣いていた。釣られて私も泣いた。この短い間に、私達の両親は居なくなった。
私達を引き取ってくれる親戚は居なかった。だから、施設に預けられることになる。それぞれ別の施設に。
「あと3ヶ月だけ、我慢してくれ。迎えに来るから」
兄は、私と夕輝を力一杯抱き締めた。それだけで涙が出た。
家は売りに出すことになった。母が遺した家。でも、お金が無い。必要なんだ。
兄弟3人で住むには。
家の物を片付けることになった。何か作業をしていなければ、涙が出てきてしまう。学校も、もう随分と行っていない気がする。
「…………お母さんの部屋」
ふと、気になった。そう言えば母が亡くなってから、この部屋には入っていなかった。掃除すら。
書斎だ。色んな本を、話を、幼い私に聞かせてくれた思い出の部屋。
母は、作家だった。そこまで有名ではないけれど。一部では人気だったと思う。父と合わせて、こんな一軒家と、子供3人を養えるくらいには。
「……流石に埃が。ごめんなさいお母さん」
壁一面に本棚があり、びっしりと本が並べられている。几帳面な性格が現れているように、斜めに倒れた本は1冊も無い。
「そう言えば、お母さん自身の本て、読んだことあったっけ」
亡くなった時に、一度整理して掃除をした。あの時は読む暇なんて無かったけれど。
「…………」
ふと、適当に1冊手に取ってみる。
「『転生作家の自動書記能力はチートだった』」
そんなタイトルが目に入る。ちょっと意味が分からない。
転生、って、何の事だろう。
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