その瞳に魅せられて

「いったい何なんだあの女は!!」


 俺は今日、婚約者に初めて会いに行った。父上の話だと向こうから王城にやって来るみたいだったが、俺はこの話にそもそも納得していない。婚約者と認めてもない奴が城に来るのは嫌だから俺の方から婚約者の方に行ってやったのだ。


 それなのに⋯⋯俺は結局婚約破棄を自らの口で撤回し、そのまま帰ってきてしまった。


 城に戻った後もイライラが収まらず、つい悪態が口をついて出る。バン! と怒りに任せて拳を机に叩きつけると、めちゃくちゃ痛くてちょっと涙が出た。


 クソッ! これも全部あの生意気な婚約者のせいだ!! あんな奴すぐに婚約破棄してやる!!


「そんなに怒っている割には、また行くと宣言なされたんですよね? どうしてです?」


 近衛騎士のジャムに不思議そうに尋ねられ、思考が止まる。そうだ、俺はなんでまた来るなんて言ってしまったんだろう。


 その原因を探るべく記憶を掘り起こせば、思い出されるのは未だ手に残るあの女の頬の柔らかい感触と、あの生気のない瞳だった。あの瞳を見た時感じた吸い込まれるような感覚、それを思い出すと何故か胸の鼓動が高まり、頬が自然と赤くなってしまう。


「きっとこれはあの女に何かされたに違いない!! 次こそはあの生意気な女に婚約破棄を叩きつけてやる!!」


「いや、それってただその令嬢に恋してるだけじゃあ⋯⋯あ、駄目だ。この王子話聞いてない」


 そして俺は、熱い決意を胸に、翌日にはあの女に再び会いに行ったのだ。


 ⋯⋯まあ、その後も俺は結局あいつに婚約破棄を言い出すことはなかったわけだけだがな。


 そもそも、最初は生意気で不敬だと思っていたあいつの言動も、説明されれば至極まっとうな意見ばかりだった。


「どうして従者を大勢連れてきたら迷惑なんだ?」


「王子は自分の部屋にたくさん人が入ってこられたら迷惑ではないですか? 他にも理由は多々ありますが、つまりそういうことです」


 成程、あいつの説明は無駄に小難しい言葉を使わず、俺にも分かりやすいよう簡潔に言ってくれるから分かりやすい。それにあいつには良い意味でも悪い意味でも俺に対する遠慮というものがない。


 あいつ⋯⋯リリィの態度は、今までどんな我が儘を言っても受け入れられてきた俺にとっては新鮮で、そしてそんなリリィと会う時間は俺にとってかけがえの無いものになっていった。


「なあジャム、この珍しい色の虫、リリィにやったら喜ぶと思うか?」


「出ましたね王子の謎センス。女の子に虫渡して喜ぶと思いますか? あ、でもあのリリィ嬢ならもしかして⋯⋯?」


「そうか!? よし、それなら早速持っていくぞ!! 馬車を出せ!! いざエンフィールド家!!」


「いやもしかしてってだけで喜ぶとは一言も⋯⋯。はあ、やっぱり聞いてないよこの馬鹿王子」


 リリィは俺の持ってきた虫を見ていつもの無表情で「凄いですねー」と褒めてくれた。あれはたぶんきっと喜んでいる証拠だ!! どうやら俺とリリィは感性が結構近いみたいだ。これは凄く嬉しいことだ。


 早速帰ってすぐ日記に今日のことを書いた。最近どんどん楽しいことが増えていく。リリィは確かに目は死んでいるし無表情だが、ちゃんと俺と向き合って話をしてくれる。


「⋯⋯父上とも、一度向き合っておしゃべりしてみたいな」


 思わず零れてしまった呟きを、ジャムは聞かなかったふりをしてくれた。ホントは、王子がこんなことを言ってしまってはいけないのだ。


 父上は、俺の我が儘を何でも聞いてくれる。でも、それが愛情で甘やかしているわけではないことは、あまり頭の良くない俺でも理解している。


『コルト、お前は余の息子とは思えぬくらい愚図だな。余が其方くらいの歳の頃には既に礼儀作法は完璧に身につけ、武術も学び始めていたぞ』


『早く新たな世継ぎを産まねばなるまいて。余はこれから側室を抱く。其方は勝手に遊んでおけ。出来損ないが何をしようと興味も無いのでな』


『コルト、お前にもようやく利用価値が出来たぞ。あのエンフィールド家が婚約の打診をしてきた。あの家はなかなか弱みを見せなかったからな⋯⋯。これで借りを作れるのは大きい』


 思い出す限りでも、父上からろくな言葉を貰った記憶が無い。父上は、まさに完璧超人という言葉が相応しい、王の中の王だ。父上の視界には、最初から俺なんて存在していなかった。


 自分でもちょっと駄目かなと思うような我が儘を言うようになったのも、そんな父上に少しでも意識されたかったからだ。でも、どんなにお金を使っても、使用人達に無茶ぶりをしても、父上が俺を見てくれることはなかった。


 思えば、婚約破棄をしようとしていたのは、そんな父上に対する些細な反抗だった。息子としては見てくれなかったくせに、都合の良い道具になった途端褒める父上が、俺にはとても不気味に見え、そして無性に腹が立ったんだ。


 ただ、そんな父上の決定に今は感謝している。リリィと仲良くなることが出来たからな!!



 ある日、俺は父上から珍しく呼び出された。一体何事かと小走りで父上の部屋に駆けつけた俺を、父上は舌打ちで出迎えた。


「全く、お前はいつまでたっても落ち着きがないな。こんなお前と仲良く出来るエンフィールド家の娘の器もたかが知れるといったところか」


 俺のことは言われ慣れているからいい。ただ、リリィのことまで悪く言われるのは何だか凄く嫌で、俺は初めて父上に反論した。


「父上、リリィは凄くいい子です!! 今の言葉は取り消してください!!」


 すると、父上の氷の彫刻のような無表情が崩れ、僅かに眉が上がった。


「ほお、まさかお前が私に口答えするとは驚いたぞ。よっぽどその令嬢に入れ込んでいるようだ。やはりお前は馬鹿だな」


 さっきの父上は驚いていたのか。そして、俺も驚いていた。どうしてあんなに腹が立ったのだろうか。


「まあいい。今日はお前に渡すモノがあって呼んだのだ。さあ、これを受け取れ」


 父上は机の上に無造作に置いてあったそれ・・を、使用人を経由して俺に渡してきた。この形には見覚えがある。でも、俺は父上がこれを渡してきたことが信じられなかった。


「ち、父上、これって魔銃ですよね!?」


「言われねば分からぬか? それは王家のみが扱える特別な魔銃だ。お前に上手く使えるとは到底思えぬが、余っているからくれてやる。⋯⋯そうだ、お前のお気に入りの令嬢に自慢してやるといい。実際に魔銃を使うところを見せれば、お前に惚れてくれるかもしれないぞ?」


 その時俺は、『特別な魔銃』という言葉の響きに魅了されて、父上の顔を全く見ていなかった。


 弾む心のまま父上に礼を言い部屋を出た俺は、何故か真っ青な顔をしているジャムと会った。


「お、ジャム!! ちょうどいいところに来たな!! 今からリリィのところに行こう!! 父上が魔銃をくださったのだ。自慢したい!!」


「⋯⋯王子、陛下の顔をご覧になられましたか?」


「いや、そういえば見ていないな。父上の顔がどうしたのだ?」


「⋯⋯陛下、笑っておられました。何だか凄く嫌な予感がします。魔銃を自慢なさるのはいいですけれど、決して使わないでください。いいですか?」


「あ、ああ。分かった」


 その時のジャムの表情があまりにも真剣で、俺はつい頷いてしまった。しかし、あの父上が笑うなんてあり得るのだろうか。父上はリリィに負けないくらいいつも無表情だというのに。


 

 魔銃を自然に自慢するために、俺はエンフィールド家の所有している森にリリィを誘うことにした。事前許可? そんなもの勿論取っていない。


 そして、魔銃を見せた時のリリィの反応が予想以上に良かった。早く森に行こうと催促までしてくる程だ。まあ、相変わらず無表情は変わらないけれどな。


 ただ、リリィの無表情は父上の無表情とは違う。例えるなら、リリィは陶器人形のような無表情で、父上は氷の彫刻のような無表情なのだ。無表情には変わりないが温度が違う。俺はリリィの方が好きだ。


 俺に魔銃を使わせまいとしているジャムの本気度は凄まじく、鎧まで着てくる本気っぷりだ。


 ジャムの実力は俺もよく知っている。まだ歳は若いが、それでも王宮所属の騎士の中でもかなりの腕前の持ち主だ。そんなジャムが居るから、俺も魔銃を使うことはないだろうと思っていたし、途中までは凄く良かった。リリィに手を握られたのは少しドキッとしたが、リリィの体温が伝わってきて、何となく心地よかった。



――そんな心地良い一時が唐突に終わったのは、あのバケモノが現れた瞬間だった。さっきまで見慣れた笑みを浮かんでいたジャムの首が宙を舞い、生理的な嫌悪感をもたらす存在が首を失ったジャムを触手で引っ張り、水っぽい音を立てて捕食を始める。


 それを理解した瞬間、俺はその非現実的な光景と非人道的行為に耐えきれず、嘔吐してしまった。勿論、魔銃のことなど頭から既に消えていた。


 ただ、その時俺は見てしまった。いつもは無表情なリリィが、目を見開き、そして全身を震わせている様子を。あのリリィもバケモノを見て恐怖しているのだ。いや、当たり前だ。あんな醜い生物を前にして恐怖しない方がおかしい。


 俺はそれに気付いていながら、情けなく震えることしか出来なかった。リリィは俺の婚約者なのに、何もしてやることは出来なかった。


 結局、リリィの父上がやって来て俺とリリィを助けてくれた。その間、俺は何もしていない。ジャムを失ったショックと、婚約者を守れなかった自分に対する嫌悪。そんな感情が俺を責め立て、城に戻った後もしばらく食事すらまともに取ることも出来なかった。



 そんなある日の夜、あれから頻繁に悪夢にうなされるようになった俺は、偶然目が覚めた。


 その時聞こえてきたのは、父上の声だ。父上が、最近俺の部屋に食事を運んでくる使用人と何か話していた。


「⋯⋯ふん、まさか魔銃を使う度胸すらないとは。予想以上に使えんゴミだったな、アイツは」


「全くですな。魔銃さえ使えていればジャムの命は救えたでしょうに⋯⋯」


「いや? もし魔銃を使えていても彼は死んでいただろう。暴発するように細工を施していたのでな。あれで使えぬゴミとエンフィールド家の令嬢がまとめて始末できれば良かったが⋯⋯。まあ、そう上手くはいかぬか。この魔銃は回収しておく。あのゴミには適当に理由をつけておけ」


 思わずベッドの中で声が出そうになった。父上に好かれていないとは思っていたが、まさか自分が殺されそうになっているとは思っていなかった。それに、リリィの命まで狙おうとしてた? まさかそんなことを考えていたなんて⋯⋯。


 その夜は、一睡もすることが出来なかった。ずっと、あの父上の言葉が頭を巡る。


「なあジャム、俺は一体どうしたらいいんだ? 教えてくれよ⋯⋯」


 尋ねても答える声はない。もうあの俺と気楽に接してくれた若い騎士はいないのだ。


 そういえば、ジャムは最期まで俺のことを気に懸けてくれていた。魔銃を使わないよう警告してくれたことも、結果として俺とリリィの命を救ってくれたのだ。


 もう俺には側で守ってくれる信頼できる人は居ない。そのことは、少し、いや、かなり怖い。このままずっとベッドの中に潜り込んでいたいくらいだ。


 でも⋯⋯悪夢と同じくらい、俺はあの時のリリィのことを夢で見る。このまま俺は、婚約者を守れない男のままでいいのか? もしかしたら父上はまたリリィの命を狙うかもしれない。そのことを知っているのは俺だけだ。


 自分の今の状況も怖いけれど、リリィを守れない方がもっと怖い。あの目で、俺を見てくれなくなることの方がもっと恐ろしい。


 だから、俺は強くならなきゃいけない。父上にも負けないくらいに強く。そしてただ強いだけじゃ駄目だ。知識も付けなければ、あの父に勝つことは到底出来ない。


「ジャム⋯⋯俺にお前の強さを分けてくれ」


 目を閉じ、瞼の裏側にジャムの顔を浮かべる。そうしたら、何か少し勇気が湧いてくる気がした。


 今日は、ちゃんと部屋から出てご飯を食べよう。そして、今までサボっていた勉強をちゃんとやろう。


 そして⋯⋯リリィにまた会いに行くんだ。


 



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