その日私は恋に落ちました

 今日は王子との約束の日だ。サイレの手によってドレスに着替えさせられ、見た目だけは可憐なお嬢様に変身した私は、王子がやって来るのを待っていた。


 事前に伝えられていた時間より少し遅れてやって来た王子の背後に控えるのは、いつもと同じくジャム1人だ。ただ、今日はその格好が少しおかしかった。


「ジャム、貴方どうしてそんな格好をしているのですか?」


「これは王宮に仕える騎士専用の鎧なんだ! かっこいいだろ?」


 ジャムに尋ねたにも関わらず、王子が得意げに胸を張って答える。うん、自分の騎士を自慢したい気持ちは分かるけれど、私が聞きたいのはそういうことじゃないんだ。


「いや、それが鎧だということは分かります。その鎧を何故着ているのかを教えて欲しいのです。そんな格好で来られたらうちの家の者たちも警戒しますよ?」


「今日はリリィと一緒に森に行こうと思ってな! 森には魔獣まじゅうが居るかもしれないからジャムに武装してもらったのだ!!」


「私は反対したんですけれどねぇ⋯⋯」


「まあ、俺にはこれ・・があるからジャムの力を借りることは無いと思うがな!! でもリリィに怪我をさせるわけにはいかないから万が一を考えてというわけだ。偉いだろ!?」


 そんな心配が出来る脳みそがあるならそもそも魔獣が出るような森を婚約者とのデートスポットに選ばないでほしい。ジャムがため息をつきたくなる気持ちも分かる。


 ただ、王子が得意げに懐から取り出したモノには思わず目が奪われた。


「王子、それはもしかして魔銃ですか!? 魔銃は魔銃士学校に入学する時に手に入れるはずでは⋯⋯」


「父上に言ったら特別に貰ったのだ!! 王族しか使えない特別製の魔銃なのだ!! 凄いだろう!!」


 王様の甘やかしっぷりはどうやら健在らしい。うーん、小さい子供に銃とか持たせない方がいいと思うんだけれどなぁ。いや、それが王族の教育方針とかなら何も言いませんよ?


「わー、凄いですね。ただ、あまり危険なことはなさらない方が⋯⋯」


 王子の危険な行為を諫めようとして、私はふと気付いた。これもしかしてチャンスじゃないのか? と。


 王子からの誘いならば断るのは難しいし、それでもし魔獣に襲われて令嬢が1人死ぬことになっても不幸な事故で済む。


「いえ! やっぱり私王子が魔銃を使っているところが早く見たいです!! 逝きましょう、森へ!!」


「お、おう!! それならば早く行こうではないか!!」


 突然テンションが上がった私にも不審がることなくノリノリな王子は流石チョロい。ただ、ジャムとサイレには確実に怪しまれたと思う。特にサイレからの視線が痛い。


「⋯⋯お嬢様、変なことを考えていませんよね?」


「ははは、何のことでしょうサイレ。わたくしはただ王子とのお散歩が楽しみなだけですわ」


「お嬢様は私の命に懸けてもお守り致しますので、安心してくださいね?」


 うーん、うちのメイドの愛が重い。てか、ジャムが居るしサイレが付いてくる必要はないと思うんだけれど⋯⋯。あ、はい黙ります。黙るのでこっそりと脇腹くすぐるのやめてあひゃひゃひゃひゃ!!



 サイレは酷いと思う。貴族令嬢たるもの婚約者の前でみっともなく笑うわけにはいかないので私は笑いをこらえるのに必死で大変だった。幸い王子は鈍いので小刻みに震える私の様子には気付いてなかったが、ジャムはサイレと私の地味なバトルを見て笑っていた。この野郎。


 森に行くメンバーは、私と王子、サイレとジャムの4人だけだ。魔獣が潜んでいる危険もある森にこんな少人数で行くなんて不用心なのではないかとも思うけれど、今回行く森はエンフィールド家の所有地だし、ジャムとサイレが居るから安全だと判断されたらしい。


「うーん、魔獣はなかなか出ないなぁ」


「そうですねぇ⋯⋯」


 王子は折角貰った魔銃の出番がないから。私は死ぬチャンスがなかなか来ないから。それぞれ別の理由で不満気で、甘い雰囲気は全く無い。まあそもそも王子がそういった目的で私を誘ったとは思えないけれども。


 まあそれはそれとして、この森はなかなかに良い場所だ。普段あまり外に出る機会のない私にとっては、とても新鮮な経験だった。心なしか空気も綺麗な気がする。


 ゆっくりと深呼吸してみると、さっきまで抱いていた不満が晴れた気がした。そうだ、無理に今日死ぬ必要はないじゃないか。今日死ねなくてもまたいつか死ぬチャンスはやってくる。今は、この森の綺麗な景色と空気を楽しむことにしよう。


「すーはーすーはー」


「サイレ、私の息を吸うのやめてもらえる?」


 鼻の穴を思いっきり広げて私の呼気を吸おうとするサイレのせいで、折角のいい気分が台無しである。顔近いなおい。あとマツゲめっさ長い。くそ、無駄に顔がいいのがムカつくわ。


「お二人とも、仲が良いことはよろしいですが、あまり王子を放っておかないであげてください。拗ねちゃいますんで」


「お、俺は拗ねてなんかいないぞ!!」


 頬を膨らませた状態でそう言われても説得力ゼロである。確かに王子を放ってたのは婚約者としては駄目だったかもしれない。


 そう思って王子の手を握ってあげたら、王子は顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまった。なんだこいつ。


「ははは、王子、リリィ様から手を握って貰えて良かったですね」


 ニッコリと微笑んでこちらを見つめるジャム。その目は、王子に対してというよりは歳の離れた弟に向けられるような温かいものだった。


 


――その温かい目が、急に光を失い、首が宙に舞う。遅れて地面に倒れる身体は、鎧のせいでドサリと重い音を響かせた。


「お嬢様っ!!」


 サイレが緊迫した声で叫ぶと同時に、私と王子の前に立ち塞がる。未だに事態を把握出来ていない私の目の前に、ソレ・・は姿を現した。


 まず目に飛び込んできたのは、薄桃色の触手だった。サイレが木々の間に張り巡らせた糸によってギリギリ受け止められたその触手は、ネバネバとした粘液を纏っており、飛び散った粘液は辺りの草木を一瞬で枯らしている。


 その触手が引っ込められた先には、触手と同じ薄桃色をした肉塊のような物体が鎮座していた。グニョグニョと蠢く肉塊には多数の血走った目が付いていて、ギョロギョロと落ち着き無く周囲を見渡している。


 そして、肉塊の下には先程首をはね飛ばされたばかりのジャムの死体がある。ジャムの死体は、グニョグニョと動く肉塊の動きに合わせてひねり潰されるように肉塊の中へと消えていく。


 メキメキ、モニョモニョ、ゴキゴキ。聞くだけで吐き気を催すような音は、”死”の音だ。隣の王子は真っ青な顔をして地面に嘔吐している。目の前のサイレは、必死の形相で私に早く逃げてと告げている。


 それでも、私は肉塊から目を離せなかった。圧倒的な『死』の象徴、そして初めて見る人の『死』を目の前にして、私は震えていた。


「⋯⋯ずるい」


 思わず口から漏れた言葉は、とても小さなもので。たぶん誰にも聞かれなかったと思う。聞かれなくて良かった。


 私は、ジャムに嫉妬していた。私はこんなに死にたがっているのに、そんな私の目の前で先に死ぬなんて、ジャムはなんて酷い奴なんだろう。


 この身体の震えは、感動からくるものだ。私は、運命に出会えた。ソレの放つ『死』の気配に魅了された。どうしても目が離せない。胸が高鳴る。頭の中を満たすのは、この肉塊に自分が殺される瞬間の妄想だ。


 私は、恋をした。どうしようもなく悍ましく恐ろしい、死の気配を放つこのバケモノに。


 サイレが私に向かって何やら必死に叫んでいるが、よく分からない。私の全感覚は今あの肉塊に集中している。


 王子が私の手を取って引っ張る。いつの間にか持ち直したようだ。まだ顔は青いままだけれど。⋯⋯ああ、邪魔だなぁ。


 怒りに任せて王子の手を振り払おうとするも、力が上手く入らない。脳があまりの刺激に麻痺してしまったのか。


 早くあの触手に貫かれたい。そう願い手を伸ばすも、届かない。私に触手が届くよりも先に、サイレが糸と魔銃を上手に利用して全ての攻撃を弾いてしまう。木々の間に張り巡らせた糸に銃弾を当てて糸と銃弾の壁を作っている。


 足下に襲いかかる触手を蹴り上げたサイレは、蹴り上げた足を下ろし、そっとメイド服のスカートを両手でたくし上げた。


 ころり、とスカートの中から特徴的な文字が書かれた銃弾が転げ落ちる。思わず視線でその銃弾を追いかけると、地面に落ちた銃弾が魔方陣を作り、そこからにゅっと腕が突き出た。その腕がぐぐっと地面を押し出して魔方陣の中から引きずり出したのは、なんとお父様の顔だった。


「リリィ!! 殿下!! こちらに早く!!」


 突然の事態で唖然としている隙に、お父様は私と王子を抱えて魔方陣の中に飛び込む。お父様と入れ替わりで誰かが魔方陣から出てきたのが見えたが、顔までははっきりと分からなかった。


 気付いた時には、見慣れた屋敷の中に居た。お父様が心配そうに私を見つめ、王子は青い顔で震えている。


「まさか、『厄獣やくじゅう』があんなところに出るなんて⋯⋯。怪我はないかい!?」


 ええ、おかげさまで私はあの人に殺して貰うことも出来ず、こうして引き離されてしまったのです。どうしてくれるんですか?


 ⋯⋯などと、本音を言うわけにもいかないので、私はニッコリと作り笑顔を浮かべて答えた。


「ええ、助かりましたわ。⋯⋯ありがとうございます」


「厄獣の討伐はサイレとセバスチャン、ペペロニが居れば問題ないだろう。多少の怪我ならペペロニが治せるから心配しなくても良い。ところで、王子殿下の従者は⋯⋯」


「ジャムなら、厄獣? に殺されてしまいましたわ」


 羨ましい、という言葉を飲み込んで、事実だけを淡々と伝えると、お父様は悲しそうな顔をして俯いた。


 なんて優しいお父様。でもごめんなさい。私は、貴方の望むような可愛い娘で居続けることは出来ない。私は、目指すべき道が見えた。やるべきことが増えた。


「お父様、1つお願いがあります」


「どうした、リリィ。お父様に抱きしめてほしいのかい? 怖かっただろう。思いっきり泣いてもいいんだよ?」


 相変わらず死にたいという願望は持っている。ただ、その願望よりもこの思いは強い。心なしか、瞳にも生気が戻った気がする。恋は女を強くするとは、誰が言ったか。この思いは最早止められない、止まらない。


「お願いです。⋯⋯わたくしを、強くしてくださいませ」


 あの厄獣にもう一度会いたい。そのためには、強くならなくては。ただの令嬢では、もうあんなチャンスは二度とやって来ないだろう。


 強くなって、戦場に出て⋯⋯その時、また出会うのだ。私の心を奪った、あの『死』の化身に。 

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