愛娘の目が死んでいる

 私の名前はスコープ・エンフィールド。エンフィールド家の現当主だ。


 我がエンフィールド家は、西と東で勢力が分かれるこの国において中立の立ち位置にあり、実際領地も中央付近に置かれている。侯爵家の中では領地は小さい方だが、私はこの土地が好きだし、領民も皆私のことを慕ってくれている。私が当主になってから今まで大きな問題はほとんど起こっていない。


 しかしながら、最近になって頭を抱えたくなるような悩みが出てきてしまった。それは、私の可愛い娘、リリィのことだ。


 私と同じ金髪に、妻のモナと同じ赤い瞳を持って産まれたリリィは、まさに天使と呼ぶに相応しい可愛さを持つ子だった。私と妻どちらに似たのか少々お転婆過ぎるところもあったが、そんなところも含めて目に入れても痛くない程可愛かった。


 そんなリリィにある変化が起こったのは、数日前のことだ。木登りをしていたリリィは、足を滑らせて地面に頭から落下。一時的に意識を失う事態になってしまった。


 悔やまれるのは、リリィが自由に遊べるようにと稽古の合間の休みの時間はリリィの傍に誰も付けていなかった私の愚かさだ。幸いリリィは特に大きな傷も無く無事目覚めたものの、頭を打つ前と明らかに変わってしまった点があった。


 1つは、リリィの目だ。毎日あんなに好奇心をキラキラと輝かせていた瞳は、あの事件依頼全く光を宿すことの無い死んだ魚のような目になってしまった。しかも、表情筋まで死滅してしまったのか、最近では笑顔を見せることもなくなってしまった。


 そしてもう1つは、リリィの性格だ。あれ以来お転婆っぷりはすっかり影をひそめ、急に大人みたいな口調で喋るようになった。それ自体は貴族の娘としては良いことなのだが、それだけではなく、奇怪な言動をしょっちゅう見かけるようになったのだ。


「はあ⋯⋯」


 リリィのことを考えていたら思わずため息が出てしまった。私の信頼する専属医師、ペペロニでさえ匙を投げたリリィのこの謎の症状。何が原因なのかすら分からないとなっては、対処しようがない。


 私に出来ることがあるとすれば、それは、二度とあんなことが起こらないようにするためにも、リリィのことをいつも見守ることだ。


「―『装填レディ』」


 呪文を唱え、手元に私の『魔銃マガン』を顕現させる。それと同時に、私の右目には眼帯が装着されていた。この眼帯まで含めた装備一式が、私の『魔銃』だ。


 魔銃に魔力を込め、引き金を引く。私の適正魔法は空間魔法、その中でも特に転移魔法を得意とする。


 この屋敷の中には、既にあちこちに私の放った魔弾が撃ち込まれている。私は魔銃の引き金を引くことにより、その魔弾がある場所に任意の物体を転移させることが出来る。


 今回私が転移させたのは、眼帯の下に隠れた右目だ。最初に転移させたのはもちろんリリィの部屋。しかしここにはリリィは居なかった。今日はこの時間稽古の予定はあっただろうか?


 不安に駆られながら次に右目を転移させたのは、あの事故があった屋敷の中庭だ。そして、そこにリリィは居た。


 ほっと安心して息をついたのも束の間、私はリリィの傍に専属メイドのサイレが居ないことに気付き疑問を抱いた。彼女には常にリリィの傍に付き言動を見守るよう指示していたはず。そんな彼女が居ないということは、リリィはサイレの目を盗んでここにやって来たというわけか。まあ、私に見つかってしまったわけだが。


 そして、私の目が見守る中リリィがスカートを持ち上げてその中から取りだしたのは、先端が輪っか状になったロープだった。⋯⋯うむ、リリィの今日の下着の色は白か。後でスカートは物をしまっておく場所ではないことをモネに叱って貰わねばならないな。


 ところで、リリィはあんなロープで何をしようとしているのだろうか。とりあえずもう一発魔銃の引き金を引き、今度は口を飛ばしてサイレに中庭に行くよう指示を出しつつ、私はリリィの監視を続けることにした。


 どうやら、リリィはあのロープを木にくくりつけようとしているようだ。しかし、枝に手が届かずに必死に背伸びをしている。可愛い。


 お、リリィが木から離れたぞ。さて、何をするつもりか。おやおや、近くにあった木箱を持ってきたな。それを土台にして高さを確保したわけか。流石私の娘、賢いぞ。


 これで枝に手が届くようになったな。ふむふむ、ロープの先端を枝に結んで、首を輪っかの中に入れて? ははは、おいおいリリィ、そんなことをして木箱から飛び降りたら首が絞まって死んでしまうではないか。


「おいサイレぇぇぇぇぇ!!! 早くリリィを救助しろぉぉぉ!!!」


 幸い、私が叫んだのとほぼ同じタイミングでサイレが中庭に到着し、メイド服の裾に隠していた暗器でロープを切り裂いたことで、事なきを得た。



 だが、また同じことが起こるとも限らない。リリィの説教はモネに任せ、私は信頼できる者達を集めてリリィの今後に関しての会議を開くことにした。


「さて、早速だが、ここ最近のリリィの言動で何か気になることがあれば報告して欲しい」


 集まったのは、私の専属医師であり、リリィの症状を診断したこともあるペペロニと、この屋敷の使用人達をまとめる立場である執事のセバスチャン。そして、つい最近リリィの専属メイドとして雇ったばかりのサイレの3人だ。


「お言葉ですが、旦那様は常日頃お嬢様をストーキング⋯⋯もとい魔法で監視しているので報告は必要ないのでは?」


「いや、流石に常時魔法を発動させていては魔力が保たないからな。そしてサイレ、今ストーキングって言わなかった? え、私のやってることってそんな風に思われていたの?」


「流石に着替えの時まで覗くのはあり得ません。娘とはいえ、女の着替えを覗くなど万死に値します。私以外の使用人も皆「あれはないわー」と言っておりました」


 セバスチャンとペペロニにも確認のために視線を向けてみたが、そっと顔を逸らされてしまった。そ、そうか。皆そんな風に思っていたのだな。これからは少し自重しよう。


「な、なるほど。それは次から気をつけるとしよう。それよりも報告だ。何か気になったことはないのか?」


「そうですね⋯⋯。今回の件もそうですが、お嬢様は何故か自ら死にたがっている風に思われます。よく1人で「死にたい」とぼやいてらっしゃるのを聞きますし、食堂に行けば必ずといっていい程ナイフに視線を向けられます。また、この前風呂場で湯の中で息を止めてらっしゃったこともありました。もちろんすぐに引き上げたので無事でしたが、止めなければ意識を失うまで湯の中に潜っていたかと」


「そういえば⋯⋯セバスめも以前、お嬢様に殺してほしいと頼まれたことがございます。その時は何かの冗談かと思っていたのですが⋯⋯」


「なんでぇ!? どうして4歳の娘がそんな死にたがっているのぉ!?」


 サイレとセバスチャン、2人の報告に思わず涙目になる。どういうことなんだ我が娘よ。その歳で一体何を考えている!?


「お言葉ですが⋯⋯実の父親に着替えを覗かれたら、私なら死にたいと思います。少なくとも軽蔑して一生口をききたくなくなると思います」


「よし分かった!! 私が死のう!!」


 サイレからの指摘に懺悔の念がピークに達した私は、窓に手をかけて飛び降りようとした。そんな私を慌てた様子で止めるのは、ペペロニだ。


「落ち着いてください旦那様!! 貴方が死んでどうするのです!!」


「うおおおお!! 放せぇぇぇ!! 娘に嫌われたら私は生きていけないんだぁぁあ!!」


「ええい落ち着けこの馬鹿当主!!」


 ペペロニの撃った魔弾が私の脳天を貫き、ようやく私は落ち着きを取り戻すことが出来た。流石ペペロニ、カウンセリングもこなせるとは優秀な治療魔銃士である。


「とりあえず落ち着きましょうスコープ様。そしてサイレ、これ以上スコープ様の心を抉るのを止めてください」


「私はあくまでお嬢様専属なのでスコープ様には忠義を感じていないのですが⋯⋯」


「それとこれとは話が別です。兎に角、いつまでも話が進まないので皆落ち着いて席に座りましょう」


「助かったぞペペロニ。礼を言う」


「来月の給金倍にしてくださいね」


 え。⋯⋯まあいいか。ペペロニにはかなり世話になっているからな。ただこいつ、私が専属で雇っているから給金は私のポケットマネーから出しているんだよなぁ。来月は新しい宝石を買うのは諦めた方がいいか。


「お嬢様の奇妙な言動についてですが⋯⋯私はやはり、目が死んでしまったことと関係していると思います。原因不明の病のせいで、精神的に不安定になっているのかと」


「ううむ、それなら病を治せば問題は解決するのか? しかし、肝心の病が原因不明ではどうしようもないではないか!!」


「そのことですが⋯⋯1つだけ方法がございます」


「何、それは本当か!? その方法とやらを早く話してくれ!!」


 興奮してつい身を乗り出してペペロニに問い詰めるも、ペペロニはその方法とやらをなかなか話してくれない。何やら難しそうな顔をして黙り込んでいる。


「どうした? そんなに言いにくいことなのか?」


「いえ⋯⋯ただ、スコープ様は必ず反対なさると思いますので」


「反対などするはずがないだろう! それでリリィの病が治るならどんなことでも受け入れる!!」


「そこまで言うのでしたら⋯⋯。では、スコープ様。リリィ様を第一王子の婚約者に立候補させるのです」


「え、絶対やだ。娘、嫁、いかせない!!」


「うわ、出ましたよ親ばか。度を過ぎると気持ち悪いですよ」


「こらサイレ、そんなことを言うものではない!! ⋯⋯儂も正直どうかとは思うが」


「おいそこの使用人2人、聞こえているからな?」


 ペペロニ曰く、西と東で2つの公爵家が争っている我が国の現状を考えるに、王家としては公爵家の令嬢を王子の婚約者にしてしまうとどちらかに肩入れすることになってしまい、それは避けたいだろうとのこと。


 そして、そんないざこざを避けるためにも中立の立場にあり、公爵に次ぐ侯爵の地位を保つ我がエンフィールド家は婚約者として選ぶにはちょうどいい立場だとか⋯⋯。


 ええい、そんなことは私も分かっている!! 実際、王家から以前娘を王子の婚約者にとの打診が来たこともあった。その時はリリィがまだ2歳だったことを理由に断ったが⋯⋯ぐぬぬ!!


 リリィの病気は治したい。そして、王子の婚約者になれば、王宮専属の鑑定魔銃士にリリィを診てもらえる。それは分かっているのだが!!


 リリィはまだ4歳だぞ!! 婚約者などまだ早い!! その相手がたとえ王子だからといって、渡したくないと思うのが父親として当然の気持ちだろうがぁぁ!!


 

 しかし、ペペロニが妻に王子の婚約者になる案を勝手に進言したことで、妻がその気になってしまった。ああ、私は娘にも弱いが妻にも弱いのだ⋯⋯。


 こうなったら、娘の病が無事治ることを祈るしかないだろう。あとペペロニ、お前の給金は元に戻しておくぞ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る