第9話 真実を知った少女は

 瞳を開けた時、見えたのは記憶の主が倒れたまま動かない姿だった。


 アンジェラ・レストはキースの姿を見て記憶辿りを終えたことを認知。理解する。


 理解したからこそ、アンジェラ・レストは思考。整理を行う。


 自分が見た光景からわかる、その人が胸の内に秘めていた思いを――辿る。


 覗いた世界の先に待っていたのは、灰色の記憶であった。


 キース・フレッカーという男が深い悲しみを背負った、灰色の記憶。


 そして、彼がこの場に倒れることと相成った本当の真実。


「……嘘でしょ? そんな理由のために。あなたはここまで来たの?」


 その真相を知ったアンジェラは、首を大きく振った。


「バカだよ、バカだよキース! そんなことのために来たの お姉ちゃんの約束を果たすためだけに そのために、あなたはこんな傷を負ったっていうの」


 真実を知ったアンジェラは、隣で倒れている男にそう罵倒の言葉を投げた。


 あまりにもありえない。ありえない事実がそこにはあった。


 愚か者だ。実に愚か者だ。なんて愚かな理由か。


 この男は、愛する人のためならなんでもやろうとする愚か者なのだ。


 だから彼はここに来た。


 この監獄に侵入し、愛する人が最後に願ったただ一つの願い。


 愛する妹に自由を与えてあげたいという願いを果たすために命を散らそうとした。


「……私に希望を与えてくれた人なんだ、ローズは……」


 かすかな声。その声を耳にしたアンジェラは顔を上げてしまう。


 苦しそうに、荒い息をする元軍人が言う。


「……彼女が願ったのは……君の幸せなんだ……だから……私は……君を……」


「私なんかを理由にしないでよ! お姉ちゃんの幸せを願うのなら、お姉ちゃんを別の方法で喜ばせればよかったじゃない! なんで、なんで来たのよ! バカだよそんなの! あなたが死んだら、死んだら――お姉ちゃんが悲しむじゃん! なんでそれがわからないの!」


「違う。私は、君を助けたかった……」


 かすれた声が、一つの意思を伝えてくる。見開いた瞳に写るのは、苦しそうにしているけれど。一つの目的を持って進んだ男の目であった。その目をした男が言う。


「君は……私の義理の妹だ。確かに君と私は初対面ではあるが、もっと早く君に自由が訪れていたのなら。ローズと一緒にいたのなら――君と私は家族として。過ごせたはずなんだ」


 一つの可能性を、男はそう述べた。そして男の右手が、アンジェラの頭に触れる。


「大事な家族が囚われている。なら、それを助けるのは――当たり前じゃないか」


 愚か者の意識は、そこで途切れた。ゆっくりと頭から落ちていった男の手を。


 瞳を閉じたまま動かなくなった元軍人の姿を――アンジェラ・レストは見る。


「……意味わかんないよ。意味が、わからないよ!」


 アンジェラはそう叫んだ。いや、叫ばざるを得なかった。


「なんで。なんでここまでするのよ。だって、だって。だってそれで命を捨てる意味なんかないじゃない! そこまでする必要なんかないじゃない!」


 年の若い娘は首を大きく振り、そう強く訴えた。


「――お姉ちゃんの馬鹿! なんでこんな人を寄越すの! そんなのってないよ! 今更、今更自由になれって言ったって困るよ! だって、だって私は――私はこのままなんだって諦めてたんだよ! このまま誰かに利用されたまま死ぬんだって、そういう運命なんだって諦めてたのに! そんな急に言われたって困るよ!」


 アンジェラは遥か遠くにいる姉に向け、怒りの声を叫んだ。


 そうだ、今更困るのだ。


 いったい何年。何年の月日を生きてきたと思うのだ。


 自由など諦めていたのだ。


 ずっとあの監獄の中で生き、そのまま余生は終わると思っていたのだ。


 なぜなら『そういうもの』なんだと。そう思わされたのだ。


 長い監獄生活が、そう思わせてきたのだ。


 だから自由というものは捨て去った。大空を気持ちよく羽ばたくような。そんなどこまでも果てしなく進む権利など――ないものだと諦めていた。


 それを今更。今更、自由になって羽ばたけと言われても――困るのだ。


「……困るけど、お姉ちゃんに、恨まれたくなんかない」


 しかし、最後の記憶辿りの魔法使いはそう述べる。


「だって、こんなバカを。こんなバカを私のために寄越してくれたんだもん。お姉ちゃんの言う自由には、何か価値があるんでしょ。だったら、仕方ないよ」


 アンジェラはそう自分に言い聞かせ、立ち上がった。


 そう。何か価値がある。アンジェラの唯一の肉親であるローズ・レストが与えようとしてくれた『自由』には。ならば、このような愚か者を使ってまで教えようとする『自由』を。


 姉の最後の願いを、受け入れなくてどうするというのだろうか。


 それにだ。


 自分のせいでこの愚か者を死なせてしまえば、姉に恨まれてしまうではないか。


「よくわかんないけど、なんとかしてみせる。このバカは、まだお姉ちゃんのところになんか行かせない。行かせてたまるか!」


 記憶辿りの娘はそう叫び声を上げ、自分を奮い立たせた。愚か者の腕を首に回し、彼を思いっきり持ち上げる。足にかかる負荷に顔を歪めつつ、なんとか彼を持ち上げることに成功した娘は自らの道を決めようと――左右を見回す。


 そしてその時、彼女はあるものを見た。

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