第5話 僕は、未だに覚悟が出来無いまま。

「起きろ。」


 軽く背中を蹴られたような気がした。

 目が覚めると、昨晩の天幕の中。これは悪い夢じゃなく、現実だった。


 鎧を付けたままで寝たからか、身体の節々が痛い。身体が重い。

 ほぼ地面の寝床は、安眠とは程遠かった。


「これを使え。」


 そう言って放り投げて来たのは、小汚い布と兜。


「布で口の周りを隠せ。兜の中に髪を仕舞え。少しはマシだろう。」


 女は目立つと言っていた。これで女性っぽさを隠せって事なのか。


「あ……ありがとう……ございます……。」


 布で口を……臭っ!この鉄臭くて、生々しい人の感じの臭い。

 そんな事を言おうモンなら張り倒されそうなので我慢する。

 息が出来るように、口を開けるように、布を口元に巻く。ヘルメット型の兜に髪をねじ込む。


「お前、名前は…っと、ブっ飛んでるんだったな。」


 若い男に聞いたのか、僕は記憶が無くなっていると認識しているらしい。

 おっさんが無精髭を撫でた、ほんの一瞬の間。


「…ローザ…」


「え?」


「いや、お前はこの隊ではロザリオだ。俺はクラウス。死にたくなければ覚えておけ。」


 死にたくなければ?死んだはずなのに。

 ロザリオ?十字架?皮肉な名前だ。


「準備が出来たらさっさと出るぞ。歩きながらコレを食え。」


 手渡されたのは、固いパンのようなものと、干した果実のようなもの。

 天幕を出ると、周りの男達が慌ただしく準備をしている。

 ヅカヅカと早足で歩くクラウスの後について行く。


 歩きながら、渡されたパンを食べる。

 固い、というか、噛み千切れない。舌でちょっとだけ唾液を含ませて噛み切る。

 酸っぱい。美味しくない。だけどこれが朝食。

 果実は思ったほど固くない。あまり味がしないけど、ちょっとだけ甘酸っぱい気がした。


 柵から出て、ちょっと離れた所に昨日の若い男がダルそうに立っている。

 そこには、50人くらいの草臥くたびれた男たちが槍を持って座っていた。


「遅っせーぞクラウス。遅漏は嫌われるぞ。」


「早漏よりマシだろ。ジュリオ、コイツはロザリオだ。」


 ジュリオと呼ばれた若い男は、僕の顔を見てフンと鼻を鳴らす。


「ロザリオな。へっへ、ツラ隠すのは勿体ねぇな。ホラ、お前の槍だ。」


 そう笑いながら僕に槍を手渡す。軽いようで、重い。


「剣が欲しかったら拾え。あまりいいヤツは拾うな。後ろから狙われるからよ。」


 そう言って笑うジュリオ。

 後ろと言うのがどういう意味か、ちょっと良くわからなかった。


『第11番隊から第20番隊、準備が出来次第出撃!』


 誰かの声が聞こえると、座っていた男たちが怠そうに立ち上がる。


「出るぞおまえら。」


 うーいとハリの無い返事が集団から漏れて、ぞろぞろと歩き始めた。


 昨日、あれほど道端に転がっていた死体や、その欠片。

 夜のうちに動物にでも食べられてしまったのか、かなり数が減っている。

 血と土と色々なもので泥のようになっていた地面は、大気が乾燥しているからか少しだけネチネチとしている状態。足を取られなくて済む。

 これでトボトボと下を向いて歩ける。いつもの僕の歩く癖。


 正面を見て歩いてると、誰かと目が合いそうだから下を見る。

 他人とぶつからないように、真下じゃなくて、斜め前を見る。周りを見ないでひたすら歩く。

 今は前の人の足が見える。着いて行けばいいから、正面は見ない。

 下ばかり見てるから、猫背になって姿勢が悪いと親に怒られてた。


 遠くで喊声が聞こえる。


 それに気づいて前を見ると、砂埃が舞い上がる中で戦っている人たちがたくさんいた。


 殺し合っている。何であんな事が出来るのか。目の前の人に恨みがある訳じゃ無い筈なのに。いや、相手にとっては僕らはただの敵なんだ。敵だから殺しに掛かって来るんだ。


「死にたくなければ殺せ!!!行くぞ!!!」


 聞いた事が無かったクラウスの大きな声に吃驚する。


「おおおおお!!!!!」


 つい今まで死んだような眼をしていた人たちの眼が変わる。

 気合いが入ったというのはこういう事なんだろうか。

 驚くほど大きな声を上げて、相手を威嚇するように叫びながら、戦う場所に向かってドスドスと歩く。


 これから戦わなきゃいけないのに。これが現実なのに。

 僕は未だに覚悟が出来無いまま、戦う場所に向かって歩いている。

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