暁 睡蓮さんからのお題
一日死神体験記
「うう……。頭が痛い」
俺は数日前から突然疼き始めた頭痛に頭を抱える。だからって一日中寝ている訳にもいかない。その前に寝て症状が緩和する訳でもない。頭痛薬を飲んで無理やり自分を誤魔化して生きるしかない。そうやって頭を抑えながら家を出る。生活するためには仕事をしなくてはいけないし。まず、遅刻は厳禁だ。
俺がギリギリ意識を保ちながら道を歩いていると、花壇の縁に座っている軽薄そうな高校生くらいの見た目の少年の姿が目に入った。平日の昼間にお気楽な事だな。
「お?」
俺の視線に気付いたのか、その少年はニッコリ笑う。俺もつられて口を歪めた。すると、そいつの目が輝く。
「ねぇ、ちょっといい?」
「え?……いや」
厄介事はゴメンだと、俺はすぐにその場を立ち去ろうとする。こう言う場合に話を聞いて、良い事なんてあった試しがない。
「ねぇ、僕が見えてるんでしょ?」
「は?」
「ちょっと僕のお願い、聞いてくれるかなぁ?」
予想通り、少年はヤバイ系の人物だった。こう言う場合は無視するに限ると、俺は足を速める。さっきから頭痛がぶり返しているのに、なんて日だ。
「一日だけだからさ、お願い」
「……」
「ねぇちょっと、聞こえてるんでしょ」
「……」
少年はとてもしつこかった。きっと今まで誰にも相手にされていなかったのだろう。現にまるで俺以外からは見えていないかのように周りの他の通行人は見事にスルーしている。トラブルと無縁になるにはこのスルー力を俺もしっかり身に着けないとな。
あんまりしつこいので更に歩行スピードを上げると、いつの間にか少年は俺の前に立ちふさがっていた。
「ちょっと待った!」
「どいてください。急いでるんで……」
「やっぱり見えてるじゃないですか!」
「何なんだ一体!」
いい加減このやり取りに腹が立ってきたので、俺は目の前を手で払う動作をする。周りの目は気になったけど、それ以上に苛立ってしまったのだ。
「うん、いいね。いいよ」
「だから何なんだよ?」
「今日一日、君の体を貸してよ」
「は?」
少年の要求は……俺の一日拘束? その表情は真剣で、ネタや冗談には見えなかった。それが逆に怖くなって、俺は思わず返事を躊躇してしまう。拒否する事自体は簡単だけど、その後の展開が全く想像出来なかったからだ。
ここで対応を間違える訳にはいかないと、頬に汗が一筋流れる。
「えっと、そう言う趣味は……ちょっと……」
「違うってば!」
少年は俺のアレな想像を即否定する。ただ、会ったばかりと言うのもあって、その否定を素直に信じるのは難しかった。それにしても、性関係でないとしたら、一体俺に何の用があるって言うんだろう。
この少年はどう見ても俺1人にだけ御執心っぽい。まずその理由が分からずに困惑する。
「……他を当たってくれ。忙しいんだ」
「何も難しい事じゃないよ。ほらこれ」
少年がそう言いながら放り投げたものを、俺は思わず手に取った。それは――大きな鎌。まるで死神が手にするような――。
「ちょ、これ、えっ?」
「うん、じゃあ今日一日お願いね」
そう喋っていたのは俺自身だった。少年は俺の体を乗っ取ってしまったのだ。どうやら鎌を手にしたのがトリガーになったらしい。
落ち着け、落ち着け俺。一体どう言う事なんだ?
俺は取り合えす自分が握っている物をもう一度じっくり観察する。やっぱりこれはどう見ても死神の鎌にしか見えない。こんな鎌を持っていたと言う事は、さっきの少年の正体は死神だったとでも言うのだろうか。
少年が俺の体の中に宿ったと言う事は――もしかして、今の俺は霊体的な感じになっている?
事態を把握しようと鏡のある場所を探してキョロキョロと顔を動かしたところで、握っていた鎌が何かに反応する。その瞬間、俺は為す術もなく急に動き始めた鎌に引っ張られてしまった。
「な、一体何なんだーっ!」
鎌に引っ張られた先には、どう見ても怪しい霊体が空中浮遊していた。何故急にそう言うのが見えるようになったのか分からなかったけれど、見えてしまうものは仕方がない。
更に、自分の仕事はこいつを鎌で刈る事だと言う事が直感で理解出来てしまう。
「てぇぇぇいっ!」
俺は鎌に導かれるままに目の前の地縛霊っぽい霊体を鎌で刈り取った。縛りのなくなった魂は、そのままふわふわと上昇しながらぽわんと消えていく。きっとそれが死神の仕事なのだろう。
その後も自動的に鎌センサーが働いて、俺は強制的に死神の仕事をさせられていく。
「少しは休ませてくれえーっ!」
一方、俺の体に入り込んで俺の体を好き放題に動していた死神の方はと言うと、困っている人が目に入る度にその人達を助けまくっていた。
「ああっ、人助けが出来るって最高! 実体の体最高!」
死神の鎌に翻弄されるがままの俺は、もうどこだか分からないところに飛ばされていた。この世界には鎌で刈り取らなければならない未成仏霊が余りにも多くいて、どれだけ頑張って刈っても刈っても刈っても刈ってもキリがない。
基本自動運転なので鎌を握っているだけでいいのだけれど、勝手に動くのについていくのがすごくしんどかった。
鎌から手を離せば楽になるとは思うものの、どうにも一度握った鎌は自分の意志で離す事は出来ないらしい。何だこれ? 新手の拷問?
何百体かの霊を開放したところでようやく働き者の鎌の動きが止まる。俺は鎌を杖代わりに地面に垂直に立ててして呼吸を整えた。それにしてもハードすぎる。
一息ついたのだし、コーヒーの一杯でも飲みたかったものの、死神の身では現実世界の物質に触れる事すら出来ない。ああもう、不便だなこれ。
「よーぅ、お疲れさん」
「だ、誰?」
急に声をかけられたのでその方向に顔を向けると、上空から同じような鎌を持った髪の赤い見た目が大学生くらいの若そうな男が降りてきた。あれは、先輩死神なのかな。
「一日死神体験、大変だろ。悪いけど頑張ってくれよな」
「あんた、あの死神の先輩か何か?」
「そうだな。そう言うアレだ」
「何で俺がこんな目に遭わないといけないんだよ」
事情を知っていそうなその先輩死神に俺は不満をぶつける。先輩は鎌を肩に乗せ、右手を腰に当てていたずらっぽく笑った。
「そうカリカリすんなって。一日くらい、いいだろ?」
「俺には俺の事情があるんだけど」
「ま、そっちの事情も分からなくはないよ?」
「大体、何で俺なんだよ!」
この理不尽な仕打ちに、俺は怒りが収まらない。先輩は空中に浮かんだまま、顎をポリポリと掻き始める。
「うん、それは君とあいつの相性が良かったからかな」
「相性? 相性が良いとこう言う事させるのかよ」
「うーん、それはちょっと違うね。あいつにも事情があったんだよ」
先輩死神はそれからあの死神の事情を話し始める。あいつは元々未成仏霊で、この世に未練が残っていた。色々あって死神になったんだけど、その仕事として魂を刈り始めている内に、かつての自分のように自ら命を絶つ人や不慮の事故で死ぬ人を多く目にするようになった。
目の前でどれだけ人が苦しんでいても、実体に触れる事の出来ない死神はそれを救う事が出来ない。
「そんな訳でさ、あいつは人助けがしたくなったのさ」
「人助け?」
「だからほら、今は願いが叶って人助けしまくってるだろ」
先輩死神が指を指した先では、俺の体に宿った死神が駅のホームで身を投げようとした人を引き止めていた。1人助けたらすぐに別の場所に向かい、赤信号を渡ろうとした子供の腕を引っ張って止めている。その子を助けたと思ったら、今度は道端で倒れたおじいさんの背中を擦り、どこかに電話をかけていた。
本当に呆れるくらいアグレッシブに善行を続けている。
「死神を続けていると、誰もがああなるんだよね」
「けど、俺の人生は救ってくれてない」
あいつが誰かを救う時間は俺が本来仕事をしている時間だ。俺自身の役割を放棄して人助けをしている。それは許される事なのか? じゃあ無断欠勤をしてしまった俺の人生はどうなるんだよ。
俺が自分の都合ばかり気にしていると、先輩の声のトーンが急に下がった。
「君さ、死神が見えたって事で何か気付かない?」
「え?」
「僕達が見えるって事は、相性だけじゃない、君自身も死期は近いんだよ。だからその鎌にも触れた。先が長くないのに自分の都合優先かい?」
「え……っ?」
その言葉にショックを受けている間に、また鎌が動き出した。心の整理がつかないまま、未成仏霊刈りは日が暮れるまで続いていく。
西の白が紅く染まる頃、鎌は自動的に俺の体を使っていた死神の前に戻った。自分の望みを叶えられた死神はとても満足そうだ。
この時、突然鎌が手から離れた。そのまま、目の前の俺の手が鎌を握り、魂はまたその瞬間に入れ替わる。
「願いを叶えてさせてくれて有難う」
霊体に戻った死神はそう言うとペコリと頭を下げた。俺はどう言う反応をしていいか分からず、立ち尽くしてしまう。文句のひとつも言いたかったのに、いざそのシチュエーションになるとうまく言葉が出てこなかった。
「死神って大変なんだな」
「今日は本当に楽しかったよ。じゃあ命に気をつけて」
死神は最後に意味深な一言を告げて、すうっと消えていった。俺は狐につままれたような感覚を覚えながら、その日は大人しく家に帰る。電話の履歴は怖くて見る事が出来なかった。言い訳しようにも本当の事は言えないし。
これについては明日までに考えておこう。
結局、何もいい言い訳が思い浮かばないまま、次の日の朝を迎えた。どうしようと思ったところでいきなり発作。何も出来ないまま俺は意識を失ってしまう。
その後、様子を見に来た友人に発見されて緊急入院。とても珍しい病気らしく、その後、病院を幾つもたらい回しにされたらしい。
発作から半年が過ぎた頃、ようやく俺は意識を取り戻した。この病気のゴッドハンド的な高名なお医者さんが俺の事を知り、治療してくれたのだ。人気のお医者さんらしく、普通なら何年も待ってようやく順番が回ってくるものらしい。
どうしてそんな人が俺の治療を優先してくれたのかと言うと――。
「君のおかげで娘は助かった。こうして恩返しが出来て嬉しく思うよ」
そう、あの体が入れ替わっている時に俺の体に入っていた死神が助けた子の中にこのお医者さんの娘さんがいたのだ。その子が横断歩道を歩いている時に暴走した車から身を挺して守ってくれたらしい。
それは俺じゃないんですけど……って、そんなの言える訳ないか。
その後、俺は順調に回復し、無事に退院する事が出来た。仕事はなくしてしまったけれど、生きていれば何とかなる。あの時死神に会わなければ、あのまま俺は呆気なく死んでしまっていたんだろう。なにせ死神が見えていたのだから。
それが今もこうして生きている。あの死神が最初に助けたのが俺だったんだな。
折角助かった、助けられたこの命。生まれ変わったと思って、これからはもっと強く生きていこう。
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