七章・暴食悪神
マルドゥクとの通信から五日が経った。
「見てきたぞ」
「おかえり、エンキドゥ。どうだった、敵勢は?」
「七十万くらいだな。だが、大樹には恐らく、かなりの数の実が成っているだろうさ。時間をかけすぎると、数が膨れ上がるぞ」
「大樹?」
「あぁ。マルドゥクの言っていた、一番最初に食い込んできた尖兵を生む、九三〇のデータ群から成る"生命の樹"だ。果実は林檎みたいな形をしててな、それが熟れ落ちると種が飛び出してくる。それが他のデータに根付くと、情報を吸収し、尖兵を生む」
「手立てはあるのか?」
「ある。儂とお前さん方の攻性プログラムはやつらを倒すには十分だ。だが……」
「どうした?」
「お前さん方が言ってた、観測不能になったデータ。ありゃぁ、ifによるもんじゃねぇ。さっき言った、種が情報に触れる瞬間を見たんだが、その情報、全部消去されてた」
「何……!?」
「あぁ、やはり、"喰いつくしてやがる"」
「そんな……」
虫食いなぞまだかわいいものだった。
全てを消去されてしまえば、歴史を紐解くことさえ出来なくなる。それは人類の積み上げてきた歴史が、マルドゥクの守ってきたモノが無かったコトにされるということだった。
「だからこそ、お前さん方の協力も必要なんだ。頼んだぜ?」
「あぁ。分かった……!」
開戦まであと二日。未だにウルとエリドゥの粘土板はこちらに届いていなかった。まだ始まってないとは言え、相手は10の時空を喰らった悪神だ。
ハッキングされる恐れがある為、粘土板の画像等をネットワークで送ることが出来ない状況にあった。連絡を受けた探検隊が全速力でこちらに向かっているが、到着までにまだ時間が掛かりそうだった。
「カイルさん」
「どうした、アミータ」
隣で資料に目を通しているカイルになんとなく話しかけてみる。
「勝てますよね……?」
「当たり前だ。俺は天才だぞ?」
彼の神からの言葉は確かに人々を奮い立たせるものだった。でも、もし負けてしまえば……
「いらんこと考える必要はないぞ、アミータ」
「え……?」
「それは人間の悪いクセだ。まだ来てもいない恐怖を嘆く。それで何になるよ」
「でも、楽観的なのも悪いクセでしょう?」
「ふっ、俺のお目付け役はどうにも頭が固いらしいなぁ」
ぷぷっと口元を抑えるジェスチャーをするカイル。
「っ、あなたに言われるとムカつきますね……」
「やーい、いしあたまー」
「カイルさんっ、私は心配なんです!」
思わず叫んでしまった。でも、それは本心で。
「私は……怖いんです……」
誰もが抱くであろう、人知を超える存在への怖れだった。
何故、この人はこうして笑っていられるのだろう?そう思った矢先、彼はぽつりと呟いた。
「俺も怖いよ」
「え……」
「だけどな、俺がもっと怖いのは今やれることをしないことだ」
「今やれること……?」
「いいか、アミータ。まだ見ぬ脅威への怖れと、まだ大丈夫って根拠のない自信が、全部碌でもない結果を招くのはな。未来しか見ていないからだ」
「さき……ですか?」
「おう。初めて行く目的地に辿り着きたい時、ただひたすら目に見える目的地の屋根の方向にあるき続けたって着くわけがないんだ。畑の中を突っ走る?川を泳ぎ切る?山を乗り越える?トライアスロンかっての。地図だ、地図。まずは自分がどこにいるのか、どの方角を向いてるのかを確認するんだ。んで、ルートを考える。この道はちょっと遠い、この道は近い。だけど今自分は喉が乾いているから途中にスーパーがあるちょっと遠い道を選ぼう。てな感じでな、自分の"今"を逐一確認するんだ。」
「自分の……"今"……」
「そう、"今"だ。それを確認できてるかどうかが、ビビりと慎重、アホと前向きの違いって訳よ」
「カイルさんは……」
「お、言わせる?それ言わせちゃうの?」
「天才、ですね」
「おいおい、俺は天才だっ……て……!?お、おぅ……まさかアミータにそう言われるとは思っても見なかったな……おい……」
「天才じゃないんです?」
「いやいや!天才、天才よ!?俺!」
「ふふっ」
「な、なんだよ、なんか調子狂うなー……」
なんだかんだ言って、彼はいつも頼もしかった。
「勝ちましょう、カイルさん」
「おう、当たり前だ!天才に喧嘩売ったことを後悔させてやらぁ!」
部屋に木霊する、鬨の声。
「ふっ、士気が高いよう何より。君もやっと年相応の事を言うようになったか、カイル特別技師」
「うわぁ!?エルダー総統括官?!い、いつの間にいたんすか……」
「"ビビりと慎重、アホと前向きの違い"辺りからいたよん」
「なかなかかっこいいこと言うじゃないですか!」
「うわぁ!?また後ろから?!」
「レイラさん、アルウィン所長……!」
「やぁやぁ諸君、どうだネ?頑張って休んでるかネ?」
どうやらこの三人は来る決戦の時のため、あらゆるチームの職員を労っているようだった。
「休息は頑張るものでは無いと思います……」
「ははは、その通りだったネ、ごめんちゃい」
「おぉー……、年季を感じる謝り方だぁ……」
「うんん?ダンディでしょ~?どうだい、アミータくん、ひとつダンスでも如何かネ?」
「おじいち……。コホン、あまり無理をなさらない方がいいですよ、所長?」
「今おじいちゃんって言おうとしたネ!?まだ還暦!還暦だから!……あれ、もう還暦なの、ボク?」
「東洋だと還暦祝いに赤い服を着るそうですよ?なんと言ったか……、確か、"ちゃんちゃんこ"と言う名だったと思います」
「お、良いですねー。取り寄せますか、ちゃんちゃんことやらー!」
「とりよせなくていいヨ!」
和気あいあいとした雰囲気に包まれる。恐らく、この場にいる全員が、一抹の不安を抱いてはいるのだろう。
だが、それでも。
私達が前に進むことを阻む障害にはなり得なかった。あんなことを言われたら友としては応えるしかないだろう。
――――神話体系-宇宙卵型時空跡。
何も無くなった場所に身を任せて揺蕩っている。
愛を失った夫/子のような虚ろな瞳。
無数の泡沫を身に纏わせながら、捕食者は遠い場所にある、ひとつの泡を見つめている。
何故か、体の震えが止まらない。
嬉しいのか。
いや、怒りもだろうか。
そうだ、きっとそうだとも。
吾らは嬉しくて、壊したくてたまらないのだ。
「コノ時ヲ待チ侘ビタゾ、マルドゥク……!」
ようやくこの時がやってきた。全時空系最大級の"アレ"を喰えば、吾らは全てを支配できる。
尖兵は既に、あちらに届いている。尖兵が暴れまわっている以上、マルドゥクは従来の周期よりも早い時期に「天命の粘土板」を再起動しなければならない。前回は防御波形に阻まれたが、修復が終わっていない今が好機だ。
さぁ、開くがいい。
「吾ラが、全テ……全テヲ食イ尽クシテヤル――――――!」
今度こそ全てを喰らい尽くすのだ。
ひとつや、ふたつじゃ物足りない。
一度や、二度じゃこの悲憤慷慨は晴らせない。
全て。全てだ。
そうでなくてはこの怒りは収まらない。
そうしなくてはこの脱殻に意味はない。
無数の妻/母を壊された。
無窮の吾を壊された。
邪魔だから。必要がないから。価値が無いから。
これはお前たちがしたことだ。
だから。
お前たちにも同じ絶望を味あわせてやる。
N.O.A.H本部には厳戒態勢が布かれている。
開戦が近づくにつれ、高まる緊張。全職員と神工知能による、人類史上類を見ない、神を相手取った「戦争」が始まろうとしていた。
///任務内容///
最優先事項:アカシック・レコードの防衛
優先事項:大樹イヴの破壊
最終目標:敵対神霊キングーの破壊
敵勢分子情報
禁断の果実:イヴの実らせる果実。熟れ落ちると種が飛び散る。
虚無の種:ロストコピーライフ。虚無の可能性。種は周辺の情報をリソースに成長する。
侵食種アダム:種が成長した姿。吸収したデータを元に容姿が形成される。データを捕食する。
大樹イヴ:九三〇のアダムから成る大樹。アダムの元である林檎を実らせる。原初の夫婦をリソース源としたキングーのウィルス。名称を侵食種アダムに設定。
観測不能となったデータの原因は、侵食種アダムの捕食行為によるものと判明。
被害を食い止めるため、ソース元である大樹イヴの破壊を優先。
本体であるキングーの破壊が最終目標。
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