四章・碧色回廊

エンキドゥが顔を見せてから3日。彼の存在は瞬く間にN.O.A.H中に広まり、ビルド・ワンのシステムルームには多くの人が集まっていた。

「うぉう♪人気者だなー儂!はははー!どーもどーもねぇ!」

もっとも。集まっているのは彼にアイドルのような魅力があるからというわけではない。ただ単純に、「神に指示されてビルド・ワンが作成した神工知能」という響きにつられてである。そのことに、

「なんだー?そんなに見つめても儂の笑顔しか出ないぞ―?ほら、ニッカリ」

本人は気づいていないようだが。  

エンキドゥがチヤホヤ持て囃されて(?)いるその一方、名付け親は

「私が……ジグラット探訪に参加ですか!?」

インドア志向のシステム技師にはなんとも辛い、出張命令を下されていた。

「ははは、まぁそんな顔を青くする必要は無いヨ?オースティンくん。専門家を同行させるから、迷って帰ってこれなくなる心配は無いから安心してネ!あ、トラップに巻き込まれるとか、捻挫とかはするかもだけどネ!まぁ、体力面の問題はどうにもならないから、気合でどうにかしてネ!」

歌うように危険を伝えてくる怨敵。そして顔を青ざめていたのか、私。

「あ、あの!私が同行する必要はないと思うのですが!」

必死の抵抗を試みる。だが打ち放った矢は、

「だって、エンキドゥくんからの"メッセージ"を持っているのはオースティンくんと他の主導四名だけだし。情報漏洩厳禁ってことなら、必要以上の人間に情報を知らせるわけにも行かないデショ?なら、君本人が行くしか無いじゃない?ほらQ.E.D。証明終了だネ」

鮮やかなまでに地面に叩き落とされた。くっ、言い返しようのない現実っ。

確かに、情報漏洩を防ぎたいなら、本人が行けばいい。メッセージを受け取った以上、最初から袋小路に立たされていたようなものなのである。

「……分かりました。行って来ます……」

「はは、がんばれー」

こうして私は(不本意ながら)イラクにある、古代バビロンのジグラット探訪に参加することになった。

理由はひとつ。エンキドゥから受け取った座標がその場所を示していたからである。

彼曰く、

「粘土板探し出して持ってこい」

とのことで。

   

「はぁ……」

明日からの長旅の準備の為に早めに帰宅する。これから襲い来るであろう筋肉痛やらなんやらに頭を痛める。あっさり終わればいいなぁ、なんて希望をを持ちつつ、荷物をまとめて眠りについた。

   

一週間後。イラク、バビロンのジグラット前にて。

無事にたどり着いた一行に紛れる、無事でない運動不足一名。

「はぁ……はぁ……死ぬ……、死ぬぅ……」

「大丈夫ですか?オースティンさん」

「だ、駄目です……無理です……。レイラさん、凄いですね……。なんで立ってられるんです……?」

今回のジグラット探訪には、N.O.A.Hの新職員の中でも一番活力がある、とのことで彼女も同行していた。

「あはは、アウトドア派ですから!」

むん、と得意げな顔を見せる仁王立ちのレイラを見ながら、ほぼ地面に這いつくばるような体勢で質問するインドア派。

泡のような心臓でここまでたどり着いた彼はすっかり疲労困憊。

三十代には厳しい旅路だったが、これからがようやく本番である。

このジグラットにあるという粘土板を探し出さなくては。

   

一時間後。オースティンの体力が回復してきたところで、一行はジグラット探訪に入った。

   

ジグラット。古代メソポタミアにおいて、日乾煉瓦を用いて数階層に組み上げられた巨大な聖塔。「ジグラット」とは、「高い所」を意味する言葉である。

古代の王は、神殿の一部、神の訪れる人工の山として、このジグラットを建設したという。

ここ、バビロンのジグラットはその巨大さから、人々の間で伝説化された。旧約聖書の『創世記』に記されているバベルの塔は、バビロンのジグラットが伝説化されたものと考えられている。

「うわー、ちょっと怖いですねこれー……」

「そうですね……」

ジグラット内部を歩く。薄暗く、少しジメジメしている様な気がする。

「第六階層まではマッピング、発掘等はすでにしてあります。迷うことはないでしょう。ただ、第七階層は未だ、足を踏み入れていない領域なので、何があるかわかりません。注意してください」

彼の名前はフィリップ・ガスナー。このジグラットを幾度も調査している考古学者だ。

「僕は第七階層の入り口まで辿り着きましたが、その時は岩石で塞がっていました。その時、かすかに音が聞こえたのですが、どうにも第七階層には水が流れているようです。その量まではわかりませんが……」

「水……ですか……?」

「だから少し湿気が多いのか……」

(こんなところに水が流れていては内部から崩壊しそうなものだが……)

「崩れたりしないんですか?」

「浸食している様子が見られない所を見ると、どうやら水路が整備されてるようですね。かなり高度な技術を用いて作られているのは確かです」

   

四〇分ほど経っただろうか。ようやく、先日開通したばかりという第七階層の入り口にたどり着いた。

「先程も言ったとおり、第七階層は未知の領域です。くれぐれも、油断はなさらないように」

「は、はい……」

「はい……」

フィリップの忠告に少し怖気づきながらも返答する二人。

「では、行きます。近すぎず、遠すぎずの距離を保ってください。」

フィリップを先頭に、レイラ、私の順に続いていく。長い階段を降りる。

「長いですね……」

「そうだな」


本当に辿り着くのか、少し不安になる。降りるほどに水音の大きさが増していく。   

歩き続けて。下り続けて。


「おお……」

「すごい……」

ようやく階段を降りきったその先には、

「美しい……」

麗らかな、碧の世界が広がっていた。

回廊全体的に、淡い青を貴重とした装飾が施されている。絶え間なく空間に響き渡る、水の流れる音。ここがジグラットの中だということを忘れさせるかのように、空気は澄み渡っていた。空間に張り巡らされる神経のような水路は、未だにその機能を失っていない。

そして、回廊の中心。環を描くように配置された水路から流れ落ちてきている水簾の向こう。

「あれは……!」

この空間の心臓部には、周囲の太陽と月のシンボルに見守られるように、円形の粘土板が据えられていた。

「フィリップさん!オースティンさん!」

「あれが粘土板ですか……!」

「はい、そのようですね……!」

興奮冷めやらぬ状態で、それを見つめる。

「侵入者対策の罠が無いとも言い切れません。慎重に行きましょう。」

「はい」

「分かりました」

フィリップ先導のもと、まず回廊を調査してから、粘土板を手に入れることにした。

 

回廊には壁画が刻まれていた。

人が何か巨大なものを用いて、何かを覗いている様子が描かれている。

覗いているものは人とも、動物ともつかぬ、巨大な異形。扇に蛇、林檎の成っている木や太鼓のようなものまで。様々なシンボルが体の随所に混在している。四つ目と、耳。四肢が長い。

その異形の背後には、月と太陽が描かれている。側に蛇のような龍を侍らせているようだ。

そして、その手には鍬に似た三画の刃の武器。胸には粘土板のようなものを下げていた。

  

「神様……なのかな?」

レイラが呟く。

「まだ続きがあるみたいですよ」

フィリップに促され、次の壁画に目を通す。

   

先程の異形の神が、人と相対している。敵対している訳ではないらしく、武器の一切は描かれていなかった。神の背後には渦のようなものが描かれていた。神と人の間には歯車のようなものが描かれていた。

「何かを授けているようですね」

「この形……!」

一目見た瞬間に、すぐに気づいた。あの形は――――

「なんです?」

フィリップとレイラが期待に満ちた眼差しでこちらを見つめる。

「あれは恐らく、アース・ゲイザーのプログラムコードが記述されていた粘土板です!」

「えぇ!?」

「なんと……!」

――――間違いなく、アース・ゲイザーの粘土板だった。

つまりこれは、

「ビルド・ワンの設計者は、この異形の神なのか……!」

謎だった彼の技術の出処を示すものだった。


「え、え、なんですか!これなんか凄いところに立ち会ってます!?」

興奮しているレイラの尻目に考証を続ける。

「あの粘土板は"ギルガメッシュ王の墓"にあったものだ……、つまり、つまり!ここに描かれている人はギルガメッシュということになる……!だが、ギルガメッシュ叙事詩を観測した時、このような場面はなかった。つまりこれは観測不能領域、"暗闇"の中での出来事なのか……!?」

点と点がつながり、線となる。朧気に浮かび上がる、真相。

だが、まだ全てが明らかにあったわけではない。粘土板は探し出せた。

なら、エンキドゥの言うとおりならば、会えるはずだ。この異形の神に。

恐らくエンキドゥは、粘土板に書かれているMODを使い、彼の異形の神との邂逅の機会を与えようとしているのだ。

そしてそれは、今回の特異事変の答えにつながるのだろう。

「オースティンさん!こっちにも何か書いてありますよ―!」

「すぐに行きます!」

レイラの呼び声に応じ駆けつける。

「これは……」

そこには、一定間隔に配置されている文字と、それに沿うように異形の神の背後に描かれていたものと同じ、渦が刻まれていた。

「進むに連れて渦が小さくなってますね……」

レイラの言うとおり、読み進んでいくに連れて、渦の規模が縮小している。エンキドゥの言っていた時間が無いというのはこれのことだろうか。恐らく、時間をかけすぎると、この事態を招くのだろう。ということは、この渦は――――――

「アカシック・レコード、と言うわけか……」

   

そして最後の壁画。

そこには図式のようなものと、中央に据えられていたあの円形の粘土板が描かれていた。おそらく、説明書のようなものなのだろう。各回廊の壁画を写真に収めた。これも貴重な資料だ。解決への材料になるだろう。

   

回廊の壁画を調査し終えた。あとは粘土板を回収するだけだ。

「罠は無いようですね、これなら行けるでしょう。」

フィリップの許可のもと、中央、水簾の先へ進む。

「よし……」  


念のため、レイラとフィリップは水簾の外に待機させる。何かあった時は彼女らに助けてもらおう。

「これが、エンキドゥの言っていた粘土板……」

きれいな円形の粘土板。それを回収しようと手を触れた瞬間、

「え――――――」

「オースティンさん!」

「なんだ!?回廊が動き始めた!?」

割れるような音が空間に響き、回廊が形を変えていった。

私のいる、中央の円形の地面が、回転しながら上昇を始める。 


「まずい……っ!」

地面の揺れのせいで、うまく身動きが取れない。

「――――――っ……!」

迫りくる天井に目を瞑る。

「……あれ?」

ほどなくして地面の上昇が止まった。

あわや天井と地面とに押しつぶされるかと思ったが、その危惧は現実にはならなかった。

「助かった……」


水簾の外に待機していた二人は無事だろうか……?

「レイラさんとフィリップさんは……!?」

もしや回廊の移動に巻き込まれたんじゃ……!

「オースティンさーん!」

「無事ですか―!」

「……良かった、無事か……」

心配していたことは、どれも杞憂に終わったようだ。下の方から声が聞こえた。覗き込んでみると、二人が下の方からこちらを見上げていた。六メートルほど上昇しただろうか。二人の姿が小さい。


「こちらは大丈夫です―!」

返答すると二人は

「後ろ!後ろを見てください!」

「後ろです!オースティンさん!」

と下から叫んできた。

後ろ?後ろに何が――――

「っ!?なんだ、これ……!?」

背後には、巨大なパイプ・オルガンのようなものがそびえ立っていた。吹き抜けになっているらしく、陽の光が射している。切り立った崖がパイプ・オルガンのような形を成していた。

その威容に思わず後ずさった時、ガチリ、と何かを押したような感触があった。

「……今何か押したか?」

足元を見ると、床の一部が窪んでいた。それがスイッチだったのか。突如、宙を裂くような、荘厳なる演奏が始まった。

「……っ!?ぐぅ……!?」

意識にノイズが走る。音が大きすぎるのではない。演奏に乗り、何かが意識下に侵入してくる感覚があった。

立っていられなくなり、膝から崩れ落ちる。拒もうとしても、その存在は脳髄に溶かし込まれていく。あとは力なく倒れ込むだけ。

「――――あ」

意識を手放す最後、倒れ伏して下から覗き込んだ崖上には、

「壁画の――――神――――?」

壁画に描かれていた、異形の神の像がこちらを見つめ返していた。

   

焼却される体。星間を墜落する意識。   

カチリ、カチリと、何かにチャンネルが合っていく感覚。澱む意識の上澄み、理性の残滓が声にならぬ声を上げる。   

目を合わしてはいけない。   

口を開いてはいけない。

耳をすましてはいけない。

あれは、人と分かり合えるものではない。

未来の危殆。認識の否定。記録の拒絶。

だというのに。

魂はそれを、直視しようとする。

精神はそれと、言葉をかわそうとする。

経験はそれに、聞き耳を立てようとする。

あれは、誰もが知っているものであると、燃え尽きた体が訴えていた。

なら、大丈夫かな。

最後のダイヤルを回し、チャンネルを完璧に合わせる。

   

カチリ。

   

白に塗りつぶされる世界。

音が流れてくる。   

――――我が神託を貰い受けし者よ――――

これはたぶん、「声」というモノ。

 ――――その瞳を覗け――――

 何も見えない。

――――さすれば、余の姿を垣間見ることが出来よう――――

 どういう意味なんだろう。

 ――――エテメン・アンキ。太虚の七日間を閲せよ――――

 

その言葉を最後に、意識は完全に光に呑み込まれた。

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