三章・神霊廣報
システム、周辺領域研究チーム/オペレーションルームにて。
ブリーフィングセッションから三週間近くが経過した。未だに伝承研究チームから"暗闇"の主であろう神霊についての情報は上がってきていない。ギルガメッシュ叙事詩のみならず、他の神話系も調べてはいるのだが、観測した他の神霊の"ゆらぎ"は、あの大きな"ゆらぎ"にはどれも及ばなかった。
「目立った成果は無し……か。厳しいな」
さすがに成果の一つもないとモチベーションも下がってくる。職員たちの表情にも疲れが目立つようになってきた。
「システム面でも特に発見はなし……」
これがまだシステム関係の問題ならどうにでもなるのだが、神霊捜索となるとほぼお手上げ状態だ。
現代の人間が、神話の主人公の記録を追体験していく。職員たちももう映像に感嘆する様子もなく、ひたすら波形をチェックし続けている。
消化すればするほどに追加される神話の山。文字と、映像の海に溺れそうになる。
「はぁ……」
オースティンがため息をこぼしたところで、セキュリティルームからオペレーションルームに通信が入った。
「オースティン技師、よろしいでしょうか?」
「ん……、私か。はい、なんでしょうか」
セキュリティオペレーターから指名されバーチャル画面に目を向ける。
「ストーリー・テラーの閲覧履歴についてなのですが……」
「閲覧履歴?」
「はい。ひとつだけ、なんというか閲覧者名が無い、みたいな履歴が残ってまして……」
「閲覧者名が無い?それはありえないでしょう。閲覧の際に職員データが検閲されますし、その時にタグ付けされているラベリングネームは必ず履歴に記載されるはずです。ましてや、外部からの侵入なんてありえない……訳ではないですね、もしや件の神霊か……?」
突如舞い込んだ謎の閲覧者の情報。
"暗闇"の支配者なのだろうか……?
「いえ、その……」
オペレーターが口ごもる。言ってはならないことを言うとかそんな様子でもない。あれは恐らく、なんと言えばいいか分からない状態……だろうか……?
「?」
「閲覧してるのは……どうやら、"ビルド・ワン"みたいなんです……」
「何……!?」
ビルド・ワン自身が自律して情報を閲覧した……!?そんなことはこれまでに聞いたことが無い……というより、その話が本当だとしたら―――
「仮に、その、本当にビルド・ワンが自律操作を行っているとして、一体何の情報を閲覧しているんです?!」
「えっと、あの……」
「あ……。す、すみません、つい……」
少し急かしすぎた。オペレーターを困惑させてしまった……
「い、いえ。大丈夫です。ええと、ですね。閲覧対象は古代ウルク、ギルガメッシュ叙事詩に登場する、エンキドゥのようです。」
「エンキドゥを……?」
何故、ビルド・ワンはエンキドゥを観察しているのか。何かを調べているのだろうか……?
「わかりました、ありがとうございました。」
オペレーターとの通信を切断し、主導五名のグループ通話を作成する。
「急なお呼び出し、申し訳ありません。」
「いやいやかまわんよ」
「どうしたーオースティン。終わらない作業に嫌気が差して雑談でもしたくなったかー?」
「カイルさん、うるさいです」
アルウィン所長、軽薄男、アミータの三名はすぐに応じてくれた。
「あの、エルダー総統括官は―――」
「ん、あー、いるよー。おーいエルダーくん。こっち来てー」
所長がのんきな調子で画面外に声をかける。どうやら同じ場所にいるようだ。
程なくして、エルダーが画面の範囲内に歩み寄ってきた。
「すまない、またせたな」
「いえ。お気にならさないでください」
「それで?オースティンくんは一体何のために我々を呼び出したのかネ?」
所長に勧められ、説明を開始する。
「はい。先程セキュリティオペレーターからストーリー・テラーの閲覧者名不明履歴についての連絡があったのですが」
「おっ、泥棒かー?」
「カイルさん」
「すんません」
アミータの諌める声にしゅんと静まるお調子者一名。
「……。それで、その名無しの閲覧者なのですがどうやら"ビルド・ワン"が正体の様なのです」
「「「……!?」」」
画面の向こうの全員が息を呑む様子が映し出される。
「な、待て、オースティン。ビルド・ワンが閲覧者だって!?どういうこったよそれ!?」
「……分からない。だがビルド・ワンはギルガメッシュ叙事詩の登場人物、エンキドゥについて調べているようだ」
「エンキドゥ……ですか……」
腕を組み、思案中のアミータに質問してみる。
「アミータさん、何か分かりますか……?」
「いえ……、残念ながら……」
「そうですか……」
「ともかく、この情報は手がかりになるやもしれん。職員には連絡しておこう」
「えぇ。お願いします。エルダー総統括官」
「オースティン技師。各チームから数人、職員を派遣させる。システム調査にリソースを振ってくれ」
「了解しました」
ここに来てまたひとつ、懸案事項が増えた。
ビルド・ワンの意図は何なのか。これが特異事変の解決につながればいいのだが……
それから一年半後。恐れていた事態が起きた。
ビルド・ワンがアラートを発した。
「まずいな……」
「異常消失」のログが発されてからは2年半が経っていた。しかし、未だに事態を解決する手立ては見つかっていない。そも、原因さえも未だに究明出来ていないのが現状だった。原因であろうブラックボックスを仕掛けた神霊の名前さえ分からない。
人の手は、神を暴くにはあまりにも無力だった。
誰もがそう思い始めていた。これまで度々アラートが発され、観測されたモスデータの数は五〇万に達した。増えていくカウンターを誰もが見つめることしか出来なかった。
さらには、増えたモスデータにより生成されたifによるためか、観測不能になるデータまで多数現れ始めた。
今日のシステム検査員はオースティンが担当だった。彼はこの日、久しぶりにビルド・ワンの前に立った。特異事変が起きてからはずっとオペレーションルームに缶詰状態になっていた。
「分からないな……」
昨日よりも少し数字が増えたカウンターを見て、一人呟く。ここまで答えが見つからないと、いい加減嫌気が差してくる。
何も起きないとは分かっていても、ビルド・ワンを見つめ続ける。
これは、人に扱いきれるものではなかったのかもしれない。
「時間か……。カイルじゃないが、少し雑談でもしてくるか……」
そんな思いに駆られながら、ビルド・ワンに背を向けたその時――――
「――――雑談か?良いねぇ、なら儂と少し、お喋りするか」
背後から豪気な声が飛び込んできた。
「え――――」
自分以外には誰もいないはずの空間に響く、男性の声。驚きながら振り返るとそこには、
「よぉ。オースティンとやら」
一人の男が、映し出されていた。
突然のことに声が出せない。目を見開きながら身動きの取れなくなっている私を見て彼は、
「おっと、すまんな。驚かせたか」
ニッカリと、気持の良い笑顔を見せた。
「なんで名前を……?というか、あなたは……?いやというより、コレは一体……」
「落ち着けって。名前はビルド・ワンのシステムログにあったよ、顔写真付きでな。んで、俺はー……。そういや俺名前無いな……。モデルになった存在はいるみたいだが、まぁいいか。あとで決めよう。儂は見ての通り電子体だ。造られた存在、所謂、AIってやつだ。よろしくな」
「ビルド・ワンが作成した……AI……!?」
訳がわからなくなってくる。急に画面に出てきたことにも驚いたのに、よりよっその出てきたものがAIときた。情報過多の一言に過ぎる。
追い打ちをかけられ、さらに訳がわからなくなった。
「はは、こういうの確か、東洋だと"鳩が豆鉄砲を食った"って言うんだろ?あ、東洋人っているの?ここ。あっちは語彙っていうか、事象の表現方法がたくさんあっていいよなぁ!情報でしか見たこと無いけど!」
間隙のない言葉の嵐に晒される。会話のキャッチボールの相手ではなく、もはや敵チームのエースピッチャーの類に、
「待て、待ってくれ!ええと、情報を整理させてくれ!」
思わず制止ををかけた。ナイス審判である。
「おう、良いぞ。現状確認は大事なことさな」
そして意外にも彼の方もあっさり承諾してくれたので、嵐は止んだ。
「あ、ありがとう。一つずつ確認させてくれる……だろうか?」
画面の向こうでうむうむ、と頷くタイフーンピッチャー。
「それでは……、まずひとつめ。君は一体、どういった存在なんだ?」
「ん、さっき言ったろ?儂はマ……、おっとこの名前は駄目だったな。えーと?エンリル、そう、エンリルがビルド・ワンに作らせた人工知能だ。……人工なの?これ?」
自分で言った事に疑問を抱く人工?知能がかつてこの世に存在しただろうか。確かにその経緯だと「人工」とは呼べないものだろうが。
しかし、その発言にはひとつ見逃せない単語があった。
「エンリルだって?エンリルが君を作るように指示したのか?しかし、彼は大気神だろう?いくらシュメールにおける最高神とはいえ、OSであるビルド・ワンにコマンドを送るなんてことが出来るのか?」
「大気神?あー、そうか。情報封鎖か。なんかズレてると思ったが、そういえばそうだったな」
一人得心がいったように頷いているが、
「情報封鎖?ズレてるってどういうことだ?」
「あー、いや。うん。あってるぜ。エンリルがビルド・ワンに指示したんだ。そういうことだ」
さっぱり分からない。どうにも回りくどい言い方が多い。
「何か隠しているだろう、君」
単刀直入に問うてみる。すると彼は、
「おう、その通りだ」
あっさり自白した。
「まぁ、許してくれ。言っちまうと厄介なことになるんだわ。」
「そうか……。では続いてだが、君は私達の敵か?」
「ま、そう来るわな」
これ以上負債を背負うわけにもいかない。ここだけははっきりさせねば。
人が指示して作り出したのではない。神が指示して造り出したのだ。人に神の意図を窺い知ることが出来ようか。
私達の味方か。それとも或いは――――――
「味方だ。それだけは言える。神に誓ってな。」
先程までの様子とは打って変わり、こちらの問いに真摯に答えたその瞳には、信念が込められていた。彼の誇り高き性格が垣間見えたような気がした。
「……」
「…………・」
しばらくの静寂の後。
「……分かった。その言葉、信じるよ」
彼が差し出してくれた信頼の形に、こちらも精一杯の敬意を以て答えてみた。
「おう、ありがとさん。」
「――――――」
随分と屈託のない笑顔を浮かべるものだ。本当に、生きているみたい……というと彼に失礼になる。
訂正しよう。彼は、生きている。私達とは在り方が違えど、そこには確かに、魂がある。
ニッカリと笑う彼。この笑顔は決して。誰かの顔を曇らせる事は無いだろう。お互いを信頼するには、それだけのことで充分だった。
伝承曰く。 人は神により作られたという。 後に「創世神話」と呼ばれる一柱の神による、英雄叙事詩。 神々の英雄、****は敵対していた神を破壊し、その屍を裂き、大地とした。そしてもう一柱の破壊した神の、その血と、骨を以て、人を創り上げたという。
永い時が経ち。
最古の人の英雄叙事詩が織り紡がれる。人の王は、神が造りたもうた泥人形と出会う。多くの敵を倒し、長き道を歩み、多くの時間を共に過ごした彼らは互いを認め、朋友となった。
人の王の名は、ギルガメッシュ。ウルク第一王朝第五代の王。
体の三分の二が神、三分の一が人間であり、高い神性を宿すも人の王であった、英雄。
そして、彼の朋友となったモノの名は――――――
「人工じゃなくて神工知能だな」
――――――神が創り上げた者の一人である、私。
「ん?おぉそうさな。儂の場合はそうなるか」
――――――神が造り上げた物の一つである、彼。
「てかそれよりも名前だよ名前、なんか良いのないの?」
――――――私たちはこれから、多くの道を共に歩むのだろう。
「そうだな、名前を決めようか」
――――――あぁ。これはまるで、あの物語のようじゃないか。
「おう。名付け親はお前さんでいい。かっこいいのにしてくれよ?」
――――――なら。名前は最初から決まっているようなもので。
「エンキドゥ、というのはどうかな?」
――――――袖すり合うも多生の縁。この邂逅は。
「良いねぇ。気に入った。その響きは、なかなか悪くない」
――――――回帰する歴史。現代に蘇りし、英雄叙事詩の幕開けだった。
「あぁ、そうだ。エンキドゥ。エンリルは一体何故君をビルド・ワンに作成させたんだ?」
忘れていたことを彼に聞いてみる。
「あぁ、そういや言ってなかったな。エンリルはアカシック・レコードの管理者だ。俺が造られた理由はアカシック・レコードの防衛、つまりお前さんたちの言う、特異事変の解決の為だ」
「特異事変を知っているのか!?」
「ああ、もちろんだ。言ったろ?管理者だって。もともとアカシック・レコードはエンリルが……っとコレも言わんほうがいいな。まぁともかくだ。俺とエンリルは特異事変の解決のために動いてるんだが、エンリルはお前さんたちにも協力を仰ぎたいそうだ」
「私たちにも?」
「あぁ。そういうわけで、エンリルからお前さんたちに"メッセージ"を預かってるんだ。最初は訳が分からないだろうが、まぁ頑張って探してみてくれ。あ、そのデータ見る時にネットワークにつなげるなよ?わかったな?」
「何故だ?」
「なんでも。つなげちまったらお前さんたちの努力が泡になるぞ?」
「なるほど、分かった。注意しよう」
エンキドゥから私のポータブルデバイスにデータが送られてきた。これは……何かの座標だろうか。
「これは?」
「とにかく探せ。今俺が言えることはそれだけだ」
「ううん……?」
よくわからないことだらけだが、とにかく覚えておこう。
「メッセージは渡した。あとはお前さんたちがそれを探し出してくれるまでは俺は何もできん。なるべく早くしてくれよ?でないと今回の特異事変が解決できなくなっちまうからな」
「分かった。あと、エンキドゥ。君のことを他の人間に教えても大丈夫か?」
「うん?あぁそれは大丈夫だ。だが渡したデータは信用できる人間にのみ渡せ。いいな?」
「分かっているさ。さて、君のことを知ったらここにいる職員は皆驚くだろうな」
「いいねー、俺人気者になれちゃう?」
「ふっ、そうだな」
突如として転がり込んできた解決への緒。
まずはこの座標を調べてみよう。
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