六冊目 782 - 045 - DIVA

 その【図書館】は――天才たちの魂を《三日間だけ》記録している。


 日々の業務である壁一面に埋め込まれた書架の掃除を終えた私は、とある天才の魂を一冊だけ取り出して手に持った。

 その本に標題タイトルは書かれていない。ただ、【782 - 045 - DIVAディーヴァ】という分類番号が振られていた。

 木材のような質感の表紙に細やかな金装飾が施されている。質素ながらも存在感を放つ意匠はまるで職人が細工したオルゴールのようだ。


 私はその本を持って伍番空中テラスに足を運んでいた。そこはどこまでも広がる蒼天を貫くような風貌の【図書館】の側面で出っ張るようにして備え付けられており、程よくそよぐ風が心地良い。眼下に広がる【街】を一望することができ、私のお気に入りの場所だ。


 ただ、私の瞳には今もなお戦火に包まれている生まれ故郷しか映っていないのだが。


「先生、人は何故争うのでしょうか」


 私は当然のようにテラスの椅子に座ってチョコレートドーナツを食べている司書の男に問いかけた。彼は少し困ったような顔で答える。


「それは人類永劫の謎だね。僕の意見だけど、最高の抑止力になる兵器を作ればいいんじゃないかな。そうすればみんな戦うのをやめるよ」


 彼の拍子抜けする意見に対し、私は無愛想に溜め息を吐いた。


「先生、それはただ火に油を注ぐだけになると思いますよ」


 司書のそれとは思えない意見に呆れながら、私は【782 - 045 - DIVA】を開き、情報圧縮文字で記述された文章を読み解いていく。そして、私の世界が暗転した。




【September 27th, **40 Weather == Sunny】


 【DIVA】は稀代の歌姫である。


 彼女は幼少の頃から捨て子であった自分を拾ってくれた酒場で、接客の合間に歌を歌って暮らしていた。街の中心にあるそこそこ大きな酒場であり、毎日多くの労働者たちが仕事の疲れを癒やすために訪れていた。


「■■■ちゃん、今日も元気になるような歌を聞かせてくれよ!」


 彼女のために用意された小さな舞台にいくつもの常連客の声援が届く。


「ええ、耳の穴かっぽじってよーく聞いてくださいね!」


 いかにも普通の町娘といった風貌の【DIVA】であったが、彼女の鈴のように美しい澄んだ歌声はあらゆる人々を魅了し、着実にファンを増やしていた。


 彼女の人気は酒場だけに留まらない。街の居たる場所で彼女のファンが話題をあげた結果、街一番の劇場から御呼びがかかるほどだ。【DIVA】は自分を育ててくれた酒場に恩を感じていたため、そのお誘いを彼女は丁寧に断っていた。


 もし、彼女が酒場ではなく劇場を選んでいたならば全世界に彼女の名前が知れ渡っていただろう。それでも彼女が酒場で歌い続けることを決意したのは、大切な酒場に毎日通ってくれる常連客だけに自分の唄声を届けたかったからだ。




【April 3rd, **42 Weather == Cloudy】


 厳しい冬の支配から解き放たれ、生命の息吹が其処彼処そこかしこに満ちる。

 そんな初春の季節、【DIVA】はある男に恋い焦がれていた。


 彼女の歌声に傾倒した狂信的な信者ファンに追いかけられ、襲われそうになったところを彼に助けられてから、あの力強い笑みが脳裏から離れない。


 【DIVA】は惚れっぽい性格というわけではないのだが、彼だけは特別だった。どうやら彼はこの街に仕事を求めて流れてきた傭兵らしく、この街から出たことのない【DIVA】にとって、彼のする冒険譚は好奇心を擽られて強く惹かれるものだった。


「今日は貴方のためだけの歌います。それが私の幸せだから」


 花の甘い香りをたっぷりと含んだ柔らかな空気を吸い込み、小鳥のさえずりのような唄を歌う。それはまるで天使が歌っているかのように、その場にいる皆が錯覚していた。

 いつしか【DIVA】は酒場の常連客のためではなく、自らが陶酔に浸っている男のためだけに歌うようになっていた。


 それが引き金になったのかはわからないが、彼女の猛烈な人気は徐々に熱が冷めていった。

 酒場からは常連客が離れていき、もぬけの殻になった後も【DIVA】は彼だけのために歌い続けた。


 彼のために歌うこと。それが彼女の唯一の幸せになってしまっていた。




【December 18th, **46 Weather == Rainy】


 【DIVA】の猛烈なアプローチが功を奏したのか、彼女と傭兵の男は家族同然と呼んでも良いほどの仲になっていた。戦乱の時代であったため、雇われ兵士である彼は滅多に街に帰ってくることはなかったが、彼女は自分が愛する男のために歌うことのできる日常が幸せだった。


 しかし、彼女の幸せが長く続くことはなかった。


 彼女が愛した傭兵の男は戦場で仲間を逃がすために、敵兵の大群に立ち向かって命を落とした。遅れて駆けつけた援軍によると、彼は最期に「もう一度、彼女の唄が聞きたかった」と遺して息絶えたらしい。


 しかし、多くの傭兵が命を賭して守った国は彼らを最初からいなかったように扱った。簡単な墓場さえも用意されず、死体が野晒しにされている有様だった。


 彼が逃した仲間によって作られた質素な墓の隣に、喪服を着た【DIVA】は一人佇んでいた。


「貴方がこの世からいなくなっても、私は貴方のために歌います」


 【DIVA】が働いていた酒場は既に潰れてしまい、薄暗い亡霊のような廃墟になっている。彼女の唄を褒め称えた常連客は戦火に晒されて蛆のように死んでいった。


 彼女は火の海になった街を眺めながら、彼に挽歌を捧げ続けた。

 死ぬまで、捧げ続けた。


 

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ゴースト=ライブラリ D&Y @fictional_dandy

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