五冊目 131 - 111 - HARMONY②

 その【図書館】は――天才たちの魂を《三日間だけ》記録している。


「助手ちゃん、おかえり。君が本を読んでいる間に、その『続き』を見つけておいたよ」

 読了感の悪さ故に仏頂面の私は、司書の男が差し出したとある天才の魂を受け取った。

 その本に標題タイトルは書かれていない。ただ、【131 - 111 - HARMONYハーモニー②】という分類番号が振られていた。

 陶器のように白い表紙には双葉のクローバーが貼り付けられている。私が定期的に掃除をしなくても、全く塵や埃が積もらない不思議な本だ。


「天才の人生にもシリーズものなんて概念が存在しているんですね」


 ちらり、と私は先程まで読んでいた塵や埃が積もっている本を一瞥してそう言った。


「いや、彼女の人生がたった三日間程度で語りきることができないだけさ。だから、もう一人の三日間を用いて補完してやる必要があるのさ」


 司書の男は心底嬉しそうな笑顔で二冊の本をぴったりと密着させて並べた。すると、双葉のクローバーが重なって大きな四つ葉のクローバーが現れた。


「彼女たちは独りだけでは天才として機能しない。二人揃ってようやく調和のとれた【HARMONY】という天才になるんだ」


 そう言って彼が手渡してきた【131 - 111 - HARMONY②】を受け取った。私は新品のような香りに包まれながら、情報圧縮文字で記述された文章を読み解いていく。そして、私の世界が暗転した。




【November 17th, **72 Weather==Sunny】


 【HARMONY②】は天才というわけではないが、非常に運が良い。


 彼は暖かな太陽の光に照らされながら、ぽかぽかと心地の良い気分で歩いていた。天気予報では笑顔を取り繕った天気予報士が『非常に肌寒い日になる』と予報していたのだが、どうやら外れたらしい。肌寒いどころか、少しだけ暑いくらいだ。


「さて、これをどうしようかな……」


 彼はパーカーのポケットから数枚の紙幣を取り出した。数日前に拾った財布を交番に届けたのだが、持ち主に謝礼金として貰ったお金だ。運が良いといえば良いのだが【HARMONY②】は自らの幸運で獲得したモノに対して強い罪悪感を持っていた。


 『運も実力のうち』と言うが、彼はそれを否定していた。運はただの巡り合わせであって、本当の実力ではない。彼は自分の純粋な実力で評価を得たいと考えていた。


「ん……?」


 ふと、彼は電柱の裏に段ボールに入れられた仔猫を見つけた。仔猫は寒そうにぷるぷると震えており、弱々しい鳴き声でにゃーにゃー鳴いている。


 彼はそこで自分だけが暖かな太陽に照らされていることに気が付いた。慌てて仔猫の側に駆け寄り、スポットライトのように追ってくる太陽の光で仔猫を暖める。罪悪感で潰れそうだ。


 自分は運を誰かから吸い取っているのではないか、と彼は常に考えていた。




【November 18th, **72 Weather==Cloudy】


「本当にお前は良いよな。自慢の幸運にさえ頼っていれば、何でも成功するんだから」


 ふと、姉が何気なく言った言葉が【HARMONY②】の非常に小さな逆鱗に触れた。


「何が『自慢の幸運』だよ。姉さんは僕がそんなものを自慢に思っていると、本気で考えてるのか? 僕が死ぬ気で努力して勝ち取った結果も、『運が良かった』で済まされるんだぞ」


 普段は温厚な弟が目に角を立てて睨み付けてくる様子に驚いた姉は後退りする。


「えっ……でも、『運も実力のうち』だから別にいいじゃん……」


「みんな『運は実力のうち』って口を揃えるくせに、本当に幸運を評価してくれる人はいないよ。ただの運が良いだけの奴っていうレッテルを貼って終わりだ。姉さんが羨ましいよ。外出して無傷で帰ってくる当たり前のことでも、父さんや母さんに褒めてもらえるんだから」


 【HAMONY②】は姉が極度の不幸体質であり、皆の『当たり前』が彼女の幸運に匹敵することを十分に理解している。理解はしているが、耐えることができなかった。


「……お前、それ本気で言ってるのか?」


 姉は【HARMONY②】を睨み付け、テーブルの上に置いてあった花瓶を投げつけようとして止めた。そんなことをしても意味がないことを知っているからだ。


 何も言わず立ち去る姉の後ろ姿を、【HARMONY②】はただ眺めるだけだった。




【November 19th, **72 Weather == Rainy and later sunny】


 彼女が【HARMONY②】を連れずに一人だけで外出してしまったのは、昨晩の口喧嘩が原因であることは間違いなかった。

 普段は不幸体質の姉を手助けするための保護者として強制連行されることが多いのだが、昨晩言われたことが相当に悔しかったのか意固地な姉は彼に一言さえかけずに行ってしまった。


 【HARMONY②】は特別に過保護なわけではないが、もちろん心配はする。


「はぁ……雨が降ってきた」


 姉が外出した直後、待ってましたと言わんばかりに俄雨にわかあめが降り始めた。もちろん、彼女は傘なんて持ち出しているはずがない。

 気がつくと【HARMONY②】は二人分の傘を持って姉を迎えるために家の門をくぐっていた。

 彼女が何処に向かったのかは知らないが、自身の幸運体質ならば適当に歩いていても彼女の居る場所に辿り着くことができるだろう。


「……ッ! 姉さん!」


 ただ、【HARMONY②】が真に幸運だったのは彼女の居る場所に辿り着くことができたのはいうまでもなく、『間に合った』ことだ。


 どれだけの不幸を被ったのか、彼は頭から血を流して倒れ込んでいる姉の元に駆け出した。

 彼の瞳には目を閉じて横座りする姉だけではなく、今にも倒れそうな電柱が映っている。このままでは、間違いなく彼女は電柱の下敷きになってしまうだろう。


「■■■……?」


 死に物狂いで駆け寄ってくる【HARMONY②】に気がついた彼女は徐に彼の名前を呟いた。

 彼はそのまま意識が朦朧としている姉を庇うように飛び込み、全力で彼女を突き飛ばした。


「――きゃっ!」


 彼女の小さな悲鳴とほぼ同時に電柱が倒れ、大地にその重量を任せる重く鈍い音が響き渡った。


「……本当に、困った姉さんだ。僕がいないとろくに外にも出られないんだから」


 【HARMONY②】は電柱の下敷きになって挽肉のように潰れてしまった両足を気にすることなく、最愛の姉が無事に息をしていることを確認して優しく微笑んだ。


「■■■ッ!」


 姉は真っ青な顔色で這いながら【HARMONY②】に近付いた。そして、ぽろぽろと涙を流しながら彼の頭を抱え込むようにして抱きしめた。


「ば、馬鹿野郎……! お前、私と一緒の時はただの人間当然なんだから無茶するなよ……!」


「だから、良いんじゃないか。僕と姉さんは今、対等なんだから」


 【HARMONY②】は自らの幸運ではなく、実力で彼女を助けることができたことに大きな達成感を感じていた。ようやく、自分は価値のある人間だと証明できた気がしたのだ。


「やっぱり、幸運でも不幸でもなく『普通』が一番良いよ」


 彼らは一緒に居るときだけ、普通の人間と同じ生活を送ることができた。日常的に車に轢かれそうになることもなければ、買った宝くじが必ず当たることもない。


 その『調和』のとれた普通の時間が、彼らの最も大切なものであったことは言うまでもない。

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