四冊目 131 - 111 - HARMONY①

 その【図書館ライブラリ】は――天才たちの魂を《三日間だけ》記録している。


 日々の業務である壁一面に埋め込まれた書架の掃除を終えた私は、とある天才の魂を一冊だけ取り出して手に持った。

 その本に標題は書かれていない。ただ、【131 - 111 - HARMONYハーモニー①】と分類番号が振られていた。

 陶器のように白い表紙には双葉のクローバーが貼り付けられている。普段から私が入念に掃除をしているにも関わらず、すぐに塵や埃が積もってしまう奇妙な本だ。


 机の上に【131 - 111 - HARMONY①】を置いたまま、私は読むか読むまいか悩んでいた。そんな私を尻目に、司書の男は淹れたばかりの珈琲の薫りを堪能していた。


「……この本はどうして、すぐに汚れてしまうのでしょうか」


 私は表紙に貼り付けられているクローバーを指でなぞりながら、彼をチラリと見る。


「本の体裁が天才そのものを暗示していることくらい、何冊か本を読み終えた助手ちゃんなら分かっているだろ? なら、その本も埃の積もるような天才だったってことさ」


 私は目を離す度に積もる塵を払い、【131 - 111 - HARMONY①】を手に取った。


「埃っぽい人生の天才なんて、今までに何人も読み解きましたけどね」


 私は呟きながら【131 - 111 - HARMONY①】を開き、情報圧縮文字で記述された文章じんせいを読み解いていく。そして、私の世界が暗転した。




【November 17th, **72 Weather==Sunny】


 【HARMONY①】は天才というわけではないが、非常に運が悪い。


 彼女は街を少し歩くだけで増えていく身体の傷を隠すようにサイズの合っていない大きなパーカーを身につけ、太ももから足先にまで包帯をぐるぐる巻きにしている。


「うう……痛い……」


 狙うようにして運悪く飛んできた野球ボールが頭に当たり、【HARMONY①】は患部を押さえながら蹲っていた。


「ち、畜生! 草野球ならもっと安全な所でやれよ!」


 彼女は瞳に涙を浮かべながら、謝っている野球少年たちにボールを投げつける。その際に風で飛んできたチラシを踏みつけてしまい、大きく転倒する。


「うぎゃっ」


 【HARMONY①】は地面に後頭部をぶつけ、声にもならない声を発する。


「ち、畜生……畜生……! なんで私ばっかりがこんな目に……」


 彼女はひたすらに運が悪かった。彼女が乗る電車は必ず遅延するし、くじ引きは参加賞しか貰ったことがない。じゃんけんなんて、するだけ損だ。


 自分は運を誰かに吸い取られているのではないか、と彼女は常に考えていた。




【November 18th *72 Weather==Cloudy】


 小さな街のそこそこ裕福な家庭に双子の姉として生まれたのが、彼女の唯一の幸運だった。


「あぁ~、やっぱりお前といると落ち着くよぉ」


 双子の弟に頭蓋骨固めヘッドロックをキメながら【HARMONY①】は猫撫で声で呟いた。姉の執拗な拘束技から難なく抜け出した弟は仕方なく笑った。


「やめてよ姉さん。そんなにくっつかれたら、僕に不幸が移るでしょ」


「えーそれくらいケチケチすんなよ。お前は私と違って運が良いんだから、大好きなお姉ちゃんに少しくらい神様のご加護を分けろよ」


「あーもう。本当に困った姉さんだ! せめて僕にプロレス技をかけるのをやめてよ!」


 妙に満足げな笑みを浮かべる姉に卍固めをされたまま、弟は半分泣きそうになっていた。

 【HARMONY①】の弟であるにも関わらず、彼は非常に運が良い少年だった。じゃんけんでは負けたことがないし、ギャンブルでは勝ちすぎてカジノを出禁になってしまう。


「あー、弟から新鮮な運気を吸い取ってる感覚あるわぁー。当分は私も怪我しないなぁ」


 実際、【131 - 111 - HARMONY①】は弟と一緒に居ると不幸の度合いが著しく低下した。弟と一緒に外出すると犬の糞を踏むこともないし、不運に怪我をすることもない。


 数日前には目の前にトラックが突っ込んできたが、不幸中の幸いか怪我一つ無かった。

 もし、弟が一緒にいなければ、彼女は今頃死んでいただろう。




【November 19th *72 Weather==Rainy】


 【HARMONY①】の顔には強い後悔の色が浮かんでいた。その後悔はたった独りで外出してしまったことを所以とするものだ。誕生日を迎える度に不幸の色合いが濃くなっていることには気が付いていたが、既に命が危険に晒されるほどに不幸になっているらしい。


「し、死ぬ……神様に殺される……ッ!」


 後頭部から血液が止めどなく溢れてくる。先程、パチンコ屋の側を通りかかった時に頭上から落下してきた『パ』の看板を間一髪で避けた時にぶつけてしまったのだ。


「こ、こんな目に遭うなら弟にちゃんと謝って仲直りしておけば良かった……」


 普段は幸運な弟と一緒に外出をするので、危険な目に遭っても不幸中の幸いで怪我をすることはない。しかし、今日は些細な姉弟喧嘩をしてしまい、近くに弟がいないのだ。


「畜生……! な、なんで私だけこんな目に遭わないといけないんだ」


 何故か開きっぱなしになっているマンホールに落ちかけながら、彼女は呟いた。

 本来、不幸という概念はあらゆるモノに分散されているものである。ただ、どういうわけか【HARMONY①】は散らばった不幸を避雷針のように誘導する体質であった。


 大量の血液が流れ出してしまった所為か、彼女はその場にへなへなと倒れ込んだ。


 彼女に追い打ちをかけるように、【HARMONY①】の霞んだ視界には根元が腐食してしまい、こちらに向かって倒れてくる電柱が映っていた。


 死期を悟った彼女はゆっくりと瞳を閉じた。

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