第170話
翌日の始業前、平田が教室に入ってくるのを確認すると修はすぐに彼の席へと向かった。
周りに内容が聞こえないように細心の注意を払いながら小声で尋ねる。
「おす平田。例の件だけど、進展あったか」
「おいおい、昨日の今日だぞ。まだ本人とも話せてねーよ」
平田は呆れたように苦笑して自分の席に座った。
「まぁ、昨日の内に話しておきたかったけど、山下さん、部活にも出ずにすぐ帰っちまってたからな……。昨日メッセージで、ちょっと話したいことがあるって伝えてあるから、絶対に今日事情を聴くよ。山下さんと話さないと動きようがないからな」
「そうか……。何か手伝えることがあったら言ってくれよ」
修がそう言うと、平田は首を横に振った。
「修、言ったろ。お前は部活に集中しろって。お前が優先すべきはバスケ部だ。学祭のせいでただでさえ練習が思うようにいってないんだろ? これは俺に任せとけ」
昨日と同じく平田は修のことを気遣って、申し出を断った。
だがだからといって丸投げするのはやはり納得できなかった。
「でも、お前だって部活あるだろ」
「サッカー部は学祭が終わるまで部活はねーよ。てか、この期間部活してるのは出し物がある文化系の部活とお前ら女バスくらいだ」
「そ、そうなのか……」
知らなかった。
確かに昨日も隣のコートではどの部活も練習をしていなかったが、たまたま休みが被ったのだと思っていた。
しかし冷静に考えてみると、栄城は毎年運動部の成績は軒並み悪く、女子バスケ部のように全国とまではいかないにしても、上位を目指して熱心に練習している部活は少ないので、それは当然のことだった。
「置かれてる状況からや立場を考えても、お前はこの件に関わるべきじゃない」
「でも……」
修がなおも食い下がろうとしたそのとき。
「あれっ? 山下、なんで来客用のスリッパ履いてんの?」
聞こえてきた言葉に意識が奪われ、修も平田もすぐにそちらに顔を向けた。
今しがた登校してきたと思われる山下と、クラスメイトが立ち話をしている。
修は山下の足下に視線を落とした。
本来校内では女子なら赤の上履きを履いているはずだが、山下は茶色いスリッパを履いている。
「あはは、実は昨日上履きを盛大に汚しちゃってさ。持って帰って洗って、干してたんだけど持ってくるの忘れちゃった!」
「ありゃ~、ドジったねぇ」
和気藹々と喋っている内容は別におかしなことなどない。
ありがちなミスであり、山下もいつものように明るい笑顔だ。
しかし昨日のことを知っている修には、どうしてもそれが本当のことだとは思えなかった。
上履きにいたずらするということはいじめの定番だ。
なんらかの手段で上履きを履けない状態にされたのではないかという疑いが浮かび上がる。
修は平田に視線を送ると、平田も同じ事を考えているのか、眉間に皺を寄せて険しい表情をしていた。
修はさらに声を小さくして尋ねる。
「平田、あれってもしかして……」
「あぁ。昨日俺が確認したとき、山下さんの上履きは靴箱に残ってたし、変なところもなかった……」
修はハッと息を飲んだ。
つまり、山下は昨日上履きを持って帰ってなどいない。
「じゃあ……」
そんな嘘をつくということは。
「……その後から今朝の間に、誰かに何かされた可能性があるな」
修の心臓がドクンと跳ねた。
同時に気持ちの悪いもやもやが胸の中に広がっていく。
「……最低だ……!」
こそこそ隠れて人の机や持ち物に嫌がらせをするなんて。
修はいつの間にか自分が拳を強く握りしめていることに気づいた。
しかし怒りが全身を駆け巡り、制御がきかずその力を緩めることができない。
「落ち着けって。まだそうと決まったわけじゃない。とにかく、本人から話を聴かなくちゃ」
「よくそんな冷静で……」
思わず詰ってしまいそうになった修は平田の顔を見て口を止めた。
平田は自分の唇を色が変わるくらいに噛み締めていた。
平田も修と思いは同じなのだ。
いや、もしかするとそれ以上かもしれない。
二人の間に沈黙が流れる。
その間も山下は、何事もないかのように明るくお喋りしていた。
本当はとても傷ついているはずなのに、周りに悟らせまいと気丈に振る舞っている山下を見ると、なんとも言えないやるせなさが込み上げてきた。
自分に何ができるのかはわからないが、このままにしておきたくはない。
「……経過報告はするから。もうこの教室でこの話はするな。犯人が聞いてるかもしれねぇ」
しかしようやく口を開いた平田が言ったのは、修に対する最後通告だった。
修は納得がいかず反論しようとしたが、確かに平田が言うことも一理ある。
二人がこの件に関わろうとしていることを犯人が知れば、事態がさらにややこしくなる可能性も出てくる。
それに平田もこの様子だと何を言ってもとり合ってくれないだろう。
修は不本意ながらも観念することにした。
放課後。
部活も終盤に差し掛かり、栄城女子バスケ部はハーフコートでの三対三を行っていた。
「スクリーン!!」
「あっ!?」
汐莉、晶、凪のチームがディフェンス、灯湖、涼、優理のチームがオフェンスの場面。
汐莉のマークマンである灯湖が
連携が上手くいかなかったディフェンス側は対応が遅れてしまい、そのまま涼に得点を許してしまった。
「すみません! スイッチ(マークマンを一時的に入れ替えること)するべきでした!」
「いやごめん! あたしもすぐに合図出せなかったよ」
ミスをした汐莉と晶がお互いに謝る。
だが今のミスの問題点はそこではない。
「そこも大事ですけど、今の良くなかったところはその前です! 宮井さん、前も言ったけど、スクリーンの声をかける時は誰がターゲットにされてるのか、どっちの方向からかけられてるのかを言わなきゃ。『大山先輩左スクリーンです』って」
以前に指摘されたことをまた言わせてしまったことが悔しいのか、汐莉は少し顔を歪めて「はい!」と返事をした。
「大山先輩ももっと首を動かして、味方の声がなくてもスクリーンを察知できるようにしてください。自分のマークを見てる時間が長いです」
「オッケー。首ね、首クビ……」
「逆にオフェンス側はどのタイミング、どの角度とか、どうすれば上手くスクリーンがかかるのかちゃんと考えて、感じながらやってください。ではリスタート!」
修の合図でメンバーを入れ換えて練習を再開した。
皆、二人が指摘された部分を自分が言われたかのように、しっかりと意識し直している。
少なくともこの練習中に、修が同じ事を言うことはなかった。
全員のやる気が十二分に伝わってくる、内容の濃い練習だ。
だが昨日に引き続き、そこに菜々美と星羅の姿はない。
菜々美はクラスの、星羅は放送部の出し物準備が忙しいようだ。
おそらくこの調子だと、二人とも学祭が終わるまでまともに部活には出られないだろう。
(せっかくこんなに良い練習になってるのに……もったいないな)
仕方のないことだとわかっていても、どうしてもそんなふうに考えてしまう。
このまま二人との間温度差が生まれなければいいのだが。
「仕方ないわよそんなの」
部活後、修は思わず凪にそのことを漏らしてしまった。
だがそんな修に対し、凪はまったく気にする素振りを見せずに言った。
「美馬のことはわからないけど、少なくとも菜々美は一週間休んだくらいで熱量が下がるような子じゃないわ」
「私もそう思うよ」
灯湖が話を聴いていたようで、凪の言葉に同意する。
「むしろ練習に穴を開けたことに責任を感じて、より努力するんじゃないかな」
「そうね。もともと努力家だし、バランスのとれた選手だから、一週間のブランク程度じゃ崩れないと思うわ」
凪と灯湖がお互いの言葉に頷く。
どうやら二人は菜々美のことをかなり信頼しているようだった。
「美馬にしたって、ここまで兼部しながらも
「そう……ですかね……」
それでも不安そうな表情を浮かべる修に、凪は眉をハの字にして苦笑した。
「不確定なことを心配しすぎよ。余計なこと考えてても仕方ないんだから。あんたは私たちが強くなるためになることだけを考えなさい」
「その通りだ。頼りにしているよ、コーチ」
そう言って灯湖が軽くウインクをする。
「そうですね……。すみません、そうします」
修がそう答えると、二人は満足そうに微笑んだあと、それぞれの自主練習を始めた。
(余計なこと、か……)
菜々美と星羅のことだけでなく、今の修には気がかりなことがまだある。
だが、凪の言うとおり修が考えるべきことはチームが強くなることだ。
この使命を果たすことは、他のことに気をとられていては達成不可能であるのは間違いない。
(平田も任せろって言ってくれたんだ……。俺は、俺にできることを、やるべきことをやらなくちゃ……!)
あの件を完全に意識の外に外すのは無理だろうが、極力、無理やりにでも考えないようにすることはできるはずだ。
修は心の中で「よしっ」と気合いを入れた。
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