第166話

 同盟を組むと言っても、特別な作戦などは優理の頭にはないらしい。

 とりあえず学祭を平田と一緒に回りたいが、いきなり二人で回るのはハードルが高いし、二人きりという誘いだともしかしたら断られるかもしれない。

 だから仲のいい修が誘って、汐莉と四人で回ることにすれば自然な形で一緒にいられると考えたわけだ。


 ということで修は優理から平田を学祭で一緒に回ろうと誘う役目を仰せつかった。

 そのくらいなら余裕だろうと思って二つ返事で引き受けたが、よくよく考えると平田は明るい人気者で、クラス内外に友人が多い。

 もしかしたら既に相手がいて、断られてしまう可能性もある。


(いや、むしろその可能性の方が高いかも……)


 そんな不安を抱き、修は少し顔を歪める。

 断られてしまったら優理はどんな反応をするだろうか。


「起立、礼」


 不意に帰りのSHRを閉める挨拶の号令が聞こえ、修は慌てて立ち上がって礼をする。


「着席」


 教室は一気に喧騒に包まれ、生徒たちは各々の行動を開始した。

 修は自分の荷物の整理は後回しにし、真っ先に平田の元へと向かった。


「なぁ平田、ちょっといいか?」

「ん、あー、悪い。ちょっと今から用事があってさ、すぐに行かなきゃならないんだ」

「え」


 そう言って平田は自席から立ち上がる。

 その素振りから本当に急いでいるようだ。

 しかし誘うのが遅くなればなるほど断られる可能性はどんどんと高まっていくはずだ。

 絶対に今日話しておきたい。


「ちょ、ちょっと待ってくれ! 大事なことなんだ!」

「マジで悪いけど、こっちも急ぎの用なんだ。あ、でもその用は15分そこそこで終わると思うし、どうしても今日中ってんなら教室で待っててくれよ」

「あぁ、それでもいい」

「オッケー! じゃあ俺行くな」


 早口で言うと平田は足早に廊下へと消えていった。


「逃げられちゃったねぇ……」


 一部始終を見ていたであろう優理が近くにやってきて苦笑した。

 修は申し訳なくなって肩を落とす。


「う、ごめん……」

「ううん、お願いしてるのわたしだし、文句なんかないよ」


 優理は両手を振って笑ったが、頼まれた以上はしっかりと役目を果たしたいという思いから、修は責任を感じていた。


「このあとちゃんと話すから。平田が戻ってくるの待ってるよ」

「わかった。わたしはしおちゃんを誘っておくね」


 優理と別れた修は、平田を待つ間教室に残っていても手持ちぶさたなので、自動販売機で飲み物を買うことにした。

 自席に戻ってバッグから財布を取り出し、いざ中庭に向かおうとしたとき。

 ふと、今朝ハワイのお土産をくれた山下が、自分の席で俯いているのが目に入った


(……?)


 何か小さな紙きれのようなものを両手に一枚ずつ持ち、それを放心した表情で見つめていた。

 そのあと唇を噛みしめ、机の中に手を差し入れて同じような紙を数枚取り出し、ぐちゃぐちゃに丸めるとスカートのポケットに突っ込む。

 そして逃げるカバンを手に取ると逃げるように去って行った。


(どうしたんだろう)


 いつも元気いっぱいで、今朝だって楽しそうに笑っていた山下。

 しかし今のは見たこともないような深刻な表情だった。


(ん?)


 修は山下の席の下に、先程彼女が見ていた紙切れと同じようなものが落ちているのを見つけた。

 おそらく山下の手からこぼれてしまったものだろう。


 どうしても気になった修は、それに近づいて拾い上げ、中を見た。

 そこには乱雑な文字でこう書いてあった。


『ぶりっ子』








 紙切れをゴミ箱に破り捨て、修は中庭にやってきた。


「そっち持って~! いくよ、せーの!」

「あれ、ガムテープどこやった?」

「イノがさっき持ってったぞ」

「ヤバい! 色間違えた!」


 出し物がある二、三年生や文化部の部員たちが、大きな紙に絵を描いたり木材や段ボールで何かを作ったりしている。

 全体的にとても楽しそうな雰囲気に包まれており、修も普段の調子ならそれに飲まれてわくわくしていただろう。


 しかし修の頭の中は先程見てしまった紙切れの文字のことでいっぱいで、この場にいる生徒たちと正反対にもやもやとした気持ちが胸を支配していた。


(あれってやっぱり、そういうことなんだろうか……)


 ぶりっ子、という言葉に修が知らない意味がないのだとすれば、それが意味することは一つ。

 悪口だ。

 つまり、山下は何者かに嫌がらせを受けている可能性がある。


 あの紙切れを見てから胸の動悸が治まらない。

 とてつもない不快感だ。


 修は心を落ち着かせるために、自動販売機で購入したスポーツドリンクで口内を潤す。


「あれ、永瀬くん。お疲れっす!」


 突然背後から声をかけられ振り向いてみると、そこには同じ一年生でバスケ部の仲間である美馬星羅が立っていた。


「美馬さん……、お疲れ」

「んー? なんか元気ないっすね」

「え、いや、そんなことないよ。はは……」


 とっさにごまかすが、自分でももっとやりようがあるだろと思うほどの棒演技になってしまった。

 どうやら予想以上にショックを受けているようである。


「そうっすかねぇ? ま、いいならいいっすけど……」


 星羅は不審そうな目で首を傾げたが、それ以上は詮索してこなかった。


「じゃ、ウチは放送部の出し物準備があるんでもう行くっすね!」


 星羅はバスケ部以外に放送部も兼部している。

 だからこの一週間はバスケ部の部活にはほとんど顔を出せないというのは事前に聞いていた。

 それは痛手であることは間違いないが、仕方のないことだ。


「あぁ、うん。頑張ってね」

「そっちこそ! じゃ!」


 そう言って去ろうとする星羅に、修はとっさに声をかける。


「なぁ美馬さん、ちょっとだけいい?」

「? なんすか?」

「あのさ、大したことじゃないんだけど……『ぶりっ子』って、どういう意味だと思う……?」

「は? なんすかその質問?」


 星羅が眉間に皺を寄せて目を細める。


「いや、ええと……。『ぶりっ子』に良い意味ってあるのかな~って」

「『ぶりっ子』に良い意味なんてないでしょ。普通に悪口っすよ。それがどうかしたんすか?」

「だよな……。いや、なんでもないんだ。ごめん、邪魔したな」


 星羅は先程よりも不審そうな顔になったが、忙しいのか踵を返して校舎の方へと消えていった。


(……やっぱそうだよな)


 女子である星羅がきっぱりと悪口だと認めたということは、あの紙切れを山下に送った相手は、ほぼ確実に悪意を持ってその行為を行ったということになるだろう。


「だからそこ色違うって!」

「うおー! すげー! めっちゃかっこいい!」

「衣装ってあと何着いるのー?」


 修の今の心境にとって、周りの賑やかな声は雑音でしかなかった。


(……静かなところで一旦落ち着こう)


 そう思い、修は体育館裏へと歩いていった。

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