第159話

「カバー!!」


 誰かが叫んだのが聞こえてきたがもう遅い。

 凛は閉じる門の間に体をねじ込むように、ディフェンスが寄ってくるよりも速くシュートを放つ。


 これでこのピリオドだけで13点目だ。

 やはり汐莉のディフェンスでは凛を止めることなど到底不可能な話だった。

 他の選手のカバーですらその意味を為さない。

 それほど今の凛のパフォーマンスは見事なものだった。


 こんな風に自分のことだけを考えてバスケをしたのはいつぶりだっただろうか。

 凛は臨時のチームメイトたちに申し訳ないという気持ちは抱いていたが、今はそれ以上に自分の気分を晴らしたいという身勝手な感情が先行していた。


(どうして、こんなにイライラしているのかしら……)


 凛は未だにその理由がわからずにいた。

 何が気に入らないのか。

 何に対して怒りを覚えているのか。


 怪我が理由とはいえ、楽しくなってきたのにベンチに下がってしまった灯湖。

 自分の実力をわかっていながら、それでも果敢に立ち向かってくる汐莉。

 凛を抑えることが最優先だとわかっているはずなのに、そのために全力を尽くさない修。


 原因は考えられるだけでもたくさんあるのに、明確にこれだと判断することはできなかった。

 だからバスケで晴らす。


 溜まった鬱憤をボールに乗せて、ゴールネットで濾しとってもらうのだ。


 しかし同時に気になるのは栄城ベンチ、すなわち修の動きだ。

 先程凛が確認した時点では、修はそわそわしながら腕を組んで立っていた。

 これだけ圧倒的な力の差を見せられているのだから、作戦変更のために交代するか、最後のタイムアウトをとるかと悩んでいるのだろう。


(さぁ、動くなら今しかないわよシュウくん)


 修が痺れを切らすのを期待して、凛は横目でちらりと栄城ベンチを窺った。

 しかしその目に映った光景に、凛は驚きで目を見張る。


 なんと修は先程から一変、落ち着いた表情で座っていた。

 凛は唖然とする。

 まさか、このまま汐莉を付かせたままで押しきるつもりなのか。


 再び胸にふつふつと熱い感情が沸いてきて、凛は奥歯を噛んだ。

 修から目線を切り、自分のマークを見る。


 汐莉が凛をマークすることがわかってから、凛も菜々美から汐莉へとマークを変えてもらった。

 攻守で汐莉を打ちのめせば、すぐに修が考え直すと思ったからだ。


 実際攻守のどちらも、汐莉は凛に手も足も出ていない。

 それなのに、修はマークを変更することをせず、まるで汐莉に託すことを決めたように腰を下ろしてしまった。


(どうして……)


 修が汐莉に目をかけているのはわかっていた。

 だがそれにしたってその作戦は間違っていると思わざるをえない。


 栄城のミスショットのリバウンドをライトニングがとり、攻守が入れ替わった。

 ライトニングはフロントコートでパスを回しながら、攻めるタイミングを計る。


 凛は次に自分にボールがきたら、また仕掛けてやろうと考えた。

 汐莉では止められないし、カバーも合わせてぶち抜ける自信がある。


 唯一警戒すべきは凪がカバーにくることだが、凛はほとんどの場面で相手のポジショニングを常に把握しているため、凪がカバーに来れる方向へのドライブは意図的に避けていた。


 別に凪を恐れているわけではないが、リスクは極力負わないのがベストだ。

 さらに凛は栄城のディフェンス策を既に看破していた。


 凛がボールを持った際、汐莉は正面ではなく左右どちらかに極端に寄ったポジションをとっている。

 それは寄っている方のドライブを封じ、逆方向へのドライブを誘導して、カバーにきた味方と二人がかりで止める、というディフェンスをするためだろう。


 しかし現状それは機能していない。

 そのディフェンスすら突破する力とスピードを、凛が有しているからだ。


 やがて右45°の位置にいた凛にボールが回ってきた。

 思った通り、汐莉は向かって左側に寄ったポジショニングをしており、右方向へのドライブを誘っている。


(いつもなら構わず右に行くトコだけど……)


 今はそちらの方向には凪がいた。

 おそらく他の選手以上のスピードと堅さで、凛の攻撃を止めに来るだろう。


(あの人がいるところに攻めるよりは……こっち!)


 凛はドリブルをしながら一歩右に出る。

 すると汐莉が少しだけそちらの方向に動く。

 その動きのおかげで、汐莉が寄っていてスペースがなかった左側に、わずかなスペースが生まれた。


 凛は間髪入れずにフロントチェンジで左にボールを持ち替え、そのスペースに体を捩じ込もうとした。

 まさかこちらから攻めてくるとは微塵も思っていないだろう。

 反応出来ずにこのまま抜き去って終わりだ。


 凛がそう確信した瞬間。


(!?)


 目の前に壁が立ちはだかった。

 凛はそれを目視したと同時に、突進体勢だった体の勢いを懸命に抑え、体を起こした。


 その壁と体がぶつかったものの審判のホイッスルはない。

 チャージングは免れたようだ。


 凛は止められたことに驚きながら、その壁が誰なのかを確認し、それに対してまた驚いた。

 それはカバーにきた誰かではなく、抜いたと確信したはずの汐莉だった。


 汐莉はすぐさま体を寄せて凛にプレッシャーをかける。

 凛はボールを後ろに引き、自分の体をボールと汐莉の間に割り入れてボールを奪われまいとガードした。


(甘いっ! 一瞬ヒヤッとしたけど、ボールは渡さな……)

「甘いわね」


 パシッと音がして、凛の手からボールが消えた。

 驚愕しながら凛が振り向くと、はじかれたボールを凪が追いかけていくのが見えた。

 凛は凪にドリブルをカットされたのだと理解する。


 一瞬の動揺はあったものの、凛もボールをカットされた瞬間既に走っていた。

 ドリブルで進む凪を必死で追いかける。


 凪のドリブル速度はとても速いが、凛の走力もかなりのものだ。

 ボールをつきながらとそうでない者とでは、もちろん後者の方が有利である。


 凛は先回りし、3Pライン手前で凪の前に立ちはだかった。


(行かせない!)


 すると凪が突然ドリブルを止めてその場で立ち止まった。

 まさかシュートか、と思い、凛も足を踏ん張って止まり、ブロックのために手を上げながら腰を浮かす。


 凪がニヤリと笑った。

 その瞬間、凪はゴール付近へとバウンドパスを出す。

 凛は驚きを隠せなかった。


 なぜならその先には誰もいないはず……。

 凛は目を丸くしながら振り向き、ボールの行方を追った。


(!!)


 ボールが跳ね上がった先にいたのは汐莉だった


(ど、どうしてシオリがそんなところにいるの……!?)


 ボールを受け取った汐莉がレイアップを決めるのを見つめながら、凛はその目を疑う。


 ボールと共に先頭を走っていたのは凪だ。

 そして凛はカットされた瞬間走り出し、凪を追い抜いた。

 この時点で凛よりもゴールに近い位置には誰もいないはずだ。


 汐莉がいくら速くても、スタートの位置関係的に、良くて凛と並ぶラインにいる程度だろう。

 しかし実際汐莉は凛よりも前方を走っていた。


「作戦通りね」

「作戦通りです!」


 汐莉と凪が嬉しそうにハイタッチを交わす。


……?)


 一瞬言葉の意味がわからず呆然としたが、すぐにハッとする。


(まさか、ディフェンスの時点で罠を張られてたってこと……!?)


 汐莉が凛のドライブを止めるのも、凪がボールをカットするのも作戦通りだった。

 だから汐莉は凛以上の反応速度で走り出すことができた。

 そういうことだったのか……。


「やってくれたわね……」


 凛は低い声で呟いた。

 最早栄城は自分を止められないと、そう思っていた。

 だが(おそらく凪の立案とはいえ)格下だと見下していた汐莉に反撃されてしまった。


(……傲慢なところだけ先輩に似ちゃったのかも)


 凛は自分の態度を反省し、気持ちを切り替える。

 相手は格下などではない。

 自分に一泡吹かせることのできる強者であると。


 そのとき、タイマーのブザーが鳴りそれに続いて審判がホイッスルを吹いた。


「タイムアウト、黒!」


 ライトニングのタイムアウトが宣告された。

 これから良いところなのに、と凛は不満顔でベンチに視線を向ける。


 しかし凛の表情は一変した。

 焦りと動揺で、視線は泳ぎ口はもごもご動く。


 なぜならライトニングのベンチに、見覚えのある若い男が額に青筋を浮かべながらニコニコ笑って立っていたからだった。

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