第160話

「完っ全に不完全燃焼だわ!!」


 試合後のミーティング、凪はむすっとした顔で開口一番に言い放った。


「せっかく宮井と二人で嵌めてやって、さぁここからってときだったのに!」

「確かに。あのワンプレーで流れはこっちに来たって、あたしでもわかったよ。それまでやられてた分やり返せると思ったのに」


 あーあ、と晶も気の抜けた顔で凪に同意する。

 他の皆も程度の差はあるが、試合の結果に満足している者はいないようだった。


「納得いっていないかもしれませんが、勝ちは勝ちです。気持ちはわかるけど、そんな態度をとっていては相手に失礼だよ」


 川畑が優しく微笑みながらも厳しいことを言うので、部員たちはばつが悪そうに返事をした。


 川畑が言うように、試合は僅差ではあったものの栄城の勝利に終わっていた。

 ではなぜ部員たちが不満げであるのか、その理由は明らかだった。


(まさか名瀬高のコーチが凛ちゃんを連れ戻しに来るとはなぁ)


 最終ピリオド、汐莉と凪が張っていたディフェンストラップが成功し、ターンオーバーから速攻を決めた直後、ライトニングがタイムアウトをとった。

 そしてそのタイムアウト明け、凛の姿はコートにもベンチにもなかった。


 困惑しながらも栄城は試合を最後まで戦い抜き、凛という驚異が去ったライトニングを相手に怒濤の追い上げを見せて勝利をもぎ取った。


 試合後、釈然としないままベンチから引き上げると、すぐに20代後半くらいの若い男性がしょんぼりした表情の凛を伴って川畑に謝罪にきた。

 その男性は名瀬高のコーチであり、凛がこの交流大会に出ていることを聞きつけて止めに来たのだとか。


 予想していた通り名瀬高バスケ部は学校の許可なくこういった大会に出場するのはご法度であるようで、無断でこのような暴挙に出た凛は試合の間、裏でこっぴどく叱られていたらしい。

 コーチがぺこぺこと頭を下げる横で、凛も小さな声で「すみませんでした……」とうなだれていた。


(それまで宮井さん相手に無双してた凛ちゃんが、ターンオーバーされてからどんな動きを見せるか見ておきたかったけど……)


 ものともせずそのままの調子を維持するか、はたまた動揺して精彩を欠くか。

 そういうところを知るのは将来的につけ入る隙にも繋がるので、できれば把握しておきたかった。


 だが過ぎてしまったことは仕方がない。

 修はそれよりも、その凛に一矢報いたプレーについて聴きたかった。


「凪先輩、って、結局あれはどういう作戦だったんですか?」

「ん、まぁ難しいことはしてないわよ。ただ、渕上がマークしてたときからあの相馬って子、私がいる方向へのドライブは徹底的に避けてたのはわかってたから。だから、それを使わない手はないって思ったの」


 凪が目線を汐莉に送ると、汐莉は頷いて補足するように言った。


「凪先輩に言われたの。凛ちゃんがボールを持ったときは、左右どちらかに極端に寄って抜かせる方向を限定しなさい、って」

「あと、どうせ抜かれるんだから、無理に頑張らずにできるだけあっさり抜かれなさい、とも言ったわ」

「できるだけあっさり? なんでっすか?」


 星羅が頭上に疑問符を浮かべながら首を傾げた。


「あの子、結構プライド高そうだったから、誘い込まれてるのがわかっていてもそれに乗った上で点をとりにくると思ったの。予想通りダブルチームが来るってわかってたはずなのに、宮井が空けたスペースに突っ込んで来てたわね。ま、それでも点を量産してたのは流石としか言い様がないわ」


 凪は称賛するように両手を上げた。


「しかし、そんな彼女にも例外があった」


 不意に灯湖が言うので、皆の視線が集まる。

 灯湖は腕を組んで顎に指を当て、推理する探偵のような様子で続ける。


「汐莉が空けたスペースの側に凪、君がいるときだけ、彼女は無理やり逆側から攻めていたね」

「……そうよ。二回連続でそういう攻め方をしてきて確信したわ。ってね」


 修は自分の気づいていなかった情報に驚き唖然とした。

 こういったことは外から見ているよりも、中でプレーしている選手の方が感じとり易いとはいえ、凪のバスケIQの高さには感心する。


「だからそのあとまた宮井に伝えたのよ。私が近くにいるときは必ず私側のスペースを空けること。そしてその場合、必ず宮井の守ってる側からドライブしてくるはずだから、動きを予測して突っ込んで来るタイミングに合わせること」

「なるほど……それであの完璧なターンオーバーを生み出したのか」


 修の口から思わずほぅと感嘆の息が漏れる。

 お世辞にもディフェンスが上手いとは言えない汐莉が、遥かに格上である凛のドライブを正面で止めることができるなんて、凪の作戦は本当に凄いと思った。

 しかし凪は「いいえ」と首を横に振る。


「ある程度動きを読んでたとはいえ、相馬はフェイントや緩急を使ってちゃんと抜きにきたわ。それに対してドンピシャでタイミングを合わせた宮井は大したものよ。それに、止めるところまでは話したけど、そのあとのことまでは言ってなかったのに、迷うことなく私の前を走っていたのには驚いた。宮井、素晴らしいプレーだったわ」


 そう言って凪は見る者をふんわりと包み込むように微笑んだ。

 凪は練習中も部員たちを褒める発言を頻繁にする。

 しかし今の言葉は、普段のそれとは明らかに違う、本当に心から感心してのものであると部員全員が理解した。


「あ……ありがとうございます!」


 汐莉もそれをきちんと感じ取ったのか、顔を真っ赤にして勢いよく頭を下げた。


「でも良かったの? 真っ向勝負したそうな雰囲気だったのに、私の作戦に乗ったりして」


 汐莉は下げた頭をまた勢いよく戻し、両手を肩の前で振った。


「いえ! 真っ向勝負だなんてそんな! 私、今はまだ凛ちゃんの相手にならないことはわかってました。それでも、全国レベルと同等の凛ちゃんとマッチアップしたいって思って……それで、自分のできる精一杯をやろうって思ってただけなんです。だから、凪先輩のおかげで私なんかでも高いレベルの人に対してできることがあるんだって思えました。ありがとうございます!」


 そう言って今度はゆっくりと一礼する。


、ね)


 修は思わず笑みをこぼしてしまった。

 きっと汐莉のその言葉は特に意識してのものではないのだろう。

 しかし修にしてみればそのうち対等にやり合ってみせるつもりがある、という意思表示であると思えて仕方がなかった。


「さ、とりあえず今はこのくらいにして、後はオフィシャルが終わってからにしましょう。二木たちに悪いわ」


 そう言って凪は場を締めるようにパンと一回手を叩いた。

 栄城は六試合目のオフィシャルが当たっているのだが、笹西の部員たちが気を遣って着替えやミーティングの間代わってくれているのだ。


「そうですね、行きましょうか」


 栄城の部員たちはぞろぞろとアリーナに向かう。

 その道中、汐莉が修の横に来て小声で話しかけてきた。


「ねぇねぇ永瀬くん。凪先輩の作戦が上手くいったの、半分は永瀬くんのおかげなんだよ」

「俺の? どういうこと?」


 指揮を執っていた者としては情けない限りだが、その作戦について修は一切関与していなかったので、汐莉の言っている意味がわからずに聞き返す。


「合宿中、凪先輩や灯湖先輩に一対一でぜんぜん勝てなかったときに教えてくれたでしょ。一つひとつを区切って考えずに、すべて繋がってるって捉えろって。あの教えがなければきっと私、何度も抜かれたことにムキになって、集中力をなくしてたと思う。あの一瞬、最高の集中力を保てたのは永瀬くんの教えのおかげだよ」


 そう言って汐莉は、まるでひまわりが咲いたような笑顔を修に向けた。

 それを見た修はドキッとして、反射的に目を逸らす。


「そ、そんな。半分は俺のおかげってのは言い過ぎだよ。……ただ、少しでも助けになったのなら、言って良かった……と思う」


 恥ずかしさをごまかすように鼻を掻きながら、修はたどたどしく答えた。

 そしてちらりと汐莉の方へ視線を戻すと、彼女はまだ嬉しそうな笑みを浮かべながら修のことを見ていた。


 それを見て修の頬もつられて綻ぶ。

 修は汐莉がそう言ってくれたことがとても嬉しかった。

 先程の試合、修は自身の戦術やベンチワークについて反省点が多いと思っていて少し落ち込んでいたのだが、汐莉の言葉のおかげで、わずかであっても自分がしてきたことはきちんと結果に繋がっているのだと思うことができた。


「ねぇ、そういえば凛ちゃんは大丈夫かな?」


 不意に汐莉が違う話題を提起してきた。

 恐らく凛が部のルールを破っていたことについてだろう。

 確かにあの落ち込んだ凛の様子を見ると、何か重いペナルティがあるかもしれないと考えるのは自然だ。


「うーん、ちょっと心配だけど、大丈夫なんじゃない? いくら凛ちゃんが奔放な子だからって、強制退部とか試合出場停止とか、そういうレベルの重い罰があるならそんなリスクは負わないと思うし……」

「そう……だよね」


 それでもまだ汐莉は心配顔だ。

 やはり汐莉は凛のことを特別に意識しているように感じる。

 友人としてか、ライバルとしてかはわからないが、修はそれが良いことだと思った。


 だが汐莉の実力と凛のそれとはまだまだ大きな差がある。

 これをどこまで埋められるか。

 いや、完全に埋めなくてはならないのだ。


「きっとウィンターカップでまた戦えるよ。それまでに、もっと練習しなくちゃな」

「……うん。そうだね!」


 汐莉もそのことがわかっているのか、無理やり眉を引き締めて顔を上げた。

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