第158話

 タイムアウトが明けて選手たちがコートに戻ると、程なくして試合が再開された。

 凛は灯湖が交代したことでマークが菜々美に代わる。


(この大事な局面で入ってくるのがシオリとはね……)


 凛は汐莉のポテンシャルは認めているが、実力はまだまだ素人に毛が生えた程度だ。

 先程出ていた星羅もそうだが、交代要因の層が薄すぎる。

 スタメン五人の総合的なバランスはなかなか良いと感じたが、一人でも離脱すると大きくそれが崩れてしまう。


(この人も、それなりにいいものは持ってるけど、まだ物足りないのよね)


 そう思いながらボールが回ってきた菜々美と対峙する。

 菜々美は攻め気があるような雰囲気で凛を睨むが、すぐにインサイドにパスを出した。


 凛は心の中でため息をついた。

 第三ピリオドで灯湖に完封され、一時はショックを味わったが、個人スコアはほぼイーブン。

 このピリオドで逆転すると心に決めた矢先、その相手が怪我でいなくなってしまうとは。


 灯湖以上の相手はもう栄城にはいないだろう。

 強いて言うならガードの三年生だろうか。

 あの人は地味だがかなり良いディフェンスをしている。

 おそらく次のオフェンスから自分に付くのはあの人だろう。


 だがもう既に凛のやる気はピーク時よりかなり低下していた。

 もちろん手を抜いたりするつもりなどなかったが、無意識の内に落胆してしまっていた。


 やがて栄城が得点を取り攻守が入れ替わる。

 凛は少しの虚しさを感じながら、オフェンスのためにフロントコートへと走った。

 そのとき、自分の前に立ち塞がった人物に目を見張る。


「ちょっと待って……。私のマーク、アナタなの……?」

「そうだよ」


 そこにいたのは汐莉だった。

 真剣な瞳で表情を引き締め、凛に目を合わせずに短く答える。


 凛は反射的に修の方を見た。

 栄城の指揮を執るその少年は腕を組んだ状態で立ったまま、とても心配そうな表情をしている。


(シュウくん、何を考えているの!?)


 最初に感じたのはショックだった。

 言っては悪いが今の汐莉では自分の相手にならない。

 なぜそんな選手をぶつけてくるのか、もしかしたら自分は甘く見られているのではないか、と。


「永瀬くんの作戦じゃないよ。私がわがままを言ったから」


 凛の視線から考えを読み取ったのか、汐莉が静かに言った。


(どういうこと……? シオリが私に付きたいって直訴して、それをシュウくんが飲んだ?)


 次に凛が感じたのは怒りだった。

 ゆっくり、ふつふつと、熱い負の感情が沸き上がってくる。

 なぜこんなにも気持ちが昂っているのか、凛自身も理解していなかった。


 今わかっているのは、この怒りをどこかにぶつけなければ気がすまないということだけだ。


 仲間がフロントコートまでボールを運んできた。

 凛は一度ゴール方向へカットした後、アウトサイドにフラッシュしてボールを要求する。


 ボールを持った瞬間、凛は一歩で汐莉を抜き去った。

 そしてカバーにきた他のディフェンスと体をぶつけ合いながら、腕を伸ばして柔らかくボールを放つ。


 審判がホイッスルを吹いた。

 ボールはリングに触れることなく、優しくネットを通過する。

 審判は続けて二本指を立てた手を振り下ろした。


 アンドワン。

 シュートでの二得点が認められた上に、ファウルによって一本のフリースローが与えられる。


 凛は自分の肩の前にかかったツインテールを手で後ろに払った。

 そしてフリースローラインに移動する前に、近くにいた汐莉に向かって低い声で言う。


「シオリ。悪いけど、このピリオドは憂さ晴らしに付き合ってもらうわよ」






「ああっ、また相馬さんだぁ……!」


 隣で優理が悲鳴にも似た声を上げるのを聞きながら、修は唇を噛んでコートを見つめた。

 灯湖が下がり試合が再開してから、今ので凛の得点は9点目。

 栄城は凛の猛攻を止められず、せっかく掴んでいた流れを敵に奪われてしまっていた。




 第二ピリオドで灯湖を圧倒していた際は、どこか余裕や品を感じさせるバスケだったが、今の凛はそれとはまったく違っていた。

 ただ『点を取る』ということだけしか眼中にないような、荒々しく暴力的で感情に任せたようなバスケ。

 しかし凄まじいことにそんな状態でも、プレーの質が変わっただけで精細を欠くということはまったくなく、確実に得点を重ねていく。


 どちらが凛の本当の姿なのだろうか。


 もし今の姿が本性であるならば非常にまずい。

 このままでは汐莉が蹂躙されるだけされて試合が終わってしまう。


(どうする……? やっぱりマークを代わらせるべきか?)


 修は大いに頭を悩ませていた。

 時間はまだ5分以上ある。

 今動けばまだ間に合うかもしれないが、この機を逃せばもう手遅れになってしまいそうだ。


 それはもちろんチームとしても、というのもあるが、何より汐莉の精神的なダメージが大きい気がする。


「永瀬君」


 するとその思考を遮るように、優理よりもさらに隣のベンチから声がかけられ、修はハッとしてそちらを見た。


「汐莉に任せると決めたんだろう。そんなにハラハラした顔で見てないで、信頼してどっしり座っていたらどうかな。指揮官がそんなのだと、選手たちに伝染してしまうよ」


 灯湖が依然指を保冷剤で冷やしながら、落ち着いた笑みを浮かべて安心させるように言った。


「でも、このままじゃ……」

「気持ちはわかるさ。だけど、もしこのまま打ちのめされたとしても、汐莉はそれで挫けるような子ではない。君だって良く知っているだろう。私たちよりも、ね」

「それは……」


 最後の言葉が引っ掛かり、そうですけど、と言っていいものかわからず修は口ごもった。

 確かに汐莉の精神的な強さは充分知っている。

 だが汐莉はなぜか凛のことを強くライバル視しているようなので、それがもしかしたらマイナスの要因として働くのではないか、という不安が尽きないのだ。


「汐莉だって、このままで終わるようなヤワな子ではないさ。それに、タイマーが止まると高頻度で凪が何か耳打ちしに言っている。私は何かやってくれるんじゃないかと思っているよ」


 そう話す灯湖は、先程までのギラギラした雰囲気が消えてとても穏やかだった。

 もしかするとそれは、不完全燃焼だった自分の気持ちを汐莉が引き継いでくれた、とでも思っているからだろうか。


 修はちらりとコートへ視線を戻す。

 凪が汐莉に頻繁に話しかけているのにはもちろん気付いていた。

 灯湖の言う通り、何かをするための準備をしているのかもしれない。


 修は一度目を閉じて、深く息を吐いた。


(信頼してどっしり座る……か)


 思い返してみると、ミニバス時代や中学時代に、自分のチームの監督やコーチがそうしている姿を見ることは多々あった。

 そのときはなぜか安心するような気持ちになって、プレーに集中できていたような気がする。


(……そういうもの、なのかな)


 正直言うとよくわからなかった。

 それにこの試合に関しては、修は自分がほとんど役に立っていないような気がしていて、もっと自分が動かなくてはという気持ちになっていた。


(けど……今はそうすべきじゃないのかもしれない)


 そう思って修はゆっくりと腰を下ろした。


「それでいい」


 灯湖がふふっと笑うのが聞こえたが、なんとなく癪だったのでそちらは見ないことにした。

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