第157話

「先輩! 大丈夫ですか?」

「大したことはないよ。わざわざタイムアウトをとらなくても良かったのに」


 レフェリータイム中、審判に声をかけられた灯湖は微笑んで頷き、続行する意志があるように見えた。

 だが負傷したことは明らかであったため、再開される前に修がタイムアウトを請求したのだ。


「右手、見せてください」


 厳しい表情で要求する修に対し、灯湖は渋々右手を差し出す。

 見ると小指が少し赤く腫れ上がっていた。

 おそらくシュートにいったときにディフェンスの手が当たったのだろう。


「痛みはどうですか?」

「やった瞬間は痛かったが、今はほとんど痛みはないよ」


 大丈夫だと言わんばかりに灯湖は右手を握っては開くを繰り返す。


「やめなさい」


 しかしそれを凪が手首を握って止めた。

 そして診察するように腫れた小指に優しく触れながら観察する。


「この程度の腫れなら靭帯や骨には影響ないはずよ。軽い突き指だと思うわ」

「うん。だから問題ないと言っているだろう。幸い利き手の逆で小指、プレーに影響はないさ。今良いところなんだ。頼むから交代なんて言わないでくれよ」


 そう言う灯湖の顔は微笑んではいるが瞳はギラついていた。

 きっと凛との戦いに昂っているのだろう。それを些細な怪我で中断して欲しくないのだ。


 修にも似たような経験があったので気持ちは痛い程にわかる。

 負傷箇所が利き手ではない側の小指で軽症。

 灯湖の言うとおりプレーに影響はないだろう。

 情報を整理してから、修は灯湖に努めて冷静な声で伝えた。


「駄目です、渕上先輩。交代です」


 その言葉を聞くや否や、灯湖は眉を吊り上げた。


「何故?」

「凛ちゃんとの勝負が楽しいのはわかります。けど、もし悪化してしまったら? いくら小指でも、腫れと痛みが大きくなれば、当分はボールを使った練習はできなくなります。ただでさえウィンターカップまで時間は少ないのに、そんなリスクは負えません」

「しかし……!」

「冷静になってください。この試合は絶対に勝たなきゃいけない試合じゃない。収穫は充分ありました。後は他の皆に任せて、ここは退いてください」


 灯湖はまだ何か反論しようと口を開いたが、言葉は出て来ず、やがて観念したように口を閉じた。


「……わかった。わがままを言ってすまない」

「いえ……。そういうの、嫌いじゃないですから」


 良くも悪くも冷静で飄々としている灯湖が、試合にここまで闘志を剥き出しにして臨んでいる姿を見ることができたのは大きい。

 次へと繋がる内容であったことは間違いないだろう。

 灯湖はベンチに座り、優理が持ってきた保冷剤で負傷した指を冷やし始めた。


「それじゃ渕上先輩、美馬さんアウト、才木先輩と宮井さんインで」

「OK」

「! はい!!」


 菜々美と汐莉が立ち上がり、ベンチにTシャツを脱ぎ捨てる。


「相馬さんには凪先輩が付いてください。凪先輩、残りのディフェンスはメンバー見て指示を出してもらえますか」

「了解よ」


 そして修がオフェンスについての指示を出そうとしたとき。


「あ、あの!」


 突然汐莉が手を上げて修の話を遮った。

 何事かと皆の視線が汐莉に集まる。


「凛ちゃんのマーク、私にやらせてもらえませんか!」

「は!?」


 汐莉からの想定外の申し出に思わず声が裏返る。

 凪たち他のメンバーも驚きで目を見張った。


 そのときタイムアウト終了のブザーが鳴った。

 もう選手をコートに出さなくてはならない。


「永瀬、もう一回タイムとりましょう」


 焦る修を見かねてか、凪が冷静に提案した。

 第三ピリオドに灯湖が頑張ってくれたおかげで、タイムアウトはあと二回とれる。

 あと一回ならそんな余裕はなかったが、修はその提案に乗ることにした。


「す、すみません、もう一回タイムアウトをお願いします!」


 声をかけると審判は頷き、ホイッスルを吹いてタイムアウトをコールした。

 修は汐莉に向き直る。


「何言ってんだよ! 渕上先輩でようやく抑えられる相手だぞ? 前に一対一したときに手痛くやられたの忘れたのか?」


 おかしなタイミングで現実的でないお願いをしてきたことに、思わず口調が荒くなってしまう。

 それでも汐莉は引き下がらず、まっすぐに修の目を見据えて言った。


「それはわかってる! でも、ちゃんとした試合で、凛ちゃんみたいに上手いプレーヤーとやれる機会なんてほとんどないでしょ? 戦ってみたいの……! 今の自分と、県トップクラスとの間にどれだけの差があるのか、ちゃんと確認したいの!」


 汐莉の気迫に圧され、修は言葉を詰まらせる。

 汐莉らしくない、自分勝手でわがままな言い分だ。

 灯湖と凛の熱い戦いを見て気持ちが昂ってしまったのだろうか。


 だがコーチとしてそれを許可するわけにはいかなかった。

 攻守共に重要な役割を担っていた灯湖が離脱し、栄城の戦力は大幅に下がる。

 この局面で優先すべきは凛を抑えることだ。

 そうしなければすぐに逆転されて流れを奪われてしまう。


 それに汐莉を凛レベルの選手に当てるのはまだ早すぎる。

 得るものよりも失うものの方が多い気がしてならなかった。

 修は短い思考時間で結論を出した。

 ここは汐莉に退いてもらおう、そう思って口を開こうとした。


「いいんじゃない?」


 するとそれよりも早く、凪が思いもよらない言葉を口にした。

 修が驚いて凪の方を見ると、凪は呆れたような、それでいてどこか楽しそうな表情で笑っていた。


「あんたもさっき言ってたでしょ。『この試合は勝たなきゃいけない試合じゃない』って。同じ一年同士だし、経験を積ませるって意味でもやらせてみても良いと私は思うわ」

「ちょ、ちょっと待ってください」

「私も悪くないと思う。何より、本人にやる気があるしね」


 灯湖も凪と同じように笑いながら、汐莉の肩を持つ発言をした。


「ただし! 勝たなきゃいけないわけじゃないとは言え、負けてもいいわけじゃないわ。あんたのわがままを聞けば負けるリスクが跳ね上がるのよ。あんたのせいで負けることになるかもしれないの。その覚悟はある?」


 凪が汐莉の方へぐいっと身を乗り出し、下から突き上げるように鋭い目を向ける。

 汐莉はそれに対して一歩も引かず、しっかり目を合わせて言った。


「覚悟はあります。それに、負けるつもりもありません」

「……良い度胸じゃない」


 凪は満足そうにふっと笑った。

 完全に修が蚊帳の外の状態で話がまとまってしまったようだ。

 コーチとしてそれはどうなんだと少し落ち込みながらも、ため息をついて決断を下す。


「……わかりました。相馬さんのマークは宮井さんに任せます。ただし、他の人はできるだけ速くカバーにいけるポジション取りをお願いします」

「ありがとう永瀬くん。すみませんみなさん、よろしくお願いします」


 汐莉が深々と頭を下げると同時に、今度こそタイムアウト終了のブザーが鳴った。


「汐莉ちゃん、気楽にいこう」


 菜々美が優しく汐莉の肩を叩く。


「リバウンドはとるから、得意のミドルどんどん狙っていきなよ!」


 晶が拳を握りながら微笑みかけ、涼がうんうんと頷く。


「はい!」


 汐莉は元気よく返事をし、先輩たちに続いてコートへと入っていった。

 修はそれを見ながら、内心不安を抱きつつベンチに座った。

 本当にこれで良かったのだろうか。


 すると、そんな修に優理が話しかけてきた。


「しおちゃん、バスケのことに関してはどんどんが強くなっていってるねぇ」

「うん……。良いことなのか悪いことなのか……」

「わたしは良いことだと思うなぁ。やっぱりそういう面がある人ほど、上達していくんだよ。それに、ウィンターカップでは、しおちゃん今以上に試合に出れるようになってると思う。そのときに、今日の経験がとっても重要になってくるような気がするんだぁ」


 意外な発言に思わず目を丸くして優理を見てしまった。

 まさか優理がそんなに深い考えを持っているとは思っていなかった。

 そんな視線に気付いた優理が頬を膨らませる。


「そんなに驚かなくても……」

「えっ? いや、その……」

「わたしだっていろいろ考えてるんですよぉ~」

「ご、ごめん……」


 謝ったが、優理は機嫌を悪くしたのか、プイッと顔を逸らしてしまった。

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