第156話

※136話と137話の間のエピソードを飛ばすというミスが発覚しました。詳細は近況ノートにあります。今後このようなミスがないよう気を付けます。すみません。



 この10分間で繰り広げられた攻防を見て、修は開いた口が塞がらなくなってしまった。

 それまでの惨敗が嘘であるかのように、灯湖が攻守で凛を圧倒したからだ。


 実際この試合を見ている者のほとんどは、灯湖が前半手を抜いていたのではと疑っただろう。

 いや、もしかしたらそうだと確信するレベルで思い込んだかもしれない。


 そのくらい、第三ピリオドでの灯湖の動きは尋常ではなかった。

 まるで漫画の主人公が、何かのきっかけを掴んで覚醒したかのように、突然パフォーマンスのレベルを格段に上げたのだ。


 対する凛も、強豪校としてのプライドからか、戦意を喪失することなく必死に食らいついていた。

 それでも灯湖には歯が立たず、スコアは52-46で栄城リード。灯湖と凛の個人スコアは23-21と、ついに灯湖が逆転した。


 第三ピリオド終了のブザーが鳴った後、その場に立ち尽くしてスコアボードを見つめる凛の目は、焦点が定まらずに揺れているように見えた。

 修はその姿に少し胸をつまらせたが、今は敵である凛の心配よりも、自チームのエースである灯湖を労うべきだ。


「灯湖先輩! すごいです!」

「カッコ良かったっす~!」

「すごすぎて、私感動しちゃいましたぁ!」


 ベンチに戻ってきた灯湖の元に一年生たちが駆け寄り、尊敬の眼差しを向けながら跳びはねる。


「いやはや、僕も驚いたよ。お見事でした、渕上さん」


 川畑も額の汗をハンカチで拭いながら称賛の言葉を述べた。


「ありがとう、皆。先生も、ありがとうございます」


 灯湖は肩で息をしながら、満更でもないように顔を綻ばせながらベンチに座った。


「お疲れ様です。なんというか、その……圧巻でした」


 修がドリンクのボトルを差し出すと、灯湖はそれを受け取り満足気に目を細める。


「言っただろう? 君を驚かせると」


 力強い言葉に修も自然と頬が緩む。


「ようやくエンジンがかかってきたみたいね ったく、ハラハラさせるんじゃないわよ。私、そういう映画みたいな展開嫌いなんですけど!」


 眉間に皺を寄せながら凪が灯湖を睨むが、にやけた口元が感情を隠しきれていない。

 凪も灯湖のハイレベルなプレーに興奮しているのだ。


「ふふっ、すまない凪。負担をかけたな」

「ほんとよ。その分、四ピリも楽させてもらうわ」

「ああ」


 和やかに会話をしているが、その表情とは裏腹に灯湖の息遣いは依然として荒いままだ。

 無理もない。

 既に30分出場しっぱなしで、相手は名瀬高の準レギュラーである凛、なおかつ直前の10分はその凛を圧倒する程動いていたのだ。


「四ピリもいけますか?」


 灯湖の体力が心配になり、修はおそるおそる尋ねた。


「愚問だ」


 気合い充分の表情で、灯湖は短く返答する。

 灯湖自身も、急激に上昇した自分のパフォーマンスにテンションが上がっているのかもしれない。

 それを見て修は灯湖の続投を決めた。


「わかりました。じゃあいけるとこまでとことんいきましょう」


 そして修は最終第四ピリオドの作戦を話し始めた。

 オフェンスの中心は引き続き灯湖だが、それにこだわりすぎないこと。

 ディフェンスも変わらずミドル警戒、ボックスアウトを徹底して相手オフェンスの回数を減らすこと。


 また最終盤で灯湖のスタミナが尽きる可能性を考慮して一旦菜々美を星羅と交代する。

 てきぱきと指示を出し終えると同時にインターバル終了のブザーが鳴った。


「さぁ、ラストピリオドです! 頑張りましょう!」


 修たちの声を背に受けて、出場メンバー五人がコートに入った。






「相馬さん、大丈夫? どっか痛めた?」


 突然かけられた言葉にハッとし、凛は自分が放心状態になっていたことに気付く。


「い、いえ、大丈夫です! ちょっと……その、びっくりしちゃって……」

「仕方ないよ。向こうの6番の子、上手すぎ。ていうか、あれ確実に前半は手を抜いてたよね。なんかヤな感じ」

「確かに! あんだけ動けるなら最初からやりなよって」


 ライトニングのお姉様たちは口々に灯湖に対して文句を言い始めた。


「はは……そうですね……」


 凛もそれに合わせて笑ったが、本心は違っていた。

 最初は凛もそう思ったが、実際にマッチアップしていてはっきりと理解した。

 あれは決して手を抜いていたのではなく、本当に第三ピリオドから急激に調子を上げてきたのだ。


 灯湖本人は言った、勘が戻ってきた、そしてそれは凛のおかげだ、とも。

 一方的に打ちのめされた10分間を思い出し、凛は奥歯を強く噛み締めた。

 こんな感覚を自分に味わわせることができるのは、身近には一人しかいないと思っていた。


 東明大付属名瀬高校のエース、若月玲央。

 何度挑んでも 赤子の手を捻るように軽くあしらわれてしまう。

 それと同じ感覚を、まさかこんなところで、弱小校の無名選手から味わうことになるとは。


(このままじゃ終われない……!)


 凛は渋々ながら、灯湖が玲央に近しい存在であるということを認めることにした。

 しかしそれでも同格とは認めない。同格であるはずがない。


「どうする? ディフェンス、ゾーンに変えよっか? 凛ちゃん一人じゃキツイっしょ?」

「えっ!?」


 凛は思わず大きな声を上げてしまった。

 ゾーンに変えられてしまえば灯湖ともうマッチアップできない。

 つまりやられっぱなしのままで終わってしまうことになる。


 しかし凛は無理やり助っ人として参加させてもらっている身だ。

 わがままを言える立場ではないため、視線を床に落として口ごもる。


「わかるよ、このままじゃ終われないんでしょ」


 すると予想外の言葉がかけられ、凛は驚いて顔を上げる。

 ライトニングのチームリーダーであるガード――確か名前は小原といったか――が、快活な笑みを浮かべていた。


「聞こえは悪いけど、この試合はあたしらにとっちゃあ、ただのお遊びだ。でも凛ちゃんにとっては違うんでしょ? 同じ高校生相手にやられっぱなしじゃ悔しいじゃん」


 小原は凛の心を見透かしたように言い当てた。


「やりたいんなら、やらせてあげるよ。どう?」


 そう尋ねる小原に、凛は迷うことなく答えを返した。


「やらせてください」






 そうして第四ピリオドがスタートした。

 引き続き凛は灯湖をマークする。


 そこで凛はあることに気付いた。

 インターバルを挟んでもなお、灯湖の息は整っていない。

 明らかにスタミナ不足だ。


(この程度で息が上がるってことは、所詮その程度ってことでしょ)


 凛にももちろん疲労はあったが灯湖程ではない。

 栄城は昨日まで合宿で、なおかつ今日既に一試合終えているということは汐莉から聞いて知っていた。

 だが名瀬高は普段からそれ以上の練習をしているという自信がある。

 この程度でへばるようなヤワな鍛え方はしていない。


 凛はボールを持つと早速勝負に出た。

 その場で左右にドリブルをして灯湖の足を動かす。


(思った通り、さっきよりも足の動きが悪い)


 そして一瞬、シュートを撃つような素振りを見せると、灯湖はシュートをチェックするために重心を前寄りにして上体を起こした。

 凛はその隙を見逃さず、シュートモーションには入らずにドライブを仕掛けた。


 しかしそれでも完全には抜けず、灯湖が横に付いたまま凛は強引にレイアップにいった。

 ファウルのホイッスルはない。

 凛は勢いをステップで殺しながら、自分の放ったシュートの成否を見つめる。


 決まった。

 これで個人スコアは同点。


(まだよ!)


 第三ピリオドを0点に抑えられた反動で、ようやく得点が取れて一瞬ホッとしかけたが、ここは安心していい局面ではない。

 おそらく次のオフェンスでも灯湖にボールが回ってくるだろう。

 それを止めなければ。


 栄城のオフェンスはいつものお決まりパターンで、ガードの凪がドリブルでフロントコートまでボールを運んで来てからスタートだ。

 一度インサイドにボールを預けるが、すぐにアウトサイドにボールを戻し、やがてそれは灯湖の元に収まった。


 灯湖は攻め気満々といった表情である。

 予想通り、継続して灯湖を中心に攻めてくるようだ。


 ポジションは3Pラインよりも少し遠い。

 その距離は射程外だと判断し、凛はドライブを警戒して少し間を空けて構えた。


 すると灯湖がにやりと笑い、そして次の瞬間シュートモーションに入った。


(その距離から撃てるの!?)


 しかし凛もさすがだった。

 予想外の行動に驚きながらもしっかり反応し、跳び上がりながらボールに向かって腕を伸ばす。


 これで灯湖はタイミング的にシュートを撃てない。

 ブロックされるか、パスで逃げるかの二択だと、そう思った。


 しかし


(フェイント……!)


 気付いたときにはもう遅い。

 凛の足は完全にフロアから離れてしまっている。

 灯湖はその脇をドライブですり抜ける。


(やられた! 自信満々の笑みを見せられて、シュートを撃つものだと思い込まされた!!)


 素の実力だけでなく、駆け引きの面でも上手うわてなのか。

 凛の体を焦燥感が駆け巡る。


(誰か止めて……!)


 凛は着地してすぐ、すがるような思いで振り返る。

 しかし灯湖はカバーディフェンスをものともせず、難しい体勢でシュートを決めた。


(まだ!)


 しかし凛の闘志は萎まない。

 次のオフェンスこそはもぎ取ってやる。

 そう強く決意したとき、突然審判がホイッスルを吹いた。


「レフェリータイム!」

「えっ」


 審判が駆け寄ったのは灯湖の元だった。

 灯湖は苦痛に顔を歪めながら、右手を左手で隠すように覆っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る