第143話
着替えを済ませて宿舎の前までやってきた修は、目の前に広がる予想外の光景に驚いて足を止めた。
「あっ! やっと来たよっ! 修くん、他の皆はっ?」
修に気づいた空が走り寄ってきて尋ねる。
先程別れたときは、後輩たちに怒っていたため機嫌が悪かったはずだが、今は元通りにこにこしていてテンションが高い。
「さっき全員で引き上げてきたところなので、皆まだ着替えてると思います。あの、二木さん。ところでこれは……」
「見ての通りっ! バーベキューだよっ!!」
ウキウキした声で、空が腕を広げて指し示した先には食材や飲み物、食器類が並べられたテーブル、そして赤く燃える炭が入ったコンロが複数設置されている。
そう、聞くまでもなくバーベキューパーティーの会場だった。
「合宿頑張ったご褒美だって、真耶ちゃんと川畑先生がっ」
「へぇ……良いですね!」
中学時代の合宿でも、毎回バーベキューをしていたためある種定番の催しなのかもしれないが、今回の合宿でもそれがあるとは思っていなかった。
修は煙から香る炭の匂いに気分が高揚し、自然と顔に笑みが広がる。
見たところ顧問の二人と食堂を経営する老夫婦が主となって準備をしており、それを笹西の部員たちが手伝っているようだ。
「あっ、俺も手伝います」
栄城が練習している間に用意を進めてくれていたことに申し訳なさを感じ慌てて申し出るが、空が両手を振ってそれを拒んだ。
「ううんっ、修くんは座っててっ。合宿の最後らへん、アタシらキミたちに迷惑かけちゃったからさっ。準備は
空が申し訳なさそうに言う。
修は空のことをもっと能天気――言い方は悪いが――な性格だと思っていたので、後輩たちに怒ったり、キャプテンとして責任を感じたりしていることが少し意外だった。
(二木さんのことを見誤ってました……すみません……)
修は心の中で空に謝罪し、お言葉に甘えて座って待っていることにした。
とは言うもののさすがに何もせず眺めているのは気が引けるので、テーブルの上を整理していると、
「お客様、飲み物をお注ぎします」
と、声をかけられた。
振り向くとオレンジジュースとコーラのペットボトルを持っためぐみが、給仕のように恭しく一礼していた。
「あ……じゃあオレンジで」
「かしこまりました」
修が目の前にあった紙コップをとって差し出すと、めぐみはオレンジジュースをそれに注ぎ始める。
「……永瀬くん、ごめんね。練習サボっちゃってさ」
めぐみはそれまでのおちゃらけた態度を改め、急に真剣なトーンで謝罪してきた。
「あぁ……うん、まぁ、別に……。正直、ちょっと腹立ったけど……何か理由があったんでしょ?」
「まぁそうなんだけどさ……。でも、ああするべきじゃなかった。反省してます」
そう言うめぐみの表情からは、本当に心の底から申し訳なく思っていることが伝わったきた。
だから修は、やはりこれ以上このことについて追及する必要はないと判断した。
「うん。もういいよ。ただし、
するとめぐみはハッとした表情になったあと、弱々しく微笑んだ。
「もちろんだよ。ありがとう」
「コラめぐみ! 話してないで手伝え! この機械はどうやって使うんだ!?」
遠くで蘭が大声で喚いている。
どうやらニンジンと格闘しているようだ。
それを見ためぐみはやれやれと肩をすくめた。
「機械て……。ピーラーの使い方もわからんとは、あの子はちとヤバいかもしれんねぇ。はいはい、今行くよー」
そう言ってめぐみは蘭の元へと歩いて行った。
笹西のキャプテンは空だが、一年グループをまとめて引っ張っているのはめぐみだ。
だから恐らく仮病を使ってでも全員でサボることを決めたのはめぐみなのではないかと修は思っていたが、あの様子だとそれは正解なのだろう。
だがその行動はきっと悪意からくるものではないのだと思った。
そうしなければならない理由が彼女たちにあったのかもしれない。
真面目に罰を受ける五人の姿を見て、修はそんな風に考えたのだった。
しばらくして栄城のメンバーも合流し、皆で乾杯してバーベキューがスタートした。
修以外は女子ばかりだが、皆育ち盛りの運動部である。
食べ始める前は「女子高生は肉で喜んだりしない」などと言っていた者もいたが、一口食べればもう止まらない。
大量の肉が次々と焼かれては少女たちの胃袋に収まっていった。
調理を担当していた食堂の老夫婦はとても大変そうだったが、美味しそうに食べる皆の姿を見てとても嬉しそうであった。
全員合宿の疲れはどこへやらといった具合にはしゃぎ、バーベキューは盛り上がる。
その頃には笹西のメンバーにもいつも通りの笑顔が戻り、皆隔てなく楽しそうだった。
そしていつの間にか辺りが薄暗くなってきた頃。
修は用を足すために体育館のトイレに来ていた。
宿舎のトイレは古くて狭く、またバーベキューをしていた場所からは体育館の方が近かったからだ。
手を洗ってから廊下に出た修は、ふぅ、と一息ついた。
外からは部員たちの笑い声が聞こえてくる。
上手くいくかどうかの不安があった上に、色々と問題も発生したこの合宿だったが、とりあえずは無事に終わった。
修はそのことに改めて安堵した後、きゅっと表情を引き締める。
(合宿を乗り越えられたことは良かった。けど、本当にしんどいのはこれからだぞ……)
ウィンターカップ予選は十月半ば。
残された時間はあと1ヶ月半ほどしかない。
ここまで基礎的な部分についての練習が多かった。
これからはさらなる体力トレーニングに加えて、試合で勝つためのより実戦的かつ組織的な練習を増やしていかなければならない。
(そのためには、俺ももっと勉強しなきゃな)
そう決意したときだった。
(……?)
部員たちの声に紛れて、ズシン、ズシンと鈍い震動音が聞こえてくる。
それは修の頭上から響いているようだった。
(誰かボールを突いてるのか?)
一体誰だろう。
気になった修はアリーナへと続く階段に足をかけた。
扉の前に着くと、震動音ははっきりと聞こえてくる。
そしてスパンッと、ボールがネットに勢いよく擦れる音も。
(あぁ、今ので誰かわかった……)
修は数ヵ月前のことを思い出す。
あのときもこんな風に、ボールの音に導かれてこの扉を開けた。
コートでは汐莉がシュートを撃っていた。
バッシュの紐をしっかりくくっているところを見るに、少し遊びで撃っていた、というわけでもないようだ。
真剣な表情でゴールを見つめる汐莉に、修は目を奪われた。
あれから何度も何度も見ているものなのに、いつまで経っても汐莉のシュートは修の心を魅了する。
そして同時に思い出す。
そのシュートを汐莉に教えた者のことを。
その人物への嫉妬で、修は汐莉に対して、感情に任せて八つ当たりをしてしまった。
(……あのときのこと、まだ謝ってない)
修は足を踏み出して汐莉に近づいていった。
気配に気づいた汐莉が振り返る。
「おっす……。食後の運動?」
修の来訪に驚く汐莉に、できるだけいつも通りに声をかける。
「あ……うん。練習……まだまだし足りなくて」
(本当にバスケが好きなんだな……)
天性の才能に加えてこれ程までの練習の虫である。
汐莉の上達が異常に速いのも当然だ。
しかし今はそんなことを考えている場合ではない。
修がすぐに言葉を返さないので、二人の間には気まずい沈黙が漂っていた。
少し前までは、二人きりでいてもこんな気まずさは感じたりしなかった。
こうなってしまったのは自分のせいだ。
だがそんなのもここで終わりにしたい。
「俺、宮井さんに言わなきゃならないことがある」
「え、な、何……?」
突然のことで汐莉が少し身構える。
修はそんなことお構いなしに、背筋を伸ばして勢いよく頭を下げた。
「この前、宮井さんに酷いこと言ってごめん! 俺に期待するなとか、頼られるとしんどいとか……。あのとき、俺、なんかいっぱいいっぱいで……。本当にごめん!」
汐莉は今どんな顔をしているだろうか。
驚いているか、怒っているかのどちらかだろうか。
「え……ど、どうして永瀬くんが謝るの!? むしろ、謝るのは私のほうだよ!」
しかし聞こえてきた言葉は修にとって予想外のものだった。
修は困惑しつつも顔を上げて汐莉におずおずと尋ねた。
「宮井さんが……? な、なんで?」
汐莉はとてもつらそうな表情で床に視線を落としていた。
なぜそんな顔になっているのかがわからず、修の胸に更なる困惑が広がる。
「永瀬くんが優しくて、いつも私に色々教えてくれるから、私はそれに甘えっぱなしで……。永瀬くんの負担になってることにぜんぜん気づかなかった……。永瀬くんは私のコーチじゃなくて、みんなのコーチなのに。だからあのとき永瀬くんが私に怒ったのも無理はないよ。むしろ、当然だと思う。ごめんなさい」
そう言って今度は汐莉が頭を下げる。
修の困惑は既に混乱へと変わっていた。
「え、で、でも、宮井さん怒ってたじゃん。俺だけにはもう絶対頼らないって……」
「えっ!? ち、違うよ! そんなこと言ってない! あれは、永瀬くんだけに頼るのはやめて、もっと自分で考えて他の人にも教えて貰うようにするって意味で……!」
首を横に振って慌てたように汐莉が弁明する。
それを聴いて、修の頭の中で何かががっちりと噛み合った。
――私、もう永瀬くんだけには頼らない。
(あれってそういうこと……。勘違い……だったのか)
あの言葉は修が思っていたような意味ではなかったのだ。
それを理解した瞬間、修は全身の力が抜けてしまうかと思った。
安堵から、自然と深いため息が漏れ出る。
「……俺、てっきり宮井さんに愛想尽かされたのかと思ってた……」
「違うよ! ぜんぜん違う……! 私、永瀬くんのこと、今でもすっごく信頼してるよ! でも、それじゃダメだからって思って……私……」
それ以上の言葉が見つからないのか、汐莉は胸に手を当てて黙ってしまった。
汐莉の言い方も少し紛らわしいと言えばそうだが、そもそもはやはり修が緒方への劣等感から汐莉に八つ当たりしてしまったことが元凶だ。
(どちらにせよ、悪いのはやっぱ俺だ)
汐莉に気を遣わせてしまったことを修は心の底から申し訳なく思った。
「俺、宮井さんのこと負担だなんて、ぜんぜん思ってない。あのときは、その……。緒方さんとのことがあって、感情的に不安定で……」
「あっちゃん? どうして?」
きょとんとした汐莉に突っ込まれて、修はたじろいでしまう。
「そ、それは……まぁいいじゃん」
別に言う必要のないことだ。
修は適当に笑ってごまかした。
汐莉は納得がいかないといった顔で首を傾げているが、修は咳払いをして話を戻す。
「俺、今は正式に栄城のコーチってことになってるけど、そもそもは宮井さんのサポートをしたくて入部したんだ。宮井さんに助けてもらった恩返しがしたいから。だから、今まで通り、ガンガン頼ってもらって構わない。宮井さんは特別だから」
汐莉に気持ちが伝わるように、修はゆっくり真剣に、語りかけるようにそう言った。
すると途端に汐莉の顔がカァーッと赤くなる。
「と、特別って……」
頬を両手で覆って目を逸らす汐莉を見て、修は自分の発言のまずさに気がついた。
「い、いや! 特別っていうのは別に変な意味じゃなくて! その……えーっと~……」
修も汐莉と同じように頬を染めながら必死に弁明をしようとするが、焦ってなんと言えば良いのかわからずあたふたしてしまう。
そんな修の様子がおかしかったのか、汐莉は突然吹き出して肩を震わせながら笑った。
修は恥ずかしさでいたたまれなくなり、俯いて頭を掻いた。
笑いが収まった汐莉が、涙目になった目尻を指先で拭い、修の方へと向き直ると
「これからも、色々頼ってもいいですか?」
と朗らかに微笑んだ。
その表情にドキッとしたが、修もしっかりと答えを返す。
「うん。これからも頼ってください」
どちらからともなく差し出された右手が重なる。
ぎゅっと握り合う手のひらから、お互いの体温が伝わる。
(こんな風に宮井さんと笑い合ったのは、すごく久しぶりのような気がする)
実際は一週間にも満たない程の期間だったが、修にとってその期間はとても苦しいものだった。
そう思える程、汐莉と笑い合うことが修の日常と化していた。
今日からまたその日常が帰ってくる。
そのことにほっとしていると、それまで微笑んでいた汐莉の表情が突然暗くなった。
そしてそのままゆっくりと修に目を合わせ、決心したように口を開く。
「永瀬くん、私、実は……永瀬くんに隠してることが」
その瞬間、「あ~っ!!」という大きな声が突然アリーナに響き渡った。
二人は反射的に手を離し、声がした方を振り返る。
「また練習してるっ! ズルいよっ」
そこにはビシッとこちらを指差す空と、その後には片手で頭を抱える飛鳥の姿があった。
「アタシもまだまだ練習したーいっ」
空が猛然とダッシュしてきて、汐莉の傍らにあったボールを拾うと、そのままゴールに向かってレイアップシュートを撃ちに行った。
そんな空をよそに飛鳥が近寄ってきて、申し訳なさそうに囁いた。
「あのー二人とも、もしかして邪魔しちゃったかな……?」
「い、いえ別に! 練習してただけですから!」
どうやら飛鳥は何かおかしな勘違いをしているようなので、はっきりと否定しておいた。
汐莉もぶんぶんと首を縦に振る。
「そーなの……? ま、それなら良かった。皆キミらのこと探してるよ。最後にマシュマロ焼くんだって。アイスもあるよ。行こ」
「は、はい」
「空さーん! いきますよー!」
「ちょっと待ってっ! 最後の一本っ」
飛鳥はやれやれと肩をすくめると
「私らもすぐ戻るから、先に行ってて」
と言った。
その言葉に従って、二人を残して修と汐莉はアリーナを後にした。
その道中、やはり先程の言葉が気になったので、修は汐莉に話しかける。
「なぁ宮井さん。さっき言ってた隠してることって……」
そう尋ねると汐莉はうーん、と唸ったあと
「やっぱり……内緒」
と言って笑ったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます