第135話
その後はドリブル、パス、シュートといった基礎的な練習をした。
中には走るメニューもあったが、それまでのラントレーニングと比べれば何てことはないものばかりであったので、部員たちも余裕を持ってこなすことができた。
皆で昼食をとり、一時間の休憩が終われば今度は勉強の時間だ。
宿題をまだ終えていない人はそれを、既に終えている人はそれぞれの顧問が用意したプリントをすることになっている。
そのことに対してめぐみは
「なんかこれ、宿題を終わらせてる方が損した気分になるなぁ。余分に宿題しているようなもんでしょ?」
とぼやいていた。
ちなみに宿題をまだ終わらせていないのは晶、空、蘭の三人だけだった。
「あれ? 伊藤さん、この前まで宿題終わってなくてヤバいとか言ってなかったっけ?」
確かそれで一年生四人で集まって宿題をしようという話になったのだ。
結局そのときは優理と星羅が諸事情で集まれず、汐莉と二人で宿題をすることになったのだが。
「え? え~っと、が、頑張って終わらせたんだぁ~。え、えへへ……」
何だか優理の様子がおかしい。
目をキョロキョロさせて体も小刻みに揺れている。
まるで何か隠し事をしている幼子のようだった。
「怪しい。本当に自力でやったの?」
修がジト目で追及すると、優理はさらに焦った様子になった。
「ほ、ほんとだよぉ~」
笑っているが頬がひきつっていてますます怪しい。
すると優理は修の視線から逃れるようにちらりと目を動かした。
そちらを見てみると星羅がおり、修と目が合う。
星羅は一瞬何かを考えるような表情になったが、すぐに苦笑いを浮かべた。
その顔を見て修は一つの答えにたどり着く。
「伊藤さん、まさか美馬さんに宿題写させてもらったんじゃないよね?」
「そそそそそそそそんなことないですよぉ!?」
いつものほわほわした喋り方はどこへやら、優理は物凄い早口で否定する。
しかしその反応は肯定したも同然だ。
「いや焦りすぎでしょ! 絶対写させてもらってんじゃん!」
修が確認するようにもう一度星羅を見ると
「あはは、そうっすね。ウチが見せたっす」
星羅は思いの外簡単に口を割った。
「み、ミマちゃ~ん……! それは言わないでよぉ~!」
「ごめんっす! でも、隠しておく必要もなくないっすか? 宿題の呪縛から解放されて、練習に集中できるじゃないすか。ね?」
星羅が修にウインクする。
真面目な修からすればあまり許容したくないことであるが、星羅の言うことは一理ある。
「まぁ……いいけど」
修は呆れてため息をついた。
他人のことにあまりとやかく言うのも良くないと思うが、チームメイトということもあってこの先が少し心配になってくる。
「う~ヤバい……! 残りの日数で終わる気がしない!」
声がした方を見ると蘭が泣きべそをかきながら唸っていた。
「蘭ちゃん? この前宿題は終わったのって訊いたとき、終わったって言ってたわよね?」
愛美奈がニコニコしながらも凄みを感じさせる表情で言うと、蘭は狼を前にした子犬のように怯えて縮こまる。
「あああ、あのときはああ言うしかなくてだな……!」
「だったら今日までに頑張って終わらせてきなよ……。バレるのわかってたでしょ?」
陽子が心底呆れたように肩をすくめた。
優理はそのやりとりを見てホッとしたような表情になっていた。
自分より下がいて安心しているのだろうか。
「あんたたちうるさいわよ。もう時間なんだから黙って自分のことをやりなさい」
いつまでも騒がしい一年生たちを見かねて凪が厳しく叱ったので、それまで喋っていた者たちは即座に口をつぐんで席に着く。
修も川畑が作成した英語のプリントに手をつけ始めたが、心の内は『早く練習の時間にならないかな』という感情でいっぱいだった。
午後の練習は実戦形式のメニューが多く行われた。
ハーフコートでの三対三や四対四、オールコートでの二対一や三対二で様々なシチュエーションでの攻め方、守り方、素早い状況判断力を養っていく。
初めての二部練習である上に、午前はラントレで下半身をいじめたこともあり、部員たちのほとんどはいつもと比べて動きが鈍いように見える。
(やっぱり午前の練習がかなりキてるみたいだな……)
かく言う修もふくらはぎが少し痙攣していた。
ここ数週間は走り込みや筋トレを欠かさず行っていたが、それでも二時間以上走ったり跳んだりを繰り返すのはなかなかつらいものだった。
(でも、中学のときはもっと走ってた。男女の差があることを考えても、この練習量は過剰ではないはずだ)
強豪では三部練習を行っているところもあるらしい。
それは極端な例かもしれないが、それに比べれば今やっている練習は『そこそこキツい』くらいだ。
(全国に行くにはこれくらい乗り越えられないと……。今後色々とキツくなる)
この合宿の目的は様々であるが、その中の一つに『メンタルを鍛える』というものがあった。
五日間続けて二部練習を行う。そうすれば恐らく体は悲鳴を上げるだろう。
しかしそれを乗り越えたとき、『キツい練習をやり遂げた』という事実が自信に変わり、その後の練習に対する姿勢が変わってくる。
夏休みが明ければこんな風に二部練習をすることはできなくなるが、冬に向けて練習の密度はどんどんと高くしていく予定だ。
それに対してへこたれないメンタルを鍛えるという効果を期待しての練習設定というわけである。
(大丈夫……。このくらいなら皆乗り越えられる。皆、目標のために努力できる人たちだ)
そう強く信じることにした修だったが、どこかでやはり不安も抱えていた。
そして後にその不安が的中することになる。
「すみません!」
皆苦しい中でも頑張って日程を消化し、二部練習四日目の午前練習前。
笹西の一年生五人が並んで頭を下げていた。
「そういうことなら仕方がないですね。市ノ瀬さんも永瀬君も構わないね?」
川畑が優しく微笑みながら目配せをしてきた。
「私は構わないですよ」
「はい、僕もです」
経緯はこうだ。
三日間の二部練習を経て笹西一年生五人の疲労が限界まできてしまったらしい。
今朝それを相談された真耶から、一年五人が午前練習に参加しないことの許可をもらえないかという話がたった今出たのだ。
全体的に疲れが見えているのはわかっていたが、まだそこまでつらそうでなかっためぐみと陽子も含めた五人が一度にリタイアするとは思っていなかったので修は驚いた。
だが無理をさせるわけにもいかない。他校の部員なら尚更だ。
「そういうことだから、五人とも顔を上げて」
川畑が言うと五人はゆっくりと頭を上げる。
皆一様に申し訳なさそうな顔をしていたが、特に有紀の表情は暗く淀んでいた。
その有紀の目線が隣の友人たちの方へ向き、その後唇を噛んで俯く。
何か事情がありそうにも思えたが、修にはその行動の意味はわからなかった。
「みんなごめんねっ。アタシと飛鳥はいつも通り参加するからっ」
「別に謝らなくていいわよ。元々私たちの練習メニューに付き合ってもらってるんだし」
両手を合わせる空に、凪は気にするなと言うように手をひらひらと振った。
そもそも笹西側から練習メニューは栄城に一任するということになっていた。
だから修たちが責任を感じる必要はないのだが、全国を目指している栄城の練習を、特に目標もない笹西が同じようにこなすのは無理があったようで、少し悪い気がしてしまう。
ただ脱落者が栄城の部員ではなかったということに、修は少しだけほっとしていた。
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