第130話
夕食後、日も落ちて辺りが暗くなり始める中、修は一人中庭のベンチで佇んでいた。
考えていることはもちろん、今日の練習時に犯した自身の失態についてだ。
修の指示、指導に対して灯湖や凪が反論したり意見を出したりすることは以前からよくあることだった。
そしてその際は話し合って、その都度ベストな答えを協力して導き出してきた。
今回もそうすれば良かっただけの話だ。
だが今回は灯湖に反論された瞬間盛大にうろたえてしまい、何も言えなくなった修は目が合った凪に助けを求めてしまった。
(情けない……。今までもたくさんあったことなのに、なんであんなにテンパってしまったんだろう)
灯湖に反論された瞬間、修の胸にぎゅっと締め付けられるような痛みが走った。
それから思考が回らなくなって、じっとりと脂汗が滲み出てきた。
(いや、原因はわかってるんだ)
修の脳裏に浮かぶのは勝ち誇ったような笑みを浮かべる緒方と、修に突き放されて愕然とする汐莉の顔。
あのときのショックが、まさかこれほどまで影響を与えるとは。
(凪先輩、「信じられない」って顔してたな……。失望されたかも。他の皆だって、不信感を抱いたはずだ)
チームがノってきている今、しかも大事な合宿の初日にやらかしてしまったことに、修は大きな精神的ダメージを負っていた。
大きくため息を吐いて頭を抱えたそのとき。
「見つけた」
すぐに顔を上げて声がした方を見ると凪が呆れたような、しかしそれでいて優しい笑みを浮かべて立っていた。
「凪先輩……」
口ぶりからすると修を探していたのだろうが、何の用だろうか。
もしかすると今日のことを咎められるのかもしれないと思い、修はまた気弱な表情になる。
「隣、いい?」
修が頷くと凪は隣に、こぶし一つ分程の隙間を開けて座った。
「何してたの?」
「え、えーと、その……少し、考え事をしてて……」
「そう。答えは出た?」
「……いえ」
二人の間に気まずい沈黙が流れる。
凪が何をしに来たのかはわからないが、とりあえず何か話題を振ってこの微妙な雰囲気を誤魔化したいと思った。
「他の皆は何を?」
「食堂で雑談したりゲームしたりしてるわ。あと数十分すれば何人かは自主練に行くでしょうね」
「そう、なんですね。凪先輩は」
「ねぇ」
突然凪が修の話を遮った。
その瞳はじっと修の方を見つめている。
「今日、らしくなかったじゃない」
すぐに何のことを言っているのかわかった。
やはり思っていた通り、凪は修の失態についての話がしたくてここに来たのだ。
「……すみません。あんなにうろたえるなんて、コーチとして見せるべきではない姿を見せてしまいました」
「何か悩みでもあるの?」
凪の問いかけに修は黙ってしまう。
羞恥心からなのか、悩みを打ち明けるのを渋ってしまっていた。
「今日、宮井の様子もおかしかったわ」
その言葉に修はドキッとした。
「ま、あんた程あからさまじゃなかったけど。いつもより暗いような感じだった。もしかして宮井と何かあったの?」
修の顔色が変わっていく。
これではその通りだと言っているようなものだ。
「図星みたいね。考え事っていうのもそのことなんでしょ」
案の定凪に察知されてしまった。
もう言い逃れできないと思った修は消え入りそうな小さな声で返事をした。
「……はい」
「ねぇ、迷惑じゃなければ私に話してくれない? キャプテンとして、先輩として、チームメイトの後輩が悩んでいるのは放っておけないわ」
凪は真摯な態度で優しく言う。
「話すだけでも楽になるとも言うし」
凪の方を見ると、本当に心配してくれているのだとはっきりわかるような表情で修をじっと見つめていた。
凪は信用できる人物だし聡明な上精神力も高い。
(凪先輩になら話してみてもいいかもしれない……)
固く結んでいた唇が自然と開いていく。
「実は……」
修は先日起こったことを凪に話した。
汐莉のシュートが不調だったのは修に原因があったこと。
汐莉にシュートを教えた師匠である緒方敦士と出会ったこと。
緒方がいとも簡単に汐莉のシュートを修正したこと。
コーチとしての姿勢を緒方に非難されたこと。
八つ当たりで汐莉に酷い態度をとってしまったこと。
「ふぅん……そんなことがあったのね」
修が話している間、凪は黙って聴いてくれていた。
そのことは嬉しかったが、話して楽になるというのとは正反対に、話すほどそのときのことを思い出して胸が苦しくなった。
「俺、悔しくて……。緒方さんに何も言い返せなった……! そんな俺がコーチなんておこがましいんじゃないかって思ったら、一気に自信がなくなって……。宮井さんにも酷いことを言ってしまったし、さっきも渕上先輩に反論されて何も言えなくなっちゃいました」
修は声を上擦らせながら話した。
涙はまだかろうじて零れていないが、視界がやや潤んでいた。
「すみません、こんなことで悩んで、練習にも影響を出してしまって……。俺、駄目ですね。メンタル弱すぎです」
笑って見せようとしたが、表情は上手く動かず喉からは乾いた空気が擦れる音がした。
「あんたはよくやってるわ。あんたのおかげでチームはどんどん強くなっていってる」
弱りきった修に、凛とした声で凪は言った。
凪が慰めてくれようとしているのはわかったが、その言葉をすんなりと受け入れることはできない。
「……俺はそうは思えません。チームが強くなっていっているのも、渕上先輩や大山先輩がやる気になって、皆のモチベーションが上がっているからです。指摘や指導も凪先輩がやってくれてるし、俺がいてもいなくても変わりませんよ」
自分でも情けないことを言っていると思った。
こんなことではさすがの凪も愛想を尽かしてしまうかもしれない。
そう思った修に、凪は柔らかな声で言った。
「自信なんかなくたっていいじゃない」
「……え?」
「壁にぶつかってしまうことも、それによって自信を失ってしまうことも、誰にでも起こり得ることだもの。もちろん私にもね」
「凪先輩も、ですか?」
「ええ」
そう言って凪は自身の過去を語り始めた。
「中学最後の総体の準決勝で、私は相手チームのキャプテンとマッチアップしたわ。そのときは私だって県ベスト4まで勝ち上がってたし自信もあったけど、結果は完敗。チームとしても、個人としてもね。司令塔としての能力も、自分で点をとる力も、遥かに向こうが上だった。それから私は自信をなくして、今もその壁を越えられないまま」
意外だった。
凪程の実力と精神力を備えた選手がそこまでの敗北感を味わう人がいるなんて。
修は気になって尋ねずにはいられなかった。
「その相手っていうのは……」
「名瀬高の司令塔、若月玲奈よ」
「!」
高い実力を持った名瀬高のメンバーをコート内外でまとめあげるキャプテンの若月玲奈。
思い返して見れば、以前名瀬高の試合を見たとき凪は玲奈に対して特別な視線を送っているように見えたが、それはそういう事情があったからだったのか。
「今も正直自信はないわ。私が燻ってる間、あの子は強豪高で練習を重ねてさらに上手くなっていたから。でも、勝たなきゃいけない理由ができた。だから、自信がなくても頑張るの。自信がないからこそ、頑張らなきゃいけないの」
最後は空を見上げながら自分に言い聞かせるように言った。
その目からは強い決意が感じられる。
「先輩はすごいですね……」
凪のたくましさに思わず感嘆の声が出た。
「何言ってるの。あんただってすごいわよ」
「いえ、俺なんて何も頑張れてませんから」
修は肩を落として自嘲するように笑った。
「あんた、練習中に熱心にノート書いてるわよね」
「え?」
凪の突然の質問に修はポカンとした。
それが今の話とどう関係があるのか。
「はい、書いてますけど……」
「あれ、今何冊目?」
「えと、二十は越えてるかと」
修が答えると凪は呆れたように大きくため息を吐いた。
と思うと急に身を乗り出して顔を近づけてきた。
「充分頑張ってるじゃない! あんたが一生懸命ノートに色んなことを書いて、それを元に私たちに細かく指導してくれてるってことは、皆ちゃんとわかってる! 練習メニューだって、細かく改善の案を出してくれてるのは、ちゃんと勉強して、私たちのために考えてきてくれてるからじゃないの? それで充分じゃない! あんたはコーチとしてちゃんと頑張ってる!」
凪は少し怒っているようだった。
だがそれは修のことを思いやってくれていることが感じられる、優しい怒り。
凪は体勢を戻して腕を組み、首をくいっと曲げた。
「なにもやり遂げてないんだから、自信がなくて当然よ。私だってそれは同じ。それでも、自信を得るために努力するんじゃない。あんたが選手のときだって、そうしてきたんじゃないの?」
凪の言葉に修はハッとした。
(そうだ……。選手のときは、自信がないからって諦めたりしなかった。上手くなりたいって思って、努力し続けたから自信が生まれたんだっけ……)
遠い昔のこと過ぎて忘れていた。
自信があるから行動するのではない。
行動したことの積み重ねが自信に変わっていくのだということを。
修は恐る恐る凪の顔に視線を向けた。
凪は柔らかい表情で修の言葉を待っている。
「……コーチとしての実力も実績もないのに、このままチームを指導してもいいんでしょうか」
「実績なんて関係ない。皆あんたの努力を認めてるし、感謝してる。誰も文句なんて言わないわ」
「……また失敗してしまうかもしれません」
「失敗したって、間違ったっていいじゃない。そんなときは私だって渕上だっている。皆で協力して皆で成長していけばいいのよ」
凪の言葉に修は自分の胸が熱くなるのを感じた。
と同時に自分が下らないものに囚われていたといいことに気づいて、胸がスッと軽くなる。
「悩み事は晴れたかしら?」
修の表情から察したのか、凪が微笑みながら問いかけてきた。
「はい。完全にではないですけど、さっきよりかなり楽になりました」
「そう。それなら良かった」
まだ緒方に対して感じていた劣等感や、汐莉に酷い態度をとってしまったことの罪悪感は消えていないが、少なくとも自分がコーチとしていても良いという気持ちにはなれた。
「凪先輩、ありがとうございます」
「別に。言ったでしょ。私は先輩でキャプテンだから。やるべきことをやったまでよ」
そう言って凪は立ち上がり、修に手を差し伸べた。
「さ、行きましょう。そろそろ自主練し始めてる子らがいるはずよ。皆の練習、見てあげて」
修は少し照れ臭かったが、手を取らないのは失礼だと思い、遠慮がちに凪の手を握って立ち上がった。
しかし凪は歩き出さずに、じっと修のことを見つめている。
「? 凪先輩?」
修が不思議に思って声をかけると、凪は少しもじもじしながら視線を泳がせる。
「ほ、本当はね、あんたが悩んでるのをほっとけなかった理由、もう一つあるの」
「え?」
「あんたが暗い顔してるのを見るのが嫌だったから。あんたにはいつも元気でいてほしいの」
「それって……」
すると凪は弾かれたように手を引っ込め、背中を向けて歩き出した。
そして数歩のところで立ち止まり、また振り返る。
「鈍感なあんたでも、あとは言わなくてもわかってよね!」
いたずらっぽく笑う凪の頬はほのかに赤く染まっているように見えた。
その表情がとても可愛くて、修の胸はドクンと高鳴る。
凪はまた背を向けて、今度は足早に体育館へと歩いていってしまった。
凪の言っていることを理解した修の顔はカァーっと熱くなり、体育館に向かうのに少し間を空けなければならなくなった。
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